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青天の霹靂 (1)

春の嵐

去年11月15日。
経過観察の定期健診で主治医に言われた。
「婦人科の先生から指摘されましたが、卵巣に小さな影があります。卵巣嚢腫の可能性もあり、と言われましたが、この影は誤差の範囲かも知れないとも思うけど…」

明けて2月7日。
今日から5年目だ。
わーい、5年間再発なしで、めでたく、経過観察も終わる。病院通いも終わる~超幸せ~
去年の針先ほどの影のことなど思いだしもしなかった。

主治医のマスクの上の目が冷たく鋭くなった。
「卵巣が真っ黒に腫れあがっている。この3か月でこんなに……」

画面に映っているCT映像には素人にも分かる卵巣の異常が写っていた。私は声もなかった。今日から5年目、おめでたい最終章に入る予定じゃなかったの?

「私、4月から転勤です。とにかく、長谷川さんの道筋は作っておきます」
主治医の声がどこか遠く聞こえる。
「3月6日に外来入れます。家族のだれか付添って一緒に説明を聞いてください」

娘二人に電話。
遠くでもあり、仕事もあり、次女には小学生の子どももいるのに、と申し訳ない思いで泣きたかった。
90歳近い夫には状況を理論的に理解することは困難だ。頼る人は遠くに住む娘しかいない。

医師は様々な検査を予定に入れた。内視鏡、MRI、他の病院での『ペットCT』とかいうもの。
何が何だか分からないまま、ひたすら検査をこなすしかなかった。

ペットCTでは近所の友人が車で病院まで送ってくれた。うちには車はないし、子供と同居しているわけでもない。不便なところに住んでいるので、病院に行くだけでも大行事なのだ。
感謝、感謝で乗せてもらう

不思議な検査だった。
体の中に放射線を発する薬を入れ、一時間、寝て、薬が体に行き渡るのを待っているのだ。
「身体から微量の放射線が出ているので子供や妊婦には近づかないでください」

自分の体から放射線が出ているなんて、不思議で怖い。一体、自分に何が起こったの?
体調は素晴らしく、生徒さんたちからも「先生、お元気そう。声もバンバン出ていて、マイクなど必要ないですよ」と言われていたのに。

3月6日。
その先生の最後の月だというので外来は恐ろしいほど混んでいた。
待つこと3時間近く。

医師は画面を指しながら説明。
「進行性の卵巣がんです。ただ、大腸がんの転移か、独立してできた卵巣癌かはまだ不明です」
「取らないで放っておくとどうなるのですか」
長女が聞いた。医師は少しの間無言だったが
「3か月でこんなに進行しているから……半年」
あ、余命という意味だな、と分かった。

「私は手術も抗癌剤も受けたくないのです。このまま自然に死ねればそれが私の幸せです」
私の言葉に誰も何も言わなかった。
「結論、来週の外来に持ってきます」
誰も何も言わなかったが、とにかく外来を予約できた。

私たちは疲れ果て、展望レストランへ行った。食べる気力もなかったが、何とか天丼ランチを飲み込んだ。

次女が控えめに言った。
「お母さんは自分はもう死んでもいいと簡単に言うけれど、M子(次女の娘)がお母さんのこと大好きで、子供なりに何か感じて泣いているの。お母さんに生きていてほしいと思ってる人のために生きようとすることも大事だと思うけど」

人のために生きる……。
自分はもう十分生きたからいい、ではなく、私を慕ってくれる孫や、実の子のように付き合ってきた姪や甥のためにも……。
そう……姪からは言われた。
「私にとって美智子おばちゃんは大切な人。ほんとうに卵巣癌だったら絶対に手術して」
4年前の手術の時に甥は毎日毎日メールで励ましてくれた……。

突然、私は決心した。
「できる治療は受けてみる」

長女の顔がぱっと輝いた。
「診察室の中でそう言いたかったけど先生の前で言い争いになるといけないから黙っていたの。そうだよ。治療受けようよ。おかあさん」
「今すぐ、外来に行って、今結論を出しました。手術受けますと、と言おう。一週間、速くなるかもしれないから」

外科外来では、まだ患者が並んでいたが、最後にくっつけてもらった。
待つこと一時間。
主治医が診察室から出てきた。
「手術受けますか」
「はい」
「じゃ、中へ」

「私が執刀します。このまま入院。明日、手術」

そのあと、自分たちがどう動いたか覚えていない。とにかく、私は個室でコロナ検査をされ、娘たちも隔離された。

青天の霹靂とはこのことか。
私は呆然と個室のベッドに腰かけていた。
とにかく、引き受けている公民館の講座をすべてキャンセル、カルチャースクールは辞めるしかない。体調に見通しも予定も立たないのに引き受けるのはいけない。物事には引き際というものがある……。

まずカルチャースクールに電話、
「先生、体調が落ち着いたら復帰してください。4月、5月、6月でもいいです。お席を開けて待っています。どうか元気になってまた授業を」

私は涙を飲み込んだ。
いけない。情にすがっては。みっともない。潔く辞めるのだ……。

主治医が入ってきた。言うまいと思っていたのに、
「手術受けるの、すごく、怖いんです」
「……僕も怖いですよ。立場が逆なら」

そして私は、元気満々の日常から引き離され、翌日の3時(予定では1時だったが手術予定が押せ押せ、で遅れた )手術台の人となったのだ。

青天の霹靂……
春、外には花もいっぱい咲いているのに

                         続く





 

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