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思い出・叙勲の顛末

                  

平成二十八年三月二十五日

バスに乗っていたとき、携帯音がバッグの中で微かに響いた。

「総務課ですが、お話したいことがありますので」
大失敗でも?ドキンとした。それが始まりだった。

 誰もいない会議室、総務課長男性は微笑んだ。
「このたび叙勲が内定しました。おめでとうございます」

 調停委員の場合,二十年以上勤務したこと、ある規定以上の件数をやったことが条件だと何となく聞いていた。。

「正式発表は四月二十九日です。それまで内密に。伝達式は五月十三日です」
 正式発表もないのに、業者から山のようにカタログが送られてきた。きらびやかな表紙でずしりと重い重厚な冊子、薄手の大判冊子など、毎日郵便ポストの中は満員だ。

勲章と勲記を飾る額。四十万円台から二万円台まで。チーク材、アガチス材,ベナラハン材……。記念装身具のダイヤモンドリング五十四万円、純銀杯あり、会津塗青海波文庫あり。

お祝いをいただいた人へのお返し用の品々は高価なものから比較的安い和菓子まで様々。箱や包み紙には菊の文様。

いちばん安いものは864円のボールペン。自分用、あるいはめったに会わない兄姉たちに贈ろうかな。
カタログはどんどんやってきた。
皇居近辺のホテル、ホテルに併設した貸衣装店や美容院など。慶祝ご宿泊二名様朝食付き四万円から五万円。モーニングと色留袖の貸衣装セットが七、八万円。ヘアー、メイクと着付けで二万円。

見ているだけで気が遠くなりそう。夫婦で行かなきゃいけないの?使うお金が二倍になるじゃない。

四月四日。
正式通知が来た。『悪質な電話販売や送り付け商法にご注意』という注意書が入っている。私にとっては服装が最大関心事。
『男性はモーニングかそれに相当するもの。女性は男性に準じるもの。帽子、手袋はご遠慮ください』
モーニングに準じる服装ってどんなの?

十万円近いお金をかけて着物を借りることは考えていない。たった一日のために、そんな大金、使いたくない。やっぱり、洋服捜しに行こう。洋服なら後で使える。
ここである心配事が。

夫が列席したら……。

雑草をこよなく愛する夫は、わたしが庭の雑草を抜くと、血相変えて怒る。「雑草も植物だ。抜くから土の中のバクテリアが死滅して土地が痩せる」「ご近所から苦情が」「雑草の嫌いな奴は南極へ行け」
こんな会話を交わすこと数十年。

近所の人が通報したのだろう。自治会の人が来た。
「わたしどもでしますから私道の草を取らせてください」
恥ずかしくてこの世から消えてなくなりたい気持ちだった。

夫は皇居の庭を見て何を言い出すか分からない。草がないと土の中のバクテリアがどうなるこうなる。草を生やすべきだ、ああだ、こうだ……

想像するだけで絶望的な気分。この晴れがましい日々、夫のことは考えるまい。なるようにしかならない。

それから私は洋服捜しに駆け回る。
「叙勲式で着たいんですが」「ジョクン?」「勲章をもらう式典です」
店員さんは少しの間、戸惑っていたようだが、
「おめでとうございます」
「着物に引けをとらない洋服を」「ジョクンだから皆さんお金かけますよ」

 店員さんはド派手な柄物のワンピースを持ってきた。
「表彰の場だから無地がいいのでは」と言うと、「いまどきは皆柄物です」
店員さんは胸を張った。
「私はデビ夫人の衣装も選んだことがありますから、よく知っています」「丈がもう少し長いほうが」「いまどきは、これぐらいが式典では好まれますよ」「すみません。あちこちで他のも見てみます」「ちょっとお待ちください。これ、どうですか。生地はイタリア製、縫製は日本」
 
白地にピンクのバラが浮き彫りになった豪華なワンピースをもってきた。とにかく試着を、と背中を押す。その情熱に逆らえず試着室に。ウェストが入らない。無理に入れたが息も出来ない。
「きつ過ぎて」「十三号を取り寄せておきます」「でも、着てみないと、買うかどうかは」「とにかく十三号をお取り寄せいたします」
 押し切られてしまった。

 翌々日、仕事で横浜に行った。超高級品の手辞されたショーケースの中、マネキンが来ている服に目が止まった。色調はオレンジ系の花模様で着物の帯のような雰囲気だ。値札を見たら二万七千円。

こっちのほうが安い。だけど、同じぐらい高価に見える!この店、のぞいてみよう。

ドキドキしながら店に入った。若い人向けの店みたい。
「ジョクン式で着るんですが」
店員さんは分かっていないようだ。式典と言った方がいいかな。

「式典には派手過ぎません?」「華やかで素敵ですよ」
「式典だからやっぱり無地がいいかな」」
店員さんは愛くるしい笑みをこぼして、
「式典では今は柄物が多いですよ。昔と違いますから」
「はあ」「この柄なら誰の服とも絶対カブリませんよ」

 店員さんの笑顔と八万円よりずっと安いという事実に心が傾いた。だが袖なしだ。ジャケットも買うしかない。二万三千円の白いシンプルなジャケットも買った。合計五万円。

 あの店に断りを入れなきゃ。キャンセルは受け付けない、と言われるんじゃないかな。電話を入れる。あの時の店員さんは幸い休暇だった。キャンセルはこともなく済んだ。

家に帰って山積みのカタログをめくる。
過去の叙勲者集合写真が出ていた。豆粒みたいで顔など分からない。だが、前列に座っているドレス姿の人、どれも足首までのロングだ。どのカタログを見てもそうだ。ルーペで拡大する。やっぱりロングだ。

 不安になった。

五月十三日の叙勲式まであと二週間ほど。意を決して叙勲係に電話した。

「和服か、洋装なら足首までのロングがよろしいと思います。普通丈のワンピースやスーツでも悪くはありませんけれど、集合写真を撮ったときにお一人だけ丈が短いと、ご自分が後悔なさるかと。写真は一生残りますから」

豪華なワンピースでも丈が足首までないと叙勲という格式にふさわしくないのだ。

その場で会う人たちとは多分その後一生会わないだろう。だが、写真は一生残る。通販のカタログで見つけたロングドレスを二着注文する。気に入らない方は返品すればいい。買ったワンピースはどうする。それは後で考える。すぐに届いた紺色のロングワンピースとジャケット。
遊びに来ていた娘が「絹だから品は良いけど地味すぎるみたいね」「ベージュ色のツーピースのほうは?」「生地が安っぽいよ」「だって一万円だもの」「おかあさんがよければどっちでもいいけど、もう少し華やかなほうが着ていて楽しいんじゃない?」

持つべきは娘。貴重なアドバイス。紺色のロングワンピース以外すべて返品した。

四月二十九日。
新聞で叙勲者が発表された。

全国で約四千人。埼玉県内で約二百人。春と秋二回あるから毎年八千人近い叙勲者が生まれる。すごい数だ。市会議員やら銀行の頭取やら、見ず知らずのお偉い方から祝電が来た。

悪い気はしない。おめでとう、と言ってくださるのだから。

それにしても、あの紺色の絹のワンピース、やっぱり地味だ。もう少し華やかなのを見つけたい。でもロングだから、あれでいい。でも何となく心がときめかない服。

仕事帰り、駅前のショッピングモールのドレス専門の店をのぞいてみた。若い女性向け店だ。わたしみたいなおばさんに合う服があるはずはない。でも、見るだけでも……。

女性店員さんは私を見てニコッと笑った。細い体形の若い女性だけを相手にしている店に足を入れる変なおばさんと思われているだろうな。 

わたしの目は一点に吸い寄せられた。
素敵。イメージどおり。でも九号……無理よね。

「十一号ありません?」
おずおず聞くと、
「ありますよ。着てみます?」
店員さんは微笑んだ。

ちょっと気恥ずかしかったが試着室に入った。着てみるとちょうどいい。スカートの形がエレガント。少女マンガに出てくるイギリスの貴族になったような気分。

しっかりとロング丈で絹のような光沢、淡いアイボリー系のベージュ色は華やかで明るい。五万八千円。

 決めた!

後で友人に教えてもらった。東京のデパートでは叙勲用の着物やドレスのコーナーがあって、選り取り見取り。
ホテルに泊まって、そこに併設した店の貸衣装を借りれば間違いないものを選んでくれる。かなり高いが絶対失敗しないし、自分の頭を使わなくてすむ……ということだ。

だが私は失敗しつつ自分の足で探し回った。

パーティー用の小さなピンクのバッグと踵にキラキラのついた高いヒールの白い靴を買った。どちらも一万円以下。
お金をその日限りの贅沢に使いたくない。そんなお金があるなら、小説を自費出版したい……。

夫を一応誘う。
「あなた、行く?」「いや。サークルの合宿が入っている」

やったー。余計なエネルギーと神経を使わずにすむ。

いろいろな体験から私は授賞式とか表彰式に配偶者が顔を出すことに違和感を感じるようになった。

あるささやかな文学賞の授賞式で、受賞者ではない配偶者が「私は作家夫人になりたかったの」と受賞者たちを押しのけて、のし歩いていた。

誰も何も言わなかったが、いちばん肩身の狭い思いをしたのは、受賞者である夫だっただろう。

こんなこともあった。同窓会記念誌の編集に携わったとき、私はそこそこ有名な女性評論家を担当した。家に電話すると、

「で、いくら出すの?君、うちの奥さんのコメント、いくらか知ってるの?天下の○○なんだよ」
「すみません。同窓会誌なので謝礼なしで」「うちの奥さんをただ働きさせるんじゃない。バカ野郎」
びっくりして受話器を置いた。

夫であれ妻であれ、自分が偉いわけでもない配偶者がそっくり返っているほどみっともないものはない。夫婦揃うと二人とも図々しくなるか、一方がいたたまれない思いをするか。どちらかのことが多い。

 五月十三日金曜日。快晴。

 前日JR全線が乱れ半日近く交通混乱が起こった。都内のホテルに前泊している人はタクシーで集合庁舎に行けるが私はそうはいかない。

 受付開始は十時二十分。
何かあっても対処できるよう早く家を出る。服装はロングドレスに履きなれた靴。ドレスを引っ張り上げてベルトを締めて丈を少し短くし、薄手の上着を羽織る。ジャケットでは暑過ぎるぐらいの陽気だったから。

持ち物はチャックで口が全部閉まる大きなボストン型の手提げ一つ。業者のカタログには、引き出物や勲記の筒を入れるのに大きなペーパーバッグも必要と書いてあったが、ポリエステルの大型手提げが丈夫でいいだろう。

手提げの中には財布・化粧品・パーティー用の小さなバッグ、ジャケット。(買ったものではない)。娘の結婚式に着たきりで、その後出番がないままクローゼットに下がっていたもの。

あのとき良いものを買って良かった。

シンプルな形もラメのきらめく淡いピンクのレースも品が良くて高級感がある、(と私には思える)

会場に着いてから履く純白のハイヒール。こんな靴では危なくて歩けない。大判のスカーフと小さなペットボトルの水。

いざ、出発。

バスも地下鉄も遅滞なく運行されていて、一時間ちょっとで永田町に着く。駅のトイレは延々長蛇の列。出勤途上のような若い女性ばかり。用を済ませて歩き出す。後ろから「落としましたよ」と声。振り返ると、腕にかけていたはずの羽織物が床に。

サラリーマン風の男性の後を付いていったら最高裁判所南門に着いていた。まだ九時。門に入って行くのは職員風の人ばかり。守衛さんに「叙勲で来ました」。大きな声で「おめでとうございます」と最敬礼してくれた。

要所要所で、「おめでとうございます」の最敬礼。もったいなくて、消え入りたい。

エレベーターを出ると係の若い男性が、
「廊下を曲がった所に控室があります。まだ準備できていませんが」
歩いてゆくと後ろから「落し物です」と男性の声。振り向くと、ドレスの布のベルトが男性の手に垂れ下がっていた。

業者のカタログには、集合場所ではお茶もないから、ペットボトルを準備しておくほうがいい、と書かれていたが、お茶と水のポットが机の上に準備されていた。
一番乗りだ。
冷たいお茶を飲む。とにかく現場に着いた。
トイレでイヤリングをつけ、お化粧を直す。イヤリングが気になる。落とさないかと心配。

それにしても失敗した。デジカメを持ってくればよかった。撮影は出来ないと書いてあったけど、どこか一か所ぐらいは、「ここで撮ってもいいですよ」という場面があるかも知れない。
ガラケーでは良い写真が撮れない。持ってくればよかった、デジカメ。

三十分ほど前になるとぞろぞろと盛装の高齢者カップルが現れる。夫に付いてきた妻たちは全員着物。
あなた、ここにお茶あるわよ。トイレ、どこ?集合写真の大きさ、どれにするの?私がお金払っとくから。ちょっと、荷物、荷物。

式場着席の時間が来た。
「大会議室の前方の椅子に名札が張ってありますから、叙勲者の方はお進みください」
 係員の声に従い会場へ。すぐに席は見つかった。隣の女性たちと少し話をする。ほとんどの女性が家事あるいは民事の調停委員だった。

男性は職場を定年退職してから調停委員になるから、定年の七十歳まで勤めても最高十年ぐらいだ。女性はたとえば五十歳で赴任すると二十年は働ける。叙勲のラインをクリアできるのだ。

後ろがざわめいた。妻たちが夫の傍に行こうと前方へ進み出したのだ。
「配偶者の方は後ろに立っていてください。前に行かないで」
係員の声に女たちの溜息。

最高裁判所長官に依る勲章伝達が始まる。代表が受け取る。係員が一人一人に大きな勲記と勲章の入った小箱を手渡してくれる。業者のカタログには、『勲章を着用するための特殊な金属ピンがないと勲章をつけられません』と書いてあったが、買わなくて正解。係員が安全ピンで上手に止めてくれる。

無駄な買物しなくてよかった~。

場所を移動し昼食会。会費は二千五百円。
立食式のテーブルは指定席で、一人一人にカツサンド弁当。一口食べる。高級サンドだ。カツの厚さが違う。朝食が五時だったのでお腹ペコペコ。美味しい!

テーブルの大皿三つにはフルーツやエビ、ハムなどが花園のように盛られている。箸を伸ばそうとしたら、右隣の男性の手が私の前に伸びて来て、大皿をズズズッと自分の方に移動した。
男性は傍らの妻の小皿の上に「これ、美味しそうだよ」と盛る。そのあと、大皿をこちらに戻すかと思いきや。夫婦でハイテンション。いっぱい食べなさい。あなたも食べて。美味しいね。これも食べなさい。
そこへ私が箸を伸ばして割り込むのもみっともない。
左隣の男性が、左側の大皿からエビやフルーツを取り分け小皿に乗せて、「いかがですか」と私に。
同じテーブルにいた裁判所職員の男性が、私の携帯で私を撮ってくれたり、隣に立って写真のモデルになってくれた。おかげで記念写真が撮れた。

それから一休み。いよいよ皇居に向かう。

「皇居ではトイレが使えないから、すませてください」
係員の声に女性トイレは大行列。出発の二時半まであと十分。置いて行かれたら大変だ。一人で皇居には入れない。
傍にいた女性と二人で一階のトイレに走る。そこも満員。トイレの前には荷物をもって待っている男たちの群れ。ほとんどツアー状態。

トイレを済ませバスに乗る。
外は輝くばかりの快晴。裁判所を出発した五台のバスは十五分ほどで皇居の坂下門から大駐車場へ。各省庁からやってきたバスがずらりと並んでいる。

勲章はつまりは公務員のものなのだ……。

平安時代、貴族とは、朝廷に雇用され、朝廷から位と禄(給料)をもらっている人のこと。現代の公務員である。高位高官は世襲、妻も位をもらう。

民間企業のない時代、朝廷に雇用されるということは一生の安泰を意味するものだった。最大の特権は税金を払わないことだ。かくして貴族たちは民衆から取り立てた税金で贅沢三昧、絢爛豪華な生活を享受した。

現代の公務員は世襲ではないし、税金を払う。しかし、勲章をもらえるのは大体は上級公務員。叙勲式に集まった現代の貴族の仲間に今日入れてもらえるのは本当に幸運だ。まして女性で地位も権力もないのに。
裁判所の調停委員として二十年以上頑張ったから。

ずらりと並んだ各省庁のバスを眺める。男性の数だけ女性がいる。妻たちだ。彼女たちは果報者。自分が社会で何をしたわけではないが、夫の栄誉の場に召されて、夫と同じ立場で天皇陛下の謁見を受けるのだから。

「携帯やスマホ、カメラなどは置いて行ってください。貴重品だけをお持ちください」
係員の後に従い長い外廊下を歩いて宮中の中に。写真を撮りたい。何も撮れないなんて残念。頭にしっかり焼付けて帰ろう!

「叙勲者はこちら。配偶者はこちら」と指示され、二列で歩く。広い階段は緩やかでハイヒールでも危なげなく歩ける。

大きな廊下。これは平安時代の庇(ひさし)に当たるのだろう。女房と呼ばれるキャリア女性公務員たちは庇を屏風や几帳で区切って個室にし、泊まり込みで、女主人にお仕えした。

清少納言になったみたい……。

体育館ぐらいの広間に入った。これが春秋の間。配偶者も入れて八百人ぐらいだろうか。全員声もなくその場に立つ。

「叙勲者は前に。配偶者の方は通路幅ほど開けて後ろへ」
 係員が言っても、前にいる夫の傍に行こうとする妻たち。
「安心してください。後ろでも陛下をご覧になれるよう実は工夫がこらしてあるんです。配偶者の方も陛下をご覧になれます」
 全員の立ち位置が自然に決まった。
なんと私は一番前。

「陛下がいらっしゃるまであと三十分ほどあります」
宮内庁のスタッフが部屋の説明をしてくれる。説明はとても面白く、他の場所や人からは得られないネタ満載だ。
「天井のシャンデリアが昭和二十五年(記憶違いかも)に設置され今まで一度も落ちたことがないこと(ワッと笑い声)。それでも何があるか分かりませんから、下の人は用心してください」(さっきより大きな笑い声)

 絨毯は出雲織とか。春と秋の景物が織り込んであり、一日に数センチしか織れない技術の結晶とか。簡潔にしてユーモラスな説明は「私のお喋りもあと三分ほどです」
そのとき、最前列の辺りで携帯音がピコピコピピー。皆、無言。係員たちも無言。八百人もいれば、注意されてもうっかり携帯を持ち込む人はいるだろう。係員はその辺は想定内のことなのだろう。あわても騒ぎもしない。やっと携帯音が止まった。

 静寂の中、広い入り口から、まず黒い背広の先導者、侍従だ。次に陛下。グレーの背広をお召しになっている。

 穏やかな表情はテレビで見るとおりだ。代表者の謝辞は非常に短く一分もかからなかった。陛下の祝辞も短く、その声は張りがある。

 陛下はゆっくりと私たちの前を時計と反対周りに回る。そして大きな扉の向こうに姿を消す。

今も平和の祈りの旅を続けている陛下に私は大きな敬愛を感じている。最後の平和の防波堤は陛下しかいない、と思う。声をかけてはもらえなかったが、お顔を拝見できてよかった。

「勲章を落とした方がいらっしゃいます。見つけた方は係に届けてください。これから記念写真撮影にむかいます」

係員はテキパキと群衆をグループに分け、先導する。
「配偶者は叙勲者の左側を歩いてください。自分の配偶者の横でなくてもいいです。どんどん歩いてください」
自分の夫の横を動かない配偶者がいて、列がせき止められてしまった。
「歩いてください」と幾度も声をかけられ、やっと動き出す。やがて煌めく大きな写真室へ。前のグループが席を立ち、私たちは先導されるまま椅子のほうへ。

「叙勲者は前の列。配偶者は後ろに立ってください」
私は前列の真ん中。ラッキーとしか言えない。
撮影が終わる。ああ、今日の義務を果たした……。

病気をせず、事故にも遭わず、この日を迎えられるよう、この一か月半、ずっと緊張していた。食べ物に気を付けた。体調管理に気を遣った。

無事終了……。

勲記を入れた大きな筒をハイヒールと一緒にバッグに入れる。チャックで閉まる大きなバッグをもってきたのは大正解だった。

「終わりましたね」「これから娘の家に行くんですよ」「係の方がほんとうに親切でよかった」
静岡から来た男性、和歌山から来た女性と地下鉄の改札前で別れる。三人とも偶然一人参加だった。

 家に帰り、荷物を整理。駅のコンビニで買ったサンドイッチとオレンジジュースの夕食を取る。夫が帰ってきたところで、下賜の紙包を開ける。
大きな三笠山が三個。夫が手に取り「重い」。口に入れると餡子が濃い。濃いとしか表現できない。
それから勲章をしみじみと眺めた。
                    



あれから、7年近い歳月が流れた……。
                      終わり


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