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会えなくても、もう大丈夫

外国に暮らすあの子から、結婚式に来られなくなってしまった、と連絡があった。わたしと彼女の人生のタイミングが今回は合わなかった、みたいだった。今、あなたがそこにいるべきだということを十分に理解したよ。だから、大丈夫だと思った。会えなくても大丈夫。そう率直に思った。彼女を思うだけで、わたしは勇気をいつももらっている。今日は、あなたに向けて、あの子に向けて、文章を書くことにする。

0から切り拓いていく人だった。彼女がもっているまっすぐとした芯の強さに、わたしは入学式のあの日にすでに惹かれたのだと思う。大学に入って、いちばんはじめに出来た友だちが彼女だ。強さの裏にある、繊細さと優しさがわたしは大好きだった。クールそうで、本当は人一倍、温厚な人だった。涙を流す人だった。彼女はわたしの前で何度か泣いた。何度か弱音を吐いた。でも何度も決意をして、何度も立ち上がった。その意思を近くで見られた私はラッキーだったし、友達でいてくれて本当にありがとう、といつも思っていた。

大学3年生になったとき、「ベンガル語を学びたい。」と言って転学した。すごくすごく大変なことだったのではないかと思う。経験していなくても分かる。面倒臭さと大変さを掛け合わせると、どれほどの労力があの頃彼女にかかっていたのだろう、と感心する。

それで彼女と離れ離れになった。物理的に。離れた気持ちはなくて、その過程をシェアしてくれる中で、わたしはぐっと更に近づけた気持ちでいた。

彼女はその後、しっかりベンガル語を学んで、そして気づいたらインドに行ってしまった。また離れてしまった。物理的に。それまでの間に彼女はたくさん迷いながら、チャレンジしながら、インドに辿り着いた。書いたら怒られるかもしれないけれど、婚約破棄までされた。彼女は泣いていたけど、笑っていた。泣きながら笑っていた。その姿が美しかった。わたしはどうしてもインドに辿り着いた彼女に会わないと行けない気がして、ひとりでインドに行った。

インドは混沌としていて、遠くて、分からなくて、怖くて、心身ともに疲弊した。でも、彼女に会いたくて、3時間も遅れてやってきた寝台電車に乗った。その後に会った彼女のエネルギーをわたしは一生忘れたりしないと思う。

それから、月日が経って、もう離れることは無くなった。遠くにいたけど、心配することもされることもきっとなくなった。私たちは前を見て、進んで、信じていれば大丈夫だ、ともう思えるようになったから。

去年、彼女がオーストラリアに旅立つ日に、空港に見送りに行った。まだがらがらの国際線のターミナルで、営業しているお店を見つけるのがやっとで。やっとたどり着いたターミナルから少し離れたカフェで、朝ご飯を食べながら語らったこと。出会った日からなんにも変わらない優しさに触れたこと。

それだけでわたしたちはしばらく会わなくても大丈夫だという確信があったし、これからの人生、一生交わり続けるんだろうな、という確信もあった。きっと、これから何度も会うのだと思う。

だから、3月にあなたに会えないことはなんてこともない。もちろん会いたかった。すぐに会えなくて寂しい。でもお互いに守ってくれる人がそばにいるし、きっと笑ってるし、きっと泣いてる日もあるだろうけど、そういうときは連絡くれるし。だからとにかく大丈夫なのだ。

わたしたちはずっと、友だちだ。

それが全てで、それだけが望みだった。
次に会うときもきっと、わたしたちは忙しなくキャッチアップして、溜まりに溜まった未来への野望を時間をかけて話すだろう。いつだって未来を見続けるあなたに、優しくて、温かくて、ちょっと困難があって、でも楽しい日々が訪れますように。いつもいつも、願っている。

人と人は、ずっと一緒、なんてことはないと思う。基本はひとりだ。人生という道がみんなそれぞれあって、続いていて、真っ直ぐではなくて、だからくねくねしながら他人と交わる。しばらく同じようにくねくねするひともいるし、ほんの一瞬交差するだけのひともいる。

交わり続けるひともいる。交わっていないのに同じスピードのひともいる。

交わりたくてももう交わることができない平行線になってしまった人もいる。そうやって交わって、ほんのひとつでも思い出ができたら、それは奇跡なんだと思う。わたしとあなたが出会えた奇跡。ただその一瞬をずっと信じているのかも、しれない。

サムネイルはこの人混みの中から彼女を見つける前の瞬間。キラキラの笑顔で現れたあなたを今でもふと思い出す。

親愛なる友へ

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