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#6 エジプト珍道中 ニノのサンドウィッチ

ニノの店は、味だけでなくなにより、安心できる、戻りたくなる場所だった。

エジプトといえば誰もがすぐに思いうかべるあのピラミッドがあるギザの、観光客でにぎやかな通りから横にそれると、馬糞がそこらじゅうに散らばり、砂埃が舞う未舗装の裏通りとなるのだが、一気に地元住民の日常へと迷いこんで少し不安になりはじめたころ、ニノが立っていた。

ニノはきょとんとしている私にむかって、ステンレスのへらを握って近づくと、受け皿のように差しだした私の手のひらに、何かを転がした。炒めた鶏肉だった。味見をしてみろ、ということらしい。お腹を下さないように食べ物に気づかっていたので、得体のしれないものを口に入れるのをためらいつつも、ちょうど小腹がすいていたので、えいやと口に放りこんでみると、柔らかく、スパイスが効いている。自然に笑みがこぼれると、ニノも白い歯を見せた。

そこはサンドウィッチ店で、炒めた鶏肉と野菜をパンに挟んだものが人気のようだった。私は、味見させてもらった鶏肉のサンドウィッチと紅茶を注文し、店のなかのソファに腰をおろした。

狭すぎも広すぎもしない八畳間ほどの部屋には、壁にも天井にも、臙脂色を基調としたソファと同じ柄の布が一面に張りめぐらせてある。そういえば、車の後部座席で揺られているときに、運転席の座席にハンドルに、肌触りの良さそうな布を覆っていたのを思いだした。エジプトの人は柔らかい布でなんでも覆うのが好きなのかもしれない。その壁に飾られている雑多なもののなかに、額に入った一枚の写真を見つけて眺めていると、僕の大切な友達だよ、とニノが近づいてきて、紙袋に包まれたサンドウィッチ、スライスしたトマトとキウリ、紅茶をテーブルに置いていった。サラダはサービスだった。

パンは少しぱさついていたが、カレー風味のチキンは安定のおいしさで、気軽に空腹を満たすにはちょうどよかった。チェックの長袖シャツにジーパンをはいたニノが、ちらちらとこちらに視線をよこして気にしている。私は親指を立てながらおいしいよと伝えると、無精髭をはやしたニノの口元が緩んだ。

そのとき、道端からなだれこむ昼下がりの強い日差しの先に、きらりと光るものが見えた。鞭だった。しなる鞭をふりかざした馭者の青年が、馬に乗ったまま鉄板の脇に近づき、何やらニノと談笑をはじめた。どうやらそのあたりは馬の休憩所になっているらしく、店の前にある公園のまわりには、鮮やかなオレンジ色の馬車につながれた馬たちが大勢、木陰で休んでいた。

太陽が高い。休みたいのは、馬だけではないらしい。仕事のあいまに涼もうと、地元の人たちが次々とやってきて、気づくと満席になっていた。店先にある鉄板を囲むように人垣ができていて、パンができあがるのを待っているのかと思いきや、眉間に皺をよせた男性はみずみずしいトマトをにらみながら包丁を滑らせ、また、黄色い三輪自動車を乗りつけたおじさんは、店の奥にある機械を勝手にあやつり紅茶を飲みはじめた。どうやらこの店では、なじみの客はニノの手伝いをしながら待つのが日常のようだ。

そんな光景を新鮮なまなざしで観ていると、ニノが近づいてきて、おかわりのサンドウィッチ、搾りたての100%オレンジジュース、それだけでなく、具材の炒めたチキンを皿に盛って、好きなだけ食えと言わんばかりに運んできた。最後には温かいハイビスカスティーまで。

次々と運ばれてくる勢いに圧倒されながらも、だんだんお腹が満たされて、火照った身体も落ち着いてきた。そろそろ出ようと料金を尋ねると、いくらでもいいから好きなだけ、と言われたので自分の思うままの紙幣を渡した。ごちそうさまでした。シュクラン、アフワン。胸にそっと手をあてて見送ってくれたニノの背後では、この人もなじみ客なのか、水色のリュックを背負った少女が鉄板に向かって鶏肉を炒めていた。

次の日、くだんの「おしゃべりタクシー」でぼったくり攻撃に遭い、ギザに戻ってからも、炎天下のなか歩いて向かった飲食店が閉まっていて気が滅入りはじめたのだが、そうだ、あそこがあるじゃないかと踵を返して歩きはじめ、公園のまわりで休んでいる馬の、優しい眼と艷やかな毛並みを目にしたとたんに元気を取り戻し、気づけばニノの店の前に立っていた。

きょうも無精髭のニノが迎えてくれた。おかえり、マイフレンド。

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