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心がいきいきと躍動し、生きていることへの感謝が湧き上がって来る

美智子皇后陛下基調講演   3
子供の本を通しての平和──子供時代の読書の思い出

 
 
 疎開中に父が持って来てくれた本の中で、あと三冊、私の思い出に残っている本があります。これは兄の持っていた本で、いつか読みたいと思っていたものを、父に頼んで借りてきてもらったものでした。三冊共「日本少国民文庫」というシリーズに含まれていました。「少国民文庫」は全部で十五、六冊あり、「人間はどれだけの事をして来たか」「人類の進歩につくした人々」「発明物語 科学手工」「スポーツと冒険物語」などという題で一冊ごとがまとめられています。父はこの時、その中の「日本名作選」一冊と、「世界名作選」二冊を選んで持って来てくれました。
 
 この文庫が始めて刊行されたのは昭和十一年(一九三六年)、兄は五つで、私はまだ二つの頃です。その後戦争中の昭和十七年(一九四二年)に改訂版が出されており、母が兄のために買ったのは、兄の年令から見てもこれであったと思います。今私の手許にあるものは、今から十数年前に入手した、昭和十一年(一九三六年)版のうちの数冊ですが、「名作選」の内容は記憶のものとほぼ一致しますので、戦前も戦中も、あまり変化はなかったものと思われます。
 
 今この三冊の本のうち、「世界名作選」二巻を開いてみると、キプリングのジャングル・ブックの中の「リッキ・ティキ・タヴィー物語」や、ワイルドの「幸福の王子」、カレル・チャペックの「郵便配達の話」、トルストイの「人は何によって生きるか」、シャルル・フィリップやチェーホフの手紙,アン・モロー・リンドバーグの「日本紀行」等が並んでいます。ケストナーやマーク・トウェイン、ロマン・ロラン、ヘンリー・ヴァンダイク、ラスキン等の名も見えます。必ずしも全部を熟読していない証拠に、内容の記憶がかすかなものもあります。
 
 子供にも理解出来るような、いくつかの詩もありました。
カルル・ブッセ,フランシス・ジャム、ウイリアム・ブレーク、ロバート・フロスト…。私が、印度の詩人タゴールの名を知ったのも、この本の中ででした。「花の学校」という詩が選ばれていました。後年、「新月」という詩集の中に、この詩を再び見出した時、どんなに嬉しかったことか。「花の学校」は、私をすぐに同じ詩人による「あかんぼの道」や「審く人」、「チャンパの花」へと導いていきました。
 
 ケストナーの「絶望」は、非常にかなしい詩でした。小さな男の子が、汗ばんだ手に一マルクを握って、パンとベーコンを買いに小走りに走っています。ふと気づくと、手のなかのお金がありません。街のショー・ウィンドーの灯はだんだんと消え、方々の店の戸が締まり始めます。少年の両親は、一日の仕事の疲れの中で、子供の帰りを待っています。その子が家の前まで来て、壁に顔を向け、じっと立っているのを知らずに。心配になった母親が捜しに出て、子供を見つけます。いったいどこにいたの、と尋ねられ、子供は激しく泣き出します。「彼の苦しみは、母の愛より大きかった/二人はしょんぼりと家に入っていった」という言葉で終っています。
 
 この世界名作選には、この「絶望」の他にも、ロシアのソログーブという作家の「身体検査」という悲しい物語が入っています。貧しい家の子供が、学校で盗みの疑いをかけられ、ポケットや靴下、服の中まで調べられている最中に、別の所から盗難品が出てきて疑いが晴れるという物語で、この日帰宅した子供から一部始終をきいた母親が、「何もいえないんだからね。大きくなったら、こんなことどころじゃない。この世にはいろんな事があるからね」と歎く言葉がつけ加えられています。
 
 思い出すと、戦争中にはとかく人々の志気を高めようと、勇ましい話が多かったように思うのですが、そうした中でこの文庫の編集者が、「絶望」やこの「身体検査」のような話を、何故ここに選んで載せたのか興味深いことです。
 
 生きている限り、避けることの出来ない多くの悲しみに対し、ある時期から子供に備えさせなければいけない、という思いがあったのでしょうか。そしてお話の中のでんでん虫のように、悲しみは誰もが皆負っているのだということを、子供達に知ってほしいという思いがあったのでしょうか。
 
 私は、この文庫の編集企画をした山本有三につき、二、三の小説や戯曲による以外詳しくは知らないのですが、「日本名作選」及び「世界名作選」を編集するに当たっては、子供に喜びも悲しみも、深くこれを味わってほしいという、有三と、その協力者達の強い願いがあったのではないかと感じられてなりません。
 
 本から得た「喜び」についても、ここで是非お話をさせて頂きたいと思います。たしかに、世の中にさまざまな悲しみのあることを知ることは、時に私の心を重くし、暗く沈ませました。しかし子供は不思議なバランスのとり方をするもので、こうして少しずつ、本の中で世の中の悲しみにふれていったと同じ頃、私は同じく本の中に、大きな喜びも見出していっていたのです。この喜びは、心がいきいきと躍動し、生きていることへの感謝が湧き上がって来るような、快い感覚とでも表現したらよいでしょうか。
 
 初めてこの意識を持ったのは、東京から来た父のカバンに入っていた小型の本の中に、一首の歌を見つけた時でした。それは春の到来を告げる美しい歌で、日本の五七五七七の定型で書かれていました。その一首をくり返し心の中で誦していると、古来から日本人が愛し、定型としたリズムの快さの中で、言葉がキラキラと光って喜んでいるように思われました。詩が人の心に与える喜びと高揚を、私はこの時始めて知ったのです。先に私は、本から与えられた「根っこ」のことをお話いたしましたが、今ここで述べた「喜び」は、これから先に触れる「想像力」と共に、私には自分の心を高みに飛ばす、強い「翼」のように感じられました。
 


 
 

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