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『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』における語りの妙

私がオタクくんになったきっかけである作品『俺妹』は、ライトノベルだからと侮ることのできないほど、"何を語るか"だけでなく"どう語るか"が意識されている作品です。そのため、今更ではありますが、ライトノベルの中ではトップクラスに意識された、本作の語りについて考察したいと思います。

一人称視点の語り

本作は、主人公である京介が読者に向けて語りかけるようにして始まります。京介は、読者をまるで友達と話すかのように、妹との関わりについて説明し、こんなことがあったんだよと文句混じりに語ります。そのため、本作は、主人公である京介による一人称視点で語られる作品となります。

ところで、物語の視点には基本的に一人称視点と三人称視点がありますが、一人称視点を活用することのメリットは何でしょうか。

一人称視点の強みとしては、語り手の認識と現実との齟齬によるアイロニーが挙げられると思います。一人称視点ではあくまで語り手が知り得る情報のみしか語ることはできず、場合によっては、語り手の認識が間違っていることで、読者に間違った情報を伝えてしまう可能性があります。しかしながら、それを逆手にとって、あえて、語り手が事実とは違った認識をしていると読者に分かるようにすることで、主人公の行動にハラハラさせるような緊迫感が生まれます。

本作も例に漏れず、語り手の認識と現実との齟齬を利用し、物語の推進力としています。それが顕著となっている部分が、まさに、妹である桐乃の京介に対する感情です。

物語の始まり、京介と桐乃の仲は険悪であり、桐乃は京介をバカにして相手にしていないかのような描写が見られます。しかし、物語が進むにつれて京介と桐乃の仲は進展していきます。それでも、本作の中盤あたりまで、京介はこう言い続けていました。

桐乃との関わりは増えたけど、それでも俺たちはお互いを嫌い合っているんだ、と。

本当にそうでしょうか。
既に本作を読んだ方は分かるでしょうが、桐乃の京介に対する評価は幼少期からほぼ変わっていません。桐乃は、京介が幼少期の頃のようにやる気に満ち溢れた人物に戻って欲しいと願いつつも、人が変わった原因は京介自身にではなく、幼なじみである田村麻奈実にあると思い込んでいます。

また、桐乃が京介に対してかなりの好意を持っていることは物語の端々で描写されています。つまり、語り手である京介は桐乃に嫌われているという認識であるのに対し、事実としては桐乃は京介のことを憎からず思っており、そのことは読者にも伝わるように語られているのです。

そして、この認識による齟齬によって生じた推進力の結果が、京介と黒猫の交際、という着地点に落ち着くのです。京介からすれば、桐乃に対する気持ちの整理がつかず、また、桐乃から嫌われているという認識から合理的に考えたつもりでも、読者からすればまさにメインヒロインたる桐乃は既に好感度MAXであり、いつでもウェルカム状態にも関わらず、まさかの展開ということになるのです。

回想形式の語り

ここまで読むと、いわゆる勘違い系のライトノベルのように聞こえますが、本作にそのような印象を持っている方は少ないと思います。勘違い系のライトノベルというのは、もはやネットミームになっている「あれ、俺またなにかやっちゃいました?」という主人公の素っ頓狂なセリフに象徴されるように、主に、主人公の能力に対する主人公自身と周囲の認識がかけ離れており、主人公は自覚なく物語の推進力を担います。

例を挙げれば、本作と同じラブコメである『ゲーマーズ』(著:葵せきな)は、勘違い系ラブコメの典型ですよね。一人称視点の小説の場合、語り手が知り得ない情報は語ることができません。それを逆手に取った『ゲーマーズ』は、主に6人の登場人物のそれぞれの一人称視点から語ることによって、登場人物ごとの認識の差を明らかにし、その空隙から生じるドライブ感を物語の推進力として上手く利用しています。

本作が勘違い系ラブコメではない理由の一つは、一人称視点でありつつも回想形式によって語られている点にあります。京介が読者に語りかけている、という設定から分かるように、そもそも現在進行形で起こっている出来事を実況するかのように語っているのではなく、語り手たる京介にとっては本作の内容はすべて過去の出来事であり、物語の当時に京介自身が知り得なかった情報までもが語られているのです。

つまりは、一人称視点小説では否応なく生じてしまう認識の齟齬を、回想形式という語りによってある程度コントロール可能としているのです。

純文学の作品では、何を語るか(what)よりもどう語るか(how)が重要視されます。少し前にノーベル文学賞を獲得したカズオ・イシグロ氏は、いわゆる”信頼できない語り手”を得意とする作家と言われます。
例えば、語り手が、過去を美化し過ぎていて語られる内容が真実であるのか読者には判断がつかないとか、他の登場人物のセリフから明らかに語り手との認識の齟齬があることが分かるだとか、読者を翻弄するような語り手をそのように呼ぶことがあります。

本作では、語り手たる京介を信頼できないとまで評するにはあたりませんが、それは回想という形式をとって、認識の齟齬を調整しやすくする工夫によるものでしょう。

終わりに

本作の作者である伏見つかさ先生は、1月10日に新作『私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない』を発売されました。またまた妹モノのようです。
筆者は、前作の『エロマンガ先生』はアニメは観たもののいまだ原作小説は未読です。『エロマンガ先生』が完結したためなのか、kindle unlimitedに『エロマンガ先生』全巻が追加されています。

何を語るかよりもどう語るかを意識しているライトノベル作家は非常に少ないことから、伏見つかさ先生の作品には、筆者も期待で胸を膨らませています。まずはkindle unlimitedに『エロマンガ先生』が追加されているうちにすべて読みたいと思います。皆様もぜひ。

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