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[通院日記]ADHD当確出ました/答えの出ない問題を抱えて生きなくてはならないのだろう

こんにちは。

先日精神科に行った際の話です。
人生ではじめてカウンセリングを受けたのですが、初回だからかなのか、バタバタと必要な話をしているうちに終わった感じでした。

その中で出たのが発達障害の検査結果の話。
先生からは未だはっきりとした診断はいただいておりませんが、心理士さんが検査の結果を写した紙を見せてくれました。
その話は後でするとして、とりあえず言ってもらえた言葉で心強い一言が。

「医師は曖昧な気持ちで薬を出すことはあり得ません」(すみません、記憶力が終わっているので実際の言葉は忘れました…。こんな意味のことを言っていた、というふうに読んでください…)

この薬というのはADHD治療薬のことです。今は副作用もあって飲むのを一時中止していますが、以前に一度処方箋をもらっています。
という事は、心理士さんの言葉とあわせて考えるなら、先生の中ではADHDという診断は下りていると理解して問題ないでしょう。

ここからは推測ですが、今は時間をかけてASDの診断をしているところなんじゃないかと、勝手に想像しています。
そういうもんなのか?わからん。
発達障害自体、医師によって知識にばらつきがあるのだから、診断方法もばらつきがあっても不思議ではない!
と言い聞かせて自分を納得させています。


カウンセリングの中で、検査結果の紙を見せられながら、ごく簡単に内容の説明も受けました。
テストの名称は覚えてませんが、内容はいわゆるIQを測るテストです。
項目ごとに、それぞれ頭の別々の能力を測るようになっていて、発達障害の人は各項目の差が激しいのだと、説明を受けました。
そして改めて自分の結果を見ると、見事に山あり谷あり、分野ごとの得手不得手がはっきり見てとれるグラフになっていました。

次回のカウンセリングで、わかりやすく説明を加えた結果用紙を貰えるとのことでした。
なのでそこまで詳しく結果を書くことができないのですが、ひとつ目立ったのはやはりワーキングメモリの弱さでした。
ADHDだと、思って問題ないでしょう。


それとは別に、最近は記憶力がとても弱っている。
(ひと月前にも同じことを書いてますね…。)
記憶力と書いたとき、それは記憶する力と同時に、記憶を思い出す力も込みで使われると思います。
このごろは、その両方がとても弱っている。

記憶力が弱ると、文章を書くのにも差し障ります。
長期記憶はそれほど影響は感じない気がするのですが、短期記憶的な(正確な用語として使えているか自信がないので"的"とします)記憶力が壊滅的に弱っているのです。

例えば、書いている側から、少し前に考えていた、一旦保留の場所に置いた記憶が、すっと取り出せない。
あるいはそのまま消失してしまう。
そういう事が頭の中で頻発してしまっては、まともな文章なんて書けませんよね。

今は久しぶりに頭の中がクリアに感じられて、最近では割と頭の調子がいいのでこの記事を書いている次第です。
この好不調の波がなぜ起きるのかは、自分でもよく分かりません。
ただ最近は、ちょっと落ち着ける時間も少なくて、なんとなく心が浮ついていたし、それに加えて心身ともに疲れ気味だったなとは思います。

今、新人賞に応募するための小説を書いています。
本当はもう書き終えてひたすら"直し"をしてるはずの時期なのですが、実際には、まだ必要なテキストを全くもって書き終えておりません。
先へ先へ、延ばしに延ばす性格のせいです。
自分としてはこれを、単にADHDのせいにしようとは思わない。
ADHDを知る前から、ずっと自分の怠惰癖は知っていたし、同じような事をひたすら繰り返してきているからです。
逆にうまく過集中に入る事ができれば、それはひとつの武器にもなるのですから。

それにもう40年ほど自分のADHD的性質とは付き合ってきたことになる。
いい加減、まともな人ならある程度付き合い方を心得ている時期なんだと思うんだけど、いや、自覚があろうが自分ではどうしようもないのがADHDの性格でもあるんだよと言われれば、まあそれもそうですね、としか返しようがありませんが…。

発達障害の難しさは、その、矛盾を抱え続けて生きなくてはならないこと、にその根本があるのかもしれないですね。
言い換えると、発達障害が日常で引き起こす諸問題には、簡単に通りの良い答えなんて出せないし、だとすれば発達障害者は、答えの出せない問題を自分の中に抱えながら生き続けなくてはならない、それが根底にあるいちばん大きな難しさのように思えます。

ごちゃごちゃ読みづらい文章で申し訳ないです。

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