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「戦争とおはぎとグリンピース」|おやつは幸せなものであってほしいという祈り

最近すっかり新聞を読まなくなった。
定期購読していないし、駅のキヨスクやコンビニでも最近買っていない。
電車の中では本を読むか、スマホで読みものか、ウトウトするか。

嫌いになったわけではない。
読みたいものの量に対し、私の手持ちの時間と、文字を読み咀嚼するスピードが釣り合っていないのだ。

実家にいた頃は、毎日朝と夕方に規則正しく新聞が届いた。
朝は父が一番に目を通すので、私は夜ゴロゴロしながら新聞をめくるのが日課だった。

ニュースも一通り目を通すが、心惹かれるのは家庭欄や週末の書評、そして投書。
新聞を読み始めたばかりの中学生の頃、最初に目が留まったのも投書だった。
事件をセンセーショナルに伝える記事や専門家が今後の経済を論じる記事よりも、自分の身近にいそうな「ふつうの人」の言葉が好きだったのだ。

本日は、こちらの本について。​

「戦争とおはぎとグリンピース 婦人の新聞投稿欄「紅皿」集」
編集・出版:西日本新聞社

昭和30年代、西日本新聞の女性投書欄「紅皿」に寄せられた投書42編を収めた本。
専業主婦や会社員など、どこにでもいる普通の女性たちがつづった言葉が並ぶ。
時代は違えど「ふつうの女性」と言う点では自分と同じ。
そんな人の考えや思いに触れてみたくなった。

◇◇◇

書かれたのは、太平洋戦争が終わり10年~15年が経った頃。
暮らしが便利で豊かになっていく一方、ふとした時に戦争の暗い影が見え隠れする。
本の中には、そんな明るさと暗さがないまぜになった空気が漂っていた。

夫を亡くし、1人で子どもを育てるお母さん。

給与の中からコツコツと貯金し、念願だった同僚との旅行を満喫していた若い女性。
そんな最中に傷痍軍人さんに出会い、旅行を楽しむ自分に罪悪感を抱いてしまう。

本のタイトルにもある、おはぎの思い出を綴った投書は読んでいて胸が痛い。
いただき物のあずきをぐつぐつ煮ていたら、次男を思い出したという女性。
出征した次男はおはぎが大好きだったのだ。
戦争が終わると、女性は帰国船が泊まる度におはぎを抱えて港へ駆けつける。
でも、結局、次男は帰ってこなかった。
煮えるあずきを見つめながら、今は亡き次男を思って女性はひとり涙をこぼすのだ。

◇◇◇

暮らしにいつも戦争の影がまとわりついている様子が生々しく伝わってくる。
空襲も配給制度も無くなったけれど、彼女たちの中で戦いはまだまだ長く続いていたのだ。
戦闘場面が直接的に描かれる訳ではないけれど「戦争をした」とはこういうことなのかと、じわじわと迫ってくるものがある。

◇◇◇

それにしても、投書を送ってこられた方々の日常を細やかに観察する力と表現力に驚かされる。
毎日淡々と繰り返される家事、つつましやかなごはんの中から、それらにまつわる思い出や複雑な気持ちを率直に、そして豊かに綴るのだ。
投書はしなくても、読んで「そうそう」「うちも一緒」と共感し励まされた人がどれほどいたのだろう?
今のようにリツイートも「いいね!」ボタンもないので、もはや共感した人の数を知ることはできないけれど、きっと数え切れないほどいたはず。

◇◇◇

もう、毎日食べるごはんやおやつがこんな悲しい思い出になりませんように。
涙でしょっぱくなったおはぎを、むせび泣きながら頬張ることがないように。
そう思わずにはいられない。



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