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私の自信を叩き潰していく大人たち

こうしたいああしたい。
こう思っている。


私がそう伝えたとき、
イイね!と言ってくれる人はどのくらいいるんだろうか。


「いやいやいや・・・君はなんでそうなるのかなあ。」
「普通○○だよ、みんなそうしてる。」
「えええ~・・・なんで(苦笑)?」


これらは、
さんざん悩んで進路を決めたとき、
勇気を出して自身の考えを伝えたとき、
意気揚々とこうしますと言ったとき、


周囲の人間たちに言われてきた言葉である。

当時は、自分を丸ごと全否定された気分になっていたし
私が間違っているのかと不安にかられていたけれど
今ならわかる。

全然そんなこと無いって。

特に、学生時代とか子どものときだと
なかなか個人で身動き取りづらい部分があるから、

親とか学校のクラスメイトとか、
その狭い世界が全て!みたいなところがあって
難しいんだけど、

近しい人間にとやかく言われたからって、どうか必要以上に落ち込まないで欲しいなと思う。


世界は広い。


たった一人の人間に否定されたからといっても
あなたの尊厳や思考の価値が失われるわけではない。


家族全員に反対され、否定されても
他に学校という場があれば、頑張れるし、
その中の一人にでも、素敵な夢だね!
って言われれば、きっと嬉しいはず。


家でも学校でもダメなら
地域のコミュニティ、趣味仲間、行きつけのお店、ネット上の交流。

今だったら、探せば結構見つけられたりする。


中でも、年齢性別様々で
多種多様なバックグラウンドを持った人たちが
集まるところは面白い。

いろいろな人生経験を聴けるし、
その上でみんな違う意見と視点をくれる。

そういえば「現代人の生活は、箱から箱への移動である」
と聞く。


学生であれば、
家という箱から
電車という箱に乗り
学校という箱へ移動して
そして箱へと帰還する。

社会人も同様に。


この”箱”の数が多ければ多いほど、
すなわち、多数のコミュニティへの所属は
ストレスもあるが、精神的安定感も得られるらしい。


話がそれてしまったけれど、
言いたかったことは、

・特定の人間に全否定されたからといって
あなたはの値打ちは変わらないということ。

・異なるジャンルに所属する人たちとの交流は
精神の中立性を保てるということ。

そして最後の最後、自分に優しくしてあげられるのは
自分自身だと思います。


私は、短絡的に人を挫けさせる言葉を投げかける大人たちには
絶対になりたくないと思っている。
あの時、私が大人たちにして欲しかったことを、
関わる人に対してできる人間になりたい。

そう願う。

最後まで読んで頂きありがとうございました!