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画家としてこの地上に立つための   二つの魂

芸術家が芸術家として自己確立するのは容易ではない。私はかつて芸術家がこの地上で芸術家として自己を確立するには、二つの魂を持つことが不可欠だと書いたことがある。その一つは貧乏に耐えるという魂である。作品が次々に売れて、高級マンションに住み、広いアトリエを構え、ジャガーを乗り回すという生活などまずやってこない。大半の芸術家は貧乏という生活から脱出できない。どこまでいっても脱出できない。どんな傑作を描こうとも貧乏な生活から抜け出すことはできない。したがって芸術家としてこの地上に立つには、なにはともあれ貧乏という生活に挫折しない強靭な魂をつくることなのだ。

芸術家にはさらなる苦難と試練が横たわっている。自分の作品はついには売れないのではないのか。ついには無名のまま朽ち果てるのではないのか。彼の作品を受け入れなかった社会は、落書き程度の絵を描いて生涯を浪費した人間失格者として埋葬するのではないのか。それは芸術家の肺腑をえぐるばかりの恐ろしい予言だった。しかしその予言はやがて現実になる。苦難の果てに待ち受けるのはそういう現実だった。芸術家として生きるとは一歩一歩その現実に近づいていくことだった。社会は彼らの作品を受け入れない。彼らをごみのような絵を描いた社会の落後者として葬り去る。芸術家はその現実をはっきりと知らなければならない。芸術家として生きるとはその現実をしかと受け止めることである。

ではいったい画家はどこに向かって歩いていけばいいのか。いったい画家は何を支えにして生きていけばいいのか。天職とは神から届けられた声であった。画家として生きよ。どんな苦難にもめけず、その生涯を画家として生きよという神の声を聞いたから、画家として生きる決意したのだ。だとするならば、その声のする方に歩いていけばいいということではないか。その声のする方に神の指があるに違いない。その指に触れるために描いていけばいいのではないのか。

絵が売れなくともそんなことは問題ではない。彼の絵が社会に認められなくともそれもまた問題ではない。無名のまま生を終えたって、それは敗北でも落伍でもない。画家たちを苦しめるそれら圧倒的現実に打ちのめされることなく、ただひたすら神の指に触れるために描いていけばいいのだ。コーリングという英語はまことに天職という言葉の意味をよく語っている。一人一人の内部で起こる魂のドラマのなかで聞こえてくる声である。神の指に触れるために決然として歩いていくというドラマを自己の内部に作り出す魂、それこそ画家が画家として自己を確立していくもう一つの魂である、と私は自らの内部に向けて書いた。

んかすい


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