【短編小説】嘘つきと約束

(7234文字)

 しんしんと降り積もる雪に足をとられないよう気をつけながら、早足で自宅アパートを目指す。自室に帰宅して、電気をつけると、そこには高校時代の友人が、高校時代の背恰好で居た。
「うわ! ミカが……お、大人だ!」
 わたしの顔を見るなり驚いた顔でそう声を上げた彼女の、まだ子どもっぽさを多分に残したその表情は、紛れもなく高校時代のセイナとしか思えなかった。そんな彼女は、制服姿でこたつに足をつっこんでいた。
 あまりのことにしばし唖然としてしまったわたしだったのだけれど、彼女の台詞の『……』の部分になんだか失礼なニュアンスを感じ取ったものだから、
「なに、その間」
 と問い詰めるのが、わたしの第一声となった。
「ううん、なんでもないよ。本当に」
 と斜め上に視線をそらして口をとがらせるセイナ。あー、そうそう。嘘をつくときはこういうとぼけた顔するから分かりやすいんだよね、この子。
「え、ってか、え。うわ、本当にミカだ。大人のミカだ」
「そんなに人の顔をじろじろ見るもんじゃないよ」
 事の奇天烈さと相反した、えー、とか、うわー、とかいった能天気なリアクションもまさにあの当時のセイナのままだったから、わたしもよく事態を呑み込めないものの、ノリだけはあの当時に戻ったのだった。
「よく、すぐにわたしだって分かったね、セイナ」
「そりゃ分かるよ。顔、そんなに変わってないもん」
「老けただけ?」
「うんうん。老けただ……あ」
 咄嗟に口を手で抑えるセイナ。やっぱりな。そりゃあJKから見たら老けて見えるでしょうとも。
「あ〜……ってかさ、え、これって何年ぐらい経ってるの?」
 慌てて話題を変えるセイナ。ちょうど10年ぐらいかな、と答えると、彼女はそれほど驚いた様子も見せずに、そっかぁ、と部屋を見回した。そうしてしばらくぼんやりしていると思ったら、今度は唐突に吹き出す。
「10年後の未来に突然来て、10年後のミカと話してるとか、なんかウケるんですけど」
「わたしからしたら、突然10年前のセイナがうちに居て、話してるわけなんですけど」
「だよねー、ウケる」
 セイナは口を手で抑えて、くっくっくっ、と堪えきれない笑い声を漏らす。その仕草も独特の笑い方もやっぱりあの頃のままで、ああ、本当に今わたしは高校時代のセイナと話してるんだなぁ、という実感が遅れてやってきた。
「……とりあえず、お茶でも飲む?」
「あ、もらう」
「みかんは?」
「要る」
 わたしはキッチンに行って、二人分のお茶を淹れて戻ってきて、みかんも二個持ってきて、こたつの上に置く。そうしてようやく、わたしもこたつに入ることができた。寒空の下で雪にまで降られて冷え切った足先が温まって、しびれるような感覚がじんわりと広がっていく。
 二人してみかんの皮をむいて食べる、無言の時間がしばらく続いた。
「セイナさ」
「んー?」
 みかんに意識を集中させながら、セイナは声だけで返してくる。
「せっかく10年後の未来に来てるんだから。なにか、聞きたいこととかないの?」
「……んー、そうね。わたしもそう思って考えたんだけど、特にないんだよね〜」
 そんなものなんだろうか。わたしだったら、いくらでも聞きたいことが思いつきそうなものだけど。
「だって、これが50年先の未来とかだったら、めちゃくちゃ色々変わってそうだけど。10年だからね〜、なんか微妙な感じ。なにか変わったことってあった?」
 そう言われるとたしかに、とりたてて話すような大きな変化となると、ちょっと思いつかないかも知れない。パンデミックとか世界情勢の変化とか色々あったけれど、それをこの10年前のJKに聞かせても『おー、未来』ってなる類のものじゃない気がする。
 なにか、あっと驚くような分かりやすい変化ってないかなぁ、なんてうーんと頭を悩ませる。
「……アイフォン、最新が15まで出てるよ」
「あー。まあ、10年あったらそれぐらいは行くよね」
 これは、彼女の未来観をさほど刺激しなかったらしい。
 あれでもないこれでもないと考えた末、そういえばセイナってお笑い好きなはずだったな、と思い出した。
「えーっとね。エムワン復活したよ」
「えっ!?」
 案の定、目の色を変えて食いついてくる。
「それ本当? ザ・マンザイじゃなくて?」
「うん」
「いつの話?」
「2015年から、毎年」
「うわー、来年からじゃーん」
 しくったー、とおでこに手をあてて残念がるセイナ。「え、じゃあもう9回ぐらいやってるってこと? 歴代優勝者は?」と言い出すので、さすがにそこまでは詳しくないわたしはスマホを取り出して検索しはじめる。
 わたしのスマホを受け取って、エムワン歴代優勝者の一覧を眺めていた彼女は、唐突に「げっ! マヂラブ!?」とまた素っ頓狂な声を上げた。その驚きの表情のまま、口をあんぐりと開けてこちらを見てくる。
「これ、本当?」
「うん。多分」
「そうかー……マヂラブか〜……」
 そう言うと彼女は虚空を見つめて、感慨深げにゆっくりため息をついた。
「本当に未来なんだね、ここ」
 そこで実感するんかい。

「ミカは独り暮らしなの?」
 みかんを食べ終えた後、しばらくぼんやりしていたセイナが、おもむろに口を開いた。
「うん、そう」
「仕事は?」
「やってるよ。今日だってしっかり残業してきました」
「うへー、大変だ。だからこんな遅かったんだ」
 言いながら彼女は時計に目をやる。時刻はすでに11時半を過ぎている。
「ブラックじゃん」
「いや、みんなこんなもんだよ」
「うげー、社会出たくね〜」
 とセイナは渋い顔をつくる。
「小説は? まだ書いてるの?」
「ああ……」
「小説家になるのが夢だったじゃん」
「まあね。ちょくちょく書いてはいたけど、最近忙しくて、なかなか」
「……そっか。うわー、そうなんだ〜」
 彼女はますます渋い顔をつくると、腕を伸ばして卓に上体を投げ出すようにした。
「なによ」
「だってさ〜、あのミカがだよ? 受験勉強の合間を縫ってまで小説書いてはせっせと色んな賞に応募してるミカがさぁ、毎日クマつくっては『快作が書けた……』って不気味に笑うミカがさぁ、『こら読め、そら読め』って是が非でも読ませようとしてくるミカがさぁ……大人になったらあんまり書けてないって……なんか残酷な現実っていうか、なんていうか」
 組んだ腕に顔をのっけたセイナは、口をとがらせて続ける。
「覚えてる? こっちの……高校生のミカって、ちょくちょくどうしようもない嘘ついてきて、わたし、よく騙されちゃってるんだよ」
「そうだっけ」
「そうだよ。ほら、覚えてない? 小学生のときにさ、ところてんと玉子は一緒に食べるとお腹の中で爆発するんだよ、とか。中学生のときは、人体切断マジックは元々大昔の処刑を見世物にしていた名残なんだぜ、とかさ。本当にしょうもない嘘ばっかり」
 うーん。それを信じる方もどうかとは思うけれど。
「……でも、大人になったミカは、まだ一回も嘘を言ってこないよね。……ちょっと、変わったってことかな。まあ、嘘なんてつかないに越したことはないんだけどさ」
 そう言ってまた、社会出たくね〜、と嘆く。その少し寂しそうな姿に胸が詰まるような思いがして、うまく言葉を返せなかったわたしは、テレビをつけて誤魔化すことにした。画面には、深夜のバラエティが映っていた。
「お。この芸人、MCやってるんだ」
 へー、10年で売れたんだねー、とこたつに頬杖をつきながら、テレビに見入るセイナ。わたしは湯呑みやみかんの皮を片付けて、ふたたびこたつに潜り込んで、一緒にテレビを観た。
 しばらくそうやって、お互い無言でぼんやりとバラエティを観ては、時々笑い声をこぼしたりする。くっくっくっ、というセイナの声がまた響いた。
「あ。もう50分だ」
 やがて、おもむろに彼女が口を開いた。
「こういうのって、あれだよね。大抵、0時になったらわたしが消えちゃう流れだよね」
「そうかな」
「シンデレラみたいな」
「大分違う気もするけど」
「まあね」
 そこで、わたしはずっと頭にあった疑問を尋ねることにした。
「そもそも、セイナはさ。どうしてここに居るの?」
「え?」
「10年後のわたしのところに居る、意味」
「……いや、分かんない。気づいたら、居た」
「気づいたら?」
「うん」
 セイナは、記憶を引っ張り出すように頭を傾げた。
「……ほら、わたしたち、合格祈願に一緒に神社にお参りしたじゃん。多分ミカからしたら10年前のことなんだろうけど。わたしにとっては、ついさっきのことで」
「うん」
「その帰りにわたし、雪で滑って階段の上から転げ落ちてさ。あ、っと思う間もなく頭にすんごい衝撃? ガツーンっていうか、もっと、大事なものが砕けちゃったぐらいのヤバいヤツっていうか」
「うん」
「それでハッと気づいたらこの部屋にいて。ここどこだろうな〜、なんて考えてたら、大人になったミカが帰って来たからさ。ああ、ここミカの家なんだな、って」
「……うん」
「……あ、これって不法侵入ってやつになるかな?」
「いや、大丈夫だと思うけど」
「そっか」
「うん」
 黙るセイナとわたし。テレビから流れるバラエティの賑やかな音が、まるで遠くから聞こえてくるかのようだった。
 窓に目を向ける。カーテンの隙間から、向かいのマンションの明かりがぽつりと見えて、それもまた遥か遠くに感じられた。今日一日の仕事でのごたごたとか疲れとかストレスとか、ますます勢いを強めているだろう雪のこととか、そういった諸々もみんな遠く遠く離れていって、今、セイナとわたしが向かい合っているこの場所、この沈黙だけが、ほかの何物からも浮かび上がって感じられた。
「わたし、死んじゃったんだね」
 セイナがぽつりと言った。その目は真っ直ぐにわたしの顔に向けられている。
 わたしは彼女の顔を見ずに、目を伏せてしまった。
 それを肯定の合図だと思ったみたいで、セイナは「やっぱりね」と、また小声で呟いた。
「転がり落ちてく瞬間にさ。あ、コレ絶対無事じゃ済まないやつだな、って思ったんだよね。そしたら案の定、こんな訳分かんないことになってて。ミカが大人になってて。
 ……でもさ、もしわたしが化けて出てるんだとしたらさ。相手がミカだって言うのは、納得できるんだ。だって、ミカはわたしの一番の友達で。ずっと、友達でいようね、って約束してて。それ以外にも、たくさん、たくさん約束してて。
 ……でも。たくさん、たくさん約束したのに、守れなかったんだね。本当にごめんなさい」
 話していくほどに彼女の顔は歪んでいって、瞳はうるんでいって。最後には力なくうだれるように、頭を下げてきた。
「死んでないよ」
 わたしは、努めて平静な声を保って言った。
「10年前からセイナが、どんな人生を送ったか、教えてあげる。
 セイナはね、たしかにあの後昏睡状態になったけど、1週間で目が覚めて、奇跡的に後遺症もなかったんだ。だけど、流石にその年受験することはできなくて、浪人することになる。ただ、浪人生活であんまり自分を追い込めなかったのか何なのか、次の年も受験には失敗した。
 やけっぱちになったセイナは、二回目の浪人時代に、オーストラリアにホームステイする。そこで出会ったたくさんの人や動物たち、そして大自然に触れて、人生観が大きく変わることになるんだ。そうしてその年、ついに大学に合格するわけ。
 語学の勉強に目覚めたセイナは、単身アメリカへ留学することになる。で、向こうの大学院まで修了して、現地の一流企業に入社することになる。そこでばりばりキャリアを築いている真っ最中。今や、わたしの比じゃないぐらいに多忙を極める毎日なんだよ。
 それでしばらく会えてなかったんだけど、明日には、高校の同窓会があるんだ。そこでセイナとわたし、ひさしぶりに再会する予定だよ」
 ずっとうなだれていたセイナは、そこまで聞くと、顔を上げた。うるんだ瞳をまた真っ直ぐに向けてくる。わたしは、今度は目を逸らさず、真正面から見返した。
 しばらくじっと、真偽を見定めるかのように見つめてきた彼女は、やがてふっと軽く笑みを浮かべた。
「さすが、嘘つき。ぺらぺら嘘が出てきた」
「……バレた?」
「バレバレだよ。そんな、泣きそうな顔してたら」
「……そっか」
「やっぱりミカ、嘘つくの下手になったね」
 セイナはそこで、深く息を吸うと、
「……でも、面白い嘘だった」
 そう言って、改めて笑顔を作り直した。
「それで一本、小説書いてよ。で、完成したら、わたしのお墓に供えて」
「……どうしてそうなるの」
「だってわたし、ミカの書く小説、好きなんだもん」
 セイナのあどけなさの残る無邪気な顔。作っているとはいえ懐かしいその笑顔に、わたしの胸の内が揺らいだ。
「でも、本当に、長いこと書けてなくて」
「それでもいい。お願い」
 そうだ。セイナはお願い事がうまかった。声色の使い方が巧みだった。こんな風に甘えた声を出されると、
「……わかった」
 わたしは、こう返さざるを得ないんだ。
「じゃあ、約束ね」
 セイナは小指を立てて、わたしに近づけてくる。わたしも同じようにして、彼女に近づける。そうしてお互いの小指を絡ませて、わたしたちは指切りげんまんをした。18歳の彼女の指は白くてしなやかで。28歳のわたしの小指はささくれ立っていたから、少し恥ずかしかった。

 ゆーびきーりげーんまーん……

 セイナの声がおまじないの言葉をゆっくりと歌い上げる。その声は細く、けれども伸びやかに響いて、耳心地よくて。わたしは聞き惚れて、そっと目を閉じた。
 それからわたしたちは、たくさん交わしてきた約束を数え上げていった。わたしからしたら10年前の、約束。彼女からしたら、つい最近したばかりの、約束。

 同じ大学に入ろうね。
 受験が終わったら、卒業旅行は沖縄に行こうね。
 成人したら、一杯目はビールで祝杯をあげようね。
 お互い恋人が出来たら、ダブルデートしようね。
 毎年夏は地元に帰って、一緒に夏祭りに行こうね。
 お互い社会人になって忙しくなっても、頻繁に連絡は取り合おうね。

 いつまでも、いつまでも。友達でいようね。


 目を覚ましたとき、わたしはこたつに突っ伏した体勢で、右の頬を卓にべったりとつけていて、口からは涎まで垂らしていた。口元を拭いて、こたつから抜け出そうとすると、ぞわっとするような寒さに包まれて身が震えた。う〜、と悶えながらもなんとかこたつから這い出て立ち上がり、窓の方へ行ってカーテンを開け放つ。窓の外には、白銀の世界が広がっていた。手前の駐車場に停めてある車の数々も白い帽子を被っていて、アパートの住人たちが何人か、雪かきに勤しんでいる。
 真っ白な世界を目の前に少し伸びをして、こたつの方を振り返る。昨日セイナが座っていたところは、今はもぬけの殻だ。けれども、こたつ布団はわずかに持ち上がっていて、誰かがいた形跡をたしかに残していた。
 わたしは息を吐くと、壁に立てかけた自分の鞄の方へ行き、中からノートパソコンを取り出すと、再びこたつに入り直す。ノートパソコンの電源を入れ、ワードを開き、新規作成を選択する。まっさらな画面にカーソルだけが点滅しているのをぼんやりと見やって、しばらくして深くため息をついた。
「やっぱり、嘘はつくものじゃないな」

 ところどころ凍結した歩道を滑らないように、小股になりながらゆっくりゆっくり歩いていく。遅々として進まない歩みを慎重に一歩一歩運んでいくと、ようやく目当ての店が目に入った。
 店内に入ると、すでに旧友たちが何人か集まっていた。ひさしぶりー、とか、元気だったー? とか挨拶を交わして、旧交を温めている最中、
「おーい、嘘つき」
 後ろから脳天気な声で辛辣な声をかけられて、振り返る。そこには、数年ぶりに会う親友の姿があった。
「いきなり人聞きの悪い」
「だって本当のことじゃん」
「わたしは嘘なんてついてないよ」
「ついてたよ。だって、死んでないじゃん」
「わたしは死んだなんて一言も言ってません」
「いやいや、いかにもそれっぽい雰囲気醸し出してたじゃん」
「いやいやいや。勝手にそんな流れにしたのはそっちだから」
「10年間、言えなかったんだぞ、こっちは」
 28歳のセイナは、まるで18歳の少女みたいに頬を膨らませている。
「10年前、階段から落ちた後、大人のミカと話す不思議な夢を見てさ。あたかもわたしが死んだみたいな空気を出してきたものだから、ああそうなんだなって。ちゃんと成仏しなきゃって。……と思ったら次の週にはバッチリ意識が回復してるじゃん。いやいや、嘘じゃん! って。死んでないじゃん! って。突っ込みたくて仕方なかったけど、何も知らない18歳のミカに言えるわけもないからさ。ずっと黙ってたんだから」
 まさかそんなに辛抱していたとは、露知らず。
「しかもさ、あのとき話してたわたしの半生はどういうこと? わたし結局、浪人もしなければホームステイもしなければ英語だってからっきしだったんですけど。今だって普通に国内で働いてるわけなんですが」
「そこに関してはごめん。なんか、嘘つかなくなったね、って言われたらちょっと悔しくなっちゃって……口からぺらぺらと出任せが」
「迫真の泣き顔までして」
「ほんとごめん。でも、上手かったでしょ」
 まったく、と彼女は軽く息を吐く。
「でも、約束のものはちゃんと書いてきたよ。短編を一本ね」
 わたしがそう言うと、セイナは目を丸くした。
「10年前約束した、あの小説?」
「セイナにとってはね。わたしにとっては、昨夜の約束」
「……本当に書いてきてくれたんだ」
 そっちが書いてこいって言ったんだけどね。
「さすがにもうちょっと推敲したいから、あとでラインで送るから」
「……分かった」
 そして、セイナの表情はふっと柔らかくなって、
「ひさしぶりのミカの小説、楽しみにしてるね」
 そう言って、くっくっくっ、と笑った。

(終)

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