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拝啓、ホイヴェルス先生—能「復活のキリスト」〜天神亭日乗13

十二月二十五日(日)
 宝生能楽堂 宝生流「復活のキリスト」
 待ちに待ったこの日。ホイヴェルス先生の書いた能がこの東京で演じられる。
 ホイヴェルス先生とは、イエズス会のヘルマン・ホイヴェルス神父である。上智大学の第二代学長であり、聖イグナチオ教会の主任司祭としても長く司牧した。日本の文学や芸術を深く研究され、ご自身も日本語でストレートプレイの演劇はもちろん、能、歌舞伎の脚本も書かれている。また昭和六年公開の映画「殉教血史 日本二十六聖人」の脚本もこのホイヴェルス師の作である。

 ホイヴェルス神父の名前は知っていたものの、私が長じたときには既に故人であり、実際に著作やその人となりに触れることはなかった。
 しかし二〇〇六年。フランシスコ・ザビエルの生誕500年の記念行事で師が書いた戯曲「聖フランシスコ・ザビエルの来朝」が勤務先の大学で上演されることになり、私も学生たちに交じって舞台に立った。ザビエル来朝のエピソード、ザビエルと僧忍室との宗教をめぐる対話、群衆との科学、天文にまつわる問答などがしっかり書き込まれている。そのうえ劇としての娯楽性も有したもので、私の出番などはとくにそのコメディパートであった。ザビエル様ご一行を迎える薩摩の武家の一家のドタバタが描かれていたのだ。椅子がないからと笑点の大喜利みたいに座布団を積み上げる奥方が私の役。もしかしたらホイヴェルス神父もそのような歓待を受けたことがあったのかもしれない。

 学生たちとの舞台を思い出しながら、水道橋、宝生能楽堂の正面席に腰かけた。
 最初に宝生流の若き宗家で本日の「復活のキリスト」のシテを務められる宝生和英師とイエズス会の李聖一神父との対談があった。宗家からこの能の公演の歴史や背景、今回の演出などについてお話があった。李神父からはホイヴェルス神父の紹介とご自身の思い出、そしてこの能でホイヴェルス師が描こうとしたキリストとの内的な出会いについて語られた。

 はじめに能「隅田川」が演じられる。ホイヴェルス師はこの「隅田川」に着想を得て能「復活のキリスト」を書いたという。この「隅田川」は能の名曲だ。記憶に新しいのは宮藤官九郎が能の家を描いたドラマ「俺の家の話」。この曲をストーリーと見事に絡ませ、そしてまた主演である長瀬智也の俳優としての最後の出演という現実も合わせ、感動的な物語を作り上げていた。
 能「隅田川」は子を失った女の物語である。人買いにさらわれたというわが子を探し隅田川までたどり着く。そこにある塚。それが悲しくも命果てたわが子の塚であった。
シテの静かな謡と佇まい、左手をすっと顔の前に。「シオリ」と呼ばれる能の「泣き」の型だ。泣いている。母が泣いている。
——なむあみーだーぶーつー なむあみーだーぶーつー
 子方の声が塚から聞こえた時、私も涙がこぼれた。ホイヴェルス神父もこの能に心揺さぶられたというが、これはまさにピエタの姿だ。磔刑からおろされたイエスを抱き、涙する母マリア。世阿弥の息子元雅が描いた哀しみの母の姿とシンクロする。今日のプログラムの「隅田川」の選択は「復活のキリスト」創作のきっかけとなったというだけでなく、このピエタの姿の続き、つまりキリストの墓につながるという物語の流れもあるのかもしれない。

 休憩のあと、狂言「十字架」。この作品は三宅藤九郎作の新作狂言。銀色に輝く十字架を人が演じるという斬新な演出に驚き、大いに笑った。

 笛の音とともに、能「復活のキリスト」が静かに始まる。能の舞台はキリストが葬られた墓の前である。死んだ師に香油を塗るために墓の前に立つ女たち。しかし墓石が転がされている。そこで子方の天使の声。
「汝らは 死にし者のうち生けるものを 尋ぬるや ここに在さず視よ。納めしところはここなり」
「隅田川」では死児の霊が念仏を唱えていたが、一転、この物語では天使が復活を告げる声となる。
 白い衣のキリストが現れる。これも聖書の言葉のとおり
「女よ。何を嘆くぞ。誰を尋ぬる」
と女たちに語りかけるのだ。そして鼓と笛の音にあわせてキリストが舞う。復活のキリストが輝く衣をまとい神への賛美とともに舞うのだ。
 キリシタン時代にもおそらく多くの宣教師たちが各地で能を見ていただろう。その宣教師の系譜につながるドイツ人神父が自らの信仰と布教の意志をもって、そしてこの日本人と日本文化への愛情を注いでこのような能を作り上げたことに感動を覚える。ああ、もう少し早く生まれて、ホイヴェルス先生と世阿弥の能や万葉集、古今和歌集について語りあいたかった。業平、実朝、右近にガラシャ・・・きっと話は尽きない。

 シテのキリストがゆっくりと橋がかりに消えていく。私もホイヴェルス先生と時を超えて語り合えたような、そんな時間だった。

*歌誌「月光」77号(2023年2月発行)掲載
*写真は宝生能「復活のキリスト」(2022年12月25日公演)チラシより


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