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誰のために書くのか

誰のためでもない。
たしかに、読み手がいるおかげで私が書くことの「意味」みたいなものは残る。(ひとりで書く日記は、書こうという意欲もなかなか湧かない。書くキッカケになるのは一応読み手がいるかも知れないnoteという場。私にとっての放つ先。)
もし、読み手になりうる人が絶対にいない、閉鎖的な場に文章を書こうとしても私はなかなか書く気になれない。

でも、やはり、誰かのためではないので結局私の好きなように書いても良い。


気になる、誰かの評価。
実際に誰かからお咎めを受けることなんてないんだけれど、もし〜たらどうしよう…と気にしつつ、普段の何倍も注意を払って文章を書いているつもりである。私の意味することが変なふうに伝わらないようにと、言葉の選び方や脚注など気にしている。

スキの数も気になる。

書いて公開して、読み手がいるのだとしたら。
他人からの評価がついてしまうのは仕方がないこと。私もまた、時々他人さまの作品を覗いてアレコレ考えたりもする。



ときどき、思うのは、自分に素直になるために書こうということだ。みんなが色々な意見を書いていくnoteでは、人ごとの良し悪しがあったりするかもしれない。
しかし自分の感じることと思うことには、本来は良いも悪いも間違いも正しいもない。
私は私に誠実である。ただ在るわたしの気持ちに、素直なわたし。


だから、私は極力、他人を気にせず書いていこうと思う。

それが私の今やっていけることな気がするから。

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