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障がい者なんて見たくない

クロネコ屋です。以前、子どもに障がいがあるって話をしたんだけど。

あんまり障がいの話なんてしたくねーんですけど。金になんねーし、暗いし、ウケ悪いしそもそもビジネスと関係ないし。

でも、今日スッと無意識にポストしちゃったんだよね。

「障がい者なんて見たくない」って。

こんなのタブー発言でしょ。
一発アウト。
でも本音だからスッと出た。
驚くほどスッと出た。
今世紀最大級にスムーズに。流れるように言葉が出たの。

見たくない理由?

あれがお前の子どもの未来だと、突きつけられているようでね。

障がい者はかつて風景だった


子供が生まれる前は、障がい者になんの感情も抱いてなかった。

というより、自分の世界に存在してなかった。

いるのは知ってるけど、いない的な。
視界に入っても後ろに流れていく景色みたいな。
そういう透明の存在だった。
まあ俺には関係ないや。みたいなね。

いや…関係ないとすら思わなかった。
関与関心ゼロの世界。1ではなく0。驚くほどゼロベース。

地理で言うなら日本から見たアルゼンチンくらい、遠い世界の話だった。

福祉に興味がある人以外はそんなもんでしょ。自分の生活に忙しいから。むしろ健常者だって自分のメシを食っていくのに必死だから。

私だってそうだし。社会的弱者のことまで考えている暇はない。だって自分が社会の底辺に落ちないように、必死に崖際でつかまってるんだから。受験、就職、離職、独立。障がいが無かろうと世間の波に揉まれてく。そこで必死に息してるから。おぼれる他人なんて見てられない。

私は今でこそ経済的に安定してるけど、かつては会社員に馴染めず社会不適合全開だったわけで。何も持たずもがいてる時に、弱者のことまで考える暇ないっつーの。

だから障がい者なんて目にも入ってなかった。1秒も考えた事ない。考える必要もない。これまでもこれからも蚊帳の外。そういう感じにいい感じだと思ってた。

でも当事者になって思う。

否応なく目につく。
見たくない。
直視できない。
早く元通り後ろに流れていく景色に戻って欲しい。
自分とは関係のない世界であってほしいと。

「障がい者を見たくない」って字面だけ見たら「そんな差別的なことを言うな」と思うんだけど、それは自分が障がいと関係のない、外から見た時の話で。

それがリアルに自分の世界とリンクした時、見たくないって思う。

本音ではね。

だからポロッと出ちゃった。障がい者なんて見たくない。

障がい児のブログも見たくない。精神年齢が10歳で止まる未来なんて見たくないし、仮に軽度であっても「初恋、ざらり」の主人公になってほしくない。

ちなみに私は「初恋、ざらり」嫌いだけどね。
都合が良すぎて。
リアル!苦しみわかる!なんて感想が多いけど、美化しすぎだろって思う。
弱者の世界はもっと醜いよ、と思う。

弱肉強食の世界にいたからこそ、わかる。綺麗事なんて1ミリも通用しない、残酷な世界だよ。現実はね。

弱者の居場所なんてないし、むしろ強者の食い物にされる。誰も助けてはくれない。だから自分の力で這い上がるしかない。自分を限界まで追い詰めて、命を削ってでも結果をもぎとり、上位に君臨するしかない。私は昔から一貫してそういう思想で生きてるから、普段のつぶやきも「弱者になるな、強者を目指せ」と発信してる。だってそうでしょ。優しい言葉でだいじょ~ぶなんて口で言っても、世間はインフレ物価高。大企業は賃上げするけど非正規や中小は上げられない。強者に優しい世界デザインなのだから。だったら変に綺麗事でごまかさず、残酷な現実をゴリゴリ這い上がるしかないじゃん。

そう思ってたかrこそキツいわ、しょうがい。

お金でカバーできないじゃんよ障がいは。


そもそも私が子どもを作ろうと思ったのは(産むのは女性だから、男の私がこう言うのもおこがましいが)経済的な土台が整ったから。妻も同じ意見。

仮に子どもが就職失敗してニートになっても、変な男にひっかかってシングルマザーで出戻りしても、そして私が病気や怪我で働けなくなっても、すべてのトラブルをカバーできるくらいの経済力が作れたから作った。

仮に子どもが弱者でも、すべてをカバーできる体制。東京の実家、不労所得、子どもに使える時間。すべて揃った上で持つという選択をした。ビル建築も、子どもの能力的に事業継承が難しかったときのための保険。(不動産なら管理会社など頼れる外注先があるから、能力が低くても何とかなる)

それが、パァー。
パァーというか、お金でカバーできないゾーンにきやがった。

そう来たか…って感じ。

障がい者って、最終は生活保護+障害年金でグループホーム代を払って生活するんだって。むしろ資産があると生活保護要件からはずれるから邪魔なんだって。

なんじゃそりゃ。意味ねぇーじゃん。今までやってきたこと意味ねーじゃん。

もちろん、お金がなかったらもっと悲惨だろうし(障がい児は健常児より共働きが厳しい)そもそもお金なかったら子ども作るという選択肢は選んでないけど。

いまは稼ぐモチベーションがあまりない。
こんな事を言ったらアカンのやけど、まじでない。

てか、障がいの事もしゃべったらアカンのよな、本来は。だってインフルエンサーって多かれ少なかれ、憧れ→尊敬→購入という流れを持つ広告塔じゃん?

私がインフルエンサーが否かは置いといて、少なからずSNSをビジネスとして運用してるなら、障がいの話なんて伏せるべきなんだよ。

一般ウケ悪いし。
かつての私のように風景として見てる人が多いからさ。
風景の話を熱く語っても「それ私に関係ある?」って読者は思うじゃん。
だから隠すのが正解。みんな興味ないって。自分語りはマイナスだよ。デリケートな話題だから炎上するよ。臭いものにはふたをしろ。

はぁー。そこまで分かっててなお。
出た。
うんこが。
障がい者見たくないってポストが出た。
うんこ出るの我慢できねえよ。
人間だもの。みつを。

憧れなんていらねーよ。そもそも憧れられるような人間じゃない。底辺から何とか文章とマーケティングだけでよっこらしょと運良く生きながらえた守銭奴で薄汚い商売人。それが私だからね。

私がそういう暗い人間だってことは過去ブログにも書いてる↓

そんな人間のもとに障がいのある子どもが生まれても受容できないだろ。

うちの子は違う!なんて言い張るほどお花畑でもないけどな。

暗くなってきたからポジティブな話で〆るかな

ヘビーな悩みを持ってしまった人のメリット。

"発信する言葉に重みが宿る"

これだろ。
X見てるとさ、かるーいあさーい発信で何とか注目をあびようとしてる人が大勢いる。マニュアルもあるし、ビジネスライクなポストがたくさんある。

でも、彼らに出来ないたった一つのこと。それは重みをつける事。

苦しみを経験した人、してる人の言葉の重みは、やっぱり真似できないと思うよ。

過去にブログで書いてるから、もちょい詳しく勉強したい人は下記の記事をどうぞ。

まあ、私はそんな重みのメリットよりも、子どもに障がいが無くてすくすく育って中学受験とかしたり将来どんな仕事につくのかワクワクするほうがよっぽど幸せだと思うがね。

あ、せっかくポジティブにまとめたのに暗くなっちゃった。
まあ…そのうち障がいの程度も見えてきて諦めついてポジティブになるでしょ。
駄文失礼しました。では。

続きです↓


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