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運命を回した人

上京して一週間、一週間だけ付き合った人がいる。出会い系サイトで。

私のHNは「みお」。ちなみに本名ではない。
彼のHNは「たいち」。ちなみに本名らしい。

「たいち」は研修医で、専門は確か看護師の親戚と同じやつで、なんかマイナー過ぎて覚えてはいない。私は、一部上場のアパレルブランドのショップ店員だ。

住み慣れない都会の、さらに箱詰めされたような小さな住まいで、私は空気になっていた。アパレルってすごく華やかな世界だって言われるけれど、接客業だから厚化粧と笑顔は仮面で、ワンピースはただの布地で、ハイヒールは眷属器。ネイルなんて爪に毒を染めてるようでピアスの穴で耳がむず痒い。狭い店舗スペースで徒党を組まされ、気づいたら嫌いなやつと一緒に土俵デビュー受けてた。就職を希望したのも消去法に近いもので、いわゆる「大手」と呼ばれる企業の、一度学生を大量に掬っておくセオリーに合わせた。だから、内定を勝ち取ったという実感はない。私は就活中ですでに諦めていた。

他者がいて初めて人は孤独になる。しかしその他者が今はいなかった。寂しさ紛れにもなるかなとメッセージを送ってみたら、思ったよりも続いて、私は初めて東京で孤独だと知った。知らなければよかったのに、なんで知ってしまったのだろう。不思議と後悔はない。私たちは電話をしたり、直接会ったりはなかったが、写真を交換したりしていた。何の写真か。それは秘密。

ある日、「たいち」が、チャットで会いたいとせがんできた。聞けば、フラストレーションが溜まったらしい。一体何のフラストレーションか。分かった。でも口にはしない。私は当然渋った。話し相手に過ぎない人物の、私的な介入は身を滅ぼすと分かっていたから。

「会いたい」
「会えない」
「同じ東京じゃん」
「なんで会いたいの」
「写真じゃなくて実際に会いたくなったのー」

私は必殺技を出した。

「いいことを教えてあげる。女の子ってね、男の子が生み出す想像よりはるかに異型生物だよ。異型だから武装するし、それを解除する余裕もないし。特にこういう場では、実際に会ってみると次の日から世界を見る目が変わるよ、もちろん悪い意味で」

「たいち」は笑いながら(まあ画面上で)、「冗談でしょ」みたいなことを言ってきたけれど、無視した。私にとっては「誰かとゆるくつながっている」感覚を上辺で吸い取ってるだけで充分満たされていた。会話のリズムが心地よくて、だからこそ知りたいことが増えてきたのは嘘ではない。やっぱり百年の恋もたかが百年で、なんだかんだで冷めてしまった。

考えながらやると絶対踏みとどまるので、私が「たいち」をブロックして、サイトを退会するために謎のアンケートに答えていた数分間の記憶は残っていない。人は考えずに何かやり始めると物事がスムーズに進んでいく。ただし心には何も残らない。だから、恋の別れも仕事も似ているんだ。うん。上京して学んだことがまた一つ増えた。あまりポジティブではないけれど。

そうして日付は3年が経っていた。

街コンを誘われた私は、友達二人と一緒にビアガーデンにいた。手首には参加証代わりのビニールでできた簡易チケットが巻かれている。お気に召さない。外したい。

「これかゆいよ」

隣のマリに言ってみると、彼女は物凄い形相で睨んできた。目の前には三人のメンズ。参加前に、余計なことをするな・言うな・させるなの三原則を組まされたばかりで、私は飲み物のグラスの結露を拭くしかできなかった。誘ってきたのはマリの方だ。結婚しろとうるさいご両親とご親戚におケツをひっぱたかれたらしい。善は急げ、がマリのセオリーだ。私には短気でせっかちなだけだと思うけれど。

メンズは左から私服メガネ、茶髪メガネ、ワイシャツメガネだった。なぜメガネなんだ。特に目を合わせることがないまま、司会者らしき司会者っぽい風体の女性がマイクを手に立ち上がった。

「皆さん、この度は東京街コンコレクション、略してTMCのご当選、おめでとうございます。司会進行の婚活アドバイザーのSIORIでございます。早速、説明させていただきます」

私はマリに参加を誘われたのではなく、私の名前を勝手に使って当選にこじつけたようだ。マリの隣のあーちゃんも間抜けに口を開けていた。やられた、みたいな顔だった。

「まずは、テーブル上で会話をお楽しみください。十五分後に男性がお飲み物を手に移動をお願いします。時計回りです。十五分がカギですよ。連絡先を交換してもOKです。お料理はオーダー式ですのでお近くのウェイターにお願いします。お飲み物はセルフです。もちろん、他の方と話しちゃダメですよー」

SIORIはグラスを手に取る。あ、乾杯か。私たちもグラスを手にした。

「皆さんのマッチングを願って。乾杯!」

「あ、みなさんて、同じ職場仲間ですか?」

マリが口火切った。メンズは互いに顔を合わせながら、ええ、まあと頷きあった。あーちゃんはニコニコしながら「まずは自己紹介から」と提案してきた。順番的にはあーちゃんが正解だ。マリの悪いところは短気で損気なところだ。私は相変わらず無言だ。お腹空いた。

女性陣の自己紹介が済み、次はメンズ。私服メガネが軽く手を挙げた。

「H大学附属病院で内科医の葉山水彦です。彼女いない歴3年です。趣味は読書です。よろしくお願いします」

医者、と聞いて表情が変わったのはマリだけではない。あーちゃんは相変わらずニコニコしている。私の記憶は三年前に遡っていた。

そうか、もうそんなに経つんだ。

新卒三年、という言葉を思い出す。時間を忘れてがむしゃらに働いて帰宅して狭い1Kの真ん中で佇んでいた日。苦労は振り返れば綺麗な思い出になる。綺麗とは言えないが、充実はしていた三年間。恋に現を抜かしてたのは、紛れもなく私だった。

通知バーに映る文字の名前に心踊った日。送られてきた写真で共有した秘密。よく使う顔文字や絵文字の癖。たったそれだけで、相手のことを一人、空想していた。いつも孤独だったけれど、不思議と怖くはなかった。液晶越しのリアリティの欠けた彼の姿は、他の何よりも愛おしかった。会うことを拒んだのは彼の気持ちに冷めたんじゃない。

私は、心から追い出すことはできないままだった。

「同じく附属病院の医者の峰岡大智です。担当は泌尿器科です」

最後のワイシャツメガネの自己紹介を終えた時、マリが心配そうに顔を覗き込んできた。ごめん、三原則守れなかった。

「文緒?どうした?」

涙ぐむ私の目を見つめたまま、彼は優しく微笑んでいた。

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