第1章『現代の社会構造』

「人は皆平等ではない」

我々は溝に落ちた場合、非常に抜け出す事が難しい。

義務教育では「人間は平等」を学ぶが、社会に出てみると平等でない事に改めて認識する。不平等だらけだ。好きな物も思うように買えない報酬を手に入れる為に一日の大半を仕事に費やす人間がいる一方で、高級車で都心を走り回る人間もいる。東京のビジネス街を歩けば、数時間で「圧倒的な格差」を体感することができる。

自分は優良な国内企業に運よく所属することができた。良いスタートを切ることができたと思う。よくビジネス書に出てくる「階級」という言葉で表現すると「上流階級の下」に位置付けすることができた。馬車馬のように働く人生であったとしても、年収1000万円と安定した生活が手に入るから良い環境だとも捉える事ができるが、手に残る資産を考えた時にはやはりサラリーマンの年収1000万円と個人事業主の1000万円とでは大きな差に愕然とする。労働時間に格段の差があるにも関わらずだ。

ビジネス書をあまり読まない層にとって、「階級」という言葉は新鮮だと思うのでここで説明をしておく。高校の歴史で「社会階級」「労働者階級」「カースト制度」といった言葉は聞いたことがあるはず。これらを意識しながら、本章を読んで欲しい。倉田自身が見てきた社会経験を交えながら、現代の階級を知って頂く。

ただ一つだけ注意点がある。

「幸福論」という考え方とは、切り分けて読み進めて欲しい。幸福論の基本原則である「どの仕事であっても、その仕事を天職だと考える思想」を持ちだしてしまうと何もかも良しになってしまうからだ。最近ではJAL再建・京セラ設立の稲盛和夫氏の考え方が幸福論に近い考え方であり、このご時世の追い風もあり称賛され、本屋で「良く売れる書籍」として取り上げられている。

が、あくまで本書では精神論ではなく、社会に堂々と存在する「階級」の話をする。

底辺階級の定義

派遣社員、中退者、シングルマザー等はどうしても弱い立場になりがちである。令和の時代になっても未だに苦しい生活を送らざるを得ないことに変わりはない。

一度、ここに位置付けてしまうと逆転はかなり厳しいのが世である。勿論、起業して逆転する人もいるがそれは稀。まずは「正社員」を狙うのが普通だ。だが、好待遇の正社員での採用はまずない。思い切って住む場所、働く業界を変えなくては待遇の良い正社員を掴む事は本当に難しい。

「誰でも正社員に」と謳う会社は罠であったりする。

自分が実際に見た底辺階級の労働を伝えておきたい。

田舎には時給700円を下回る労働環境があることはご存じだろうか。田舎に住む人は高齢になればなるほど情報を仕入れる事が難しくなる。情報の入手手段がテレビぐらいしかないのだが、そのテレビすら見る時間がないという環境が存在がする。「最低賃金」という言葉を知らない人すらいる事に自分は驚愕した。前述したが、くれぐれも「賃金」と「感じる幸福度」は区別するこt。「賃金が低くても幸せなら良いじゃないか」という議論は違う。

この底辺階級とされる人たちの労働環境はあまりに酷い。3Kは勿論のこと、とにかく労働時間が長い。朝7時に集合し昼休み開始は13時過ぎ、13時50分には現場に集合、仕事が終わるのは18時~21時といったスケジュールで労働させられる。まるで奴隷だ。そんな現場が日本にも存在する。残業という概念はないので時給に変化はない。朝も昼も夜も時給は同じ。シーズンによっては土曜日出勤もあるが、当然手当などない。

こういった労働環境は土方の職業をイメージする人が多いが、土方は近年労働環境が問題視されSNSで不満を投稿する人が増えたこともあり、かなりクリーンになりつつある。

まだ改善されていなくて、昭和時代の労働環境のままという職場は水産加工業に多い。こうした劣悪な労働環境を持つ業界の特徴としては「閉鎖空間」かつ「従業員の高齢化」であり、水産加工の現場は見事に当てはまる。

ちなみに自分は知人からこの話を耳にし、微力ながら改善の手を打った。見て見ぬふりをするのは、人間としてあまりにもできなかったからだ。

卑劣な労働環境を敷いている会社の社長夫人は平日の昼間、その仕事場付近で猫の散歩をしていた。実際、その様子を見たが、自分は地獄の沙汰だと感じた。

また、自分を大きく動かしたのは「年収103万円を大きく超える労働時間を平気で強いる」という点だった。所得税が発生するか否かのボーダーになるのだが、水産加工の会社に問い合わせた所「年収103万円の壁」については「知らない」の一点張りなのである。

目を真っ赤にし、指、ひじ、ひざ、腰の痛みに耐え、10時間働いてようやく稼ぐお金が約7千円。その賃金が税金として回収されてしまうのにはあまりに酷いと自分は感じた。


田舎というのは、働き口が少ない。市の職員に就こうにも狭き門であるし、そもそも市の職員ですら賃金は魅力的ではない。そんな環境だと、どうしても若い人間は「夜職」という選択を取る人が一定数出てくる。

だが、夜の職を甘く見ていると痛い目を見ることになる。

スナック、ホスト、キャバクラ、風俗。これらの職業は肉体的・精神的ストレスが非常に高く、肉体と精神をボロボロにする過酷な環境だ。いずれの職業もコミュニケーションスキルが要求され、個性をきちんと持っていないと上手く生き抜いていくことが難しい。月日が経つにつれて、精神的にどうして良いか分からなくなってしまう。ただのサラリーマンよりも何倍も大変だ。

スナックを甘く見ている人がいるが、会社のように会議といった場ではないので、関係性を構築できていない親父をいきなり打ち負かす事は基本的にNG。ひたすらに話を聞くという拷問を受けることになる。(「これを拷問と捉える人は基本がなっていない」といった職場指導をしている現場を見たことがある)

中流階級の定義

「中流階級は楽だ」と定義するビジネス書は多い。だが、中流階級はいとも簡単に底辺階級に落ちることがあるから注意しなくてはいけない。

中流階級の特徴としては「贅沢はできないが安定した収入」と「日常の刺激があまりない」が挙げられる。与えられた環境があって、あまり考える事をせずに「労働」をすることで報酬を得ることができる階級である。ここの階級で生きようとするならだ、上手い事、所属するコミュニティーに溶け込むことができれば楽。下手に上昇志向や職場改善などを持ちだし、和を乱す人間は煙たがられ、はじかれてしまう。

会社の事業形態でいうと、多くの場合、グループ会社が中流階級に位置づける。大きな事業は「ここの作業は〇〇グループ会社に」「あの作業は××グループ会社に」といった振り分けが行われることになる。

大企業に入ったは良いものの、現場施工がやりたい!と思ってもそれは叶わぬ夢。仕事というのは、会社の事業形態できちんと管轄が決められていることがほとんどだからだ。

勿論、中流階級は上流階級にいる人の年収を下回ることになる。ここに不満を抱えて文句を言う人がいるが、お門違いも良いところ。そもそも、立っている土俵がそもそも違うのである。

近年、大きな変化が起こっている。中流階級は板挟みになる事が急激に増えてきたのだ。日本の社会経済は低迷を続けており、事業全体の利益がかなり減少している会社が多い。利益をなんとか確保する為にどこかで絞る必要がある。下請けを抱えることが多い中流階級は、上流階級からの無茶な要求に応える必要があるが、一方で下請けも守らないといけない。下請けを失う事は大きな味方を失うことと同意。そこを取りまとめるのが中流階級の役目でもある。

中流階級は「与えられた環境」が崩壊したとき、あまりに脆い。自分でどうにかする為の頭を持っていないからだ。

中流階級から抜け出して、上流階級を目指そうと考える者がいるが、その道のりはあまりに遠く、よほど研鑽していないと辿り着くことができない。

上流階級の定義

一流企業のサラリーマンが該当し、中流階級とは比べものにならない年収と退職金、福利厚生を手に入れることができる。ただし、上流階級にはとてつもない幅が存在する。ただの一部上場企業の社員もいれば、超一流企業の社員、超一流企業の役員、社長、自営業の社長もいる。

誰もが知っているような企業の役員報酬をご存じだろうか。トヨタ自動車の社長の役員報酬は世間を賑わせたが、4億4900万円。1億円超えの役員は6人もいた。

自分が所属していた企業の社長の報酬は1億5000万円。役員ですら、5000万円ほどの報酬を貰っていることを明かしていた。課長クラスですら1000万円~1200万円。

現代の日本だと、課長でも重労働させられるケースも増えてきているものの、それでも底辺階級とは比べものにならないほどの生活ができる。

ただし、部長になれば世界は変わる。

徐々に激務から解放され、部下である課長が働き蟻になってくれる。各課で問題があれば課長が責任を持って対応する必要がある。大企業の課長となれば、ある程度のことは自分でできる人が多い為、放置という部長も少なくない。(大失敗する課長もいるが、役員説明は課長がするので、部長が負う被害はそこまでない)

だが、部長も課長も「従業員」であることに変わりはない。どれだけ出世しても、会社が「自分の所有物」になることはない。ただのプラットフォームとして使わせてもらっているだけである。

「資本主義では、会社の所有権は株式の保有率で決まる」という言葉があるが、要は日本企業におけるサラリーマンは「雇われ」である。高い収入を得ても、会社に奉仕する立場というのは変わらない。

ここを大きく履き違えた人は、30代半ばで働く意味を見失うことになる。「経済的成功」を「自由」と捉える人のことでもある。

20代で動き出す人もいれば、働く意味を見失ってから動いて、本当の経済的成功、経済的自由を手に入れる人がいる。これまでの仕事の経験を活かした事業を起こす。「ビジネスオーナー」と呼ばれる会社の所有権を持ち、収入の割り当てを自ら選択できる立場の人間になる。

ビジネスオーナーとなることで、自分の仕事を選択できるようになり、労働時間すら決める事できるようになる。これは会社員であれば、実現が難しい事であり「この仕事、ちょっと向いていないな。外注しよう、ないしは課長にやらせよう」ということはまず不可能。部長は部長、役員は役員の仕事をしないといけないのだ。

さらに、ビジネスオーナーは時間を作り出すことに成功すると、自分の資産を守る勉強をすることができる。蓄えた資産を安全に管理すると共に、運用を始める。いわゆる「投資」のステージだ。

いつの時代も不況になると、投資を進める風潮になるが、元手の資産が少ない人間がただ考えもなく、投資をしてもリスクを負うだけのケースが多い。元手が少ない人間が年利10%、15%で運用すれば!などと安易に考えて、ズルい人に騙されて元手を失ってしまうのである。

資産形成の本に記載されている良い例は下記のようなものだ。

「資産が3億円を年利5%で運用したとしよう。1年後にはなんと「1500万円」が「何もせず」に懐に入ってくる。」

つまり、資産が3億円持っている時点でほぼゴールしているのである。健康に気を付けて質素に暮らせば、何も困ることはない。というより資産が1億円だったとしても、普通に楽な仕事をしつつ、500万円(税金で減りはするが)を手にするだけでも十分だろう。


これらの話を踏まえて、会社の役職やその権威に価値を感じない人間であれば「資産を作ること」と「時間を作ること」が如何に大事であるかが分かるだろう。本当の上流階級にいる人間は「合法的に金を稼ぐ」「合法的に金を守る」という能力を磨いているのだ。


底辺階級は「資産」も「時間」も「ビジネスオーナーになる知識と経験」も手に入れることが難しい。成功者が「時間を作れ」「勉強」と再三伝える意味はここにある。

現代社会においても、未だなお、上位の階級が下位の階級から時間を搾取しているのは変わらない。どんなに良い企業にいても、立ち回りを工夫しないと自分の労働力を上位階級に提供しないといけないのは同じである。


社会階級から抜け出す為に徹底的にもがいた経験

自分がこの難しい課題に対して、さまざまな挑戦を仕掛けるこことで、抜け出しかけている実体験をしたいと思う。誰かの立てる事を願っている。闇雲に努力するのではなくて、環境分析をし、自分の特技を活かし、社会に価値を提供していく。これがお金を生む。


いつもサポートをして下さる方、本当にありがとうございます。心から感謝しています。恵まれない子供への支援をさせて頂こうと思います。新たな気付き等を提供できるように自分も頑張ります。また自分もサポートさせて頂きます。