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漢字、海を越えて

目次
(1)浜辺で拾ったもの
(2)倭の人、文字に出会う
(3)王権のシンボルに
(4)漢字で倭歌を
(5)カタカナと仮名の誕生
(6)仮名文学誕生

(1)浜辺で拾ったもの

今日は『漢字』がわたしたちに自分の歴史を語ってくれるということで、言霊(ことだま)のクニからはるばるおいでになった。言霊のクニから現世に旅する機会は一回きりとのことだ。
「今から三千年以上も前ーーー」

漢字は語り始める。

朝鮮半島に近い小さな島でのこと。
嵐の後の麗らかな朝だった。少年と少女は浜辺へ出かけた。首には貝殻の首飾り、腰にはつる草で編んだ小さな袋(ポシェット)をさげて。
「いろいろな物が打ち上げられているといいね」
「首飾りにできる貝とか」
「祀りで使うほら貝もいいな」
「大きな昆布、拾いたいよ」
と言いながら少年はしゃがんだ。
「なんだ?これ」
それは平たい石だった。
「こんな形の石、見たことない」
少女は石をまじまじと見つめ、
「なんか模様が描いてある。絵かな?」
「こんな絵、見たことない」と少年は言った。
「サカナとかワカメとかカイガラの絵なら描けるけど、これは何の模様かな」と少女は首をかしげた。
「今まで見たどの模様とも違う」と少年も首をかしげ、
「なんか怖いね。大人に見せよう」
ふたりの両親は村の長(おさ)にその石を持っていった。
「奇妙な模様だ」長は首をかしげて、
「何か分からないが神さまにささげよう」
このころ、まだ文字というものはなかった。人々は自然の中で見られるものだけを絵に描いている。それらはすべて柔らかな曲線でできていた。まっすぐな線は自然界では見られないのだ。
「この模様はなんだ」
「稲妻みたいだ」
「いや、サメの歯みたいだ」
「呪いの言葉かも知れない」
村人は初めて見た模様に大騒ぎだ。
うわさを聞いて隣の大きな島の長がやってきて、その石を取り上げて持っていった。もっと大きな島の長がやってきてそれを奪った。島の巫女が告げた。
「これは呪いの印である。これを拾った者を海の果てに流さないと、この島に不吉なことが起こる」
大きな島の長は驚き、恐れ、この石の板を拾った少年と少女をワラの小舟に乗せて流した。それはこの辺りの人が初めて見た文字「漢字」だった。

「そもそも、私『漢字』はどこで生まれたかというと、遠い遠い昔…」
漢字は目を閉じ、深いため息をついた。

日本の西方にある大きな漢という国で世界最初の文字が作られた。
「ニホン」(日本)という言葉もなかったころのことだ。その頃、中国大陸に君臨していた漢の皇帝はそれを『漢字』と呼び、国外に持ち出すことを厳しく禁じていた。
「文字には魂がある。他国に流れたら、この国の魂が奪われる」
漢字を刻んだ石板を保管している書庫を宮殿の地下室に入れ、 多くの多くの兵氏たちに見張らせ、宮殿の周囲には二重の石の城壁をめぐらした。
「蟻一匹入れても出してもならぬ]
外へ持ち出そうとした者は学者であっても処刑した。だが、漢字は誰かの手によって城壁の外へ流れ出ていったのだ。
そして商人や亡命者、難破船や流浪の民によって、アジアの国々へ広がっていった。
海を越えた小さな島にも「字」の書いてある石版の一部が流れ着いたのだ。

「可愛そうに、私を拾ったばかりに…」…
語る漢字の目から涙が落ちた。

海に流された少年と少女を哀れに思った村人の間にはこんな話が伝わっている。
「あの子たちは大きな亀に助けられて海の底の魚たちの御殿で幸せに暮らしている」
「わしは人の形をした魚に出会った。その魚が言った。あの子たちは海の底で楽しく暮らしていますよ」と。
今でも村人は少年と少女が流された日にはたくさんの花を海に流している。

(2)倭の人、『文字』に出会う
それから数百年後――
「難破船から助け出された異人がいる。変な言葉をしゃべる」
「変な模様を地面に描いて何か言っている」
「今まで見たこともない模様だ」
「呪いかも知れない」
うわさを聞いた王は異人の保護されている家を訪れた。
「なにか模様を描いてくれ」
異人は地面に魚の絵を描いて、その横に『魚』という字を描いた。まだ字を知らない王は思った。
(この模様には何か意味があるのではないか)
王は土地の長老や占い師や賢者と呼ばれる人たちを呼んだ。
「この模様に何か意味があるか」
皆、夜も寝ないで考えた。
「この模様は『海のさかな』のことではないでしょうか」と賢者が言った。「これは徹底的に解明せねば」
王は異人を自分の御殿に住まわせた。異人は川を指さして『川』と地面に書く。山を指さして『山』と書く。王は自分の頭の冠を指して
「これは何だ?」
異人は地面に『冠』と書いた。
王は自分の冠を外して異人に持たせた。異人は冠に付けられた石の飾りを見て地面にひれ伏した。
「どうしたのか?」
王は問うが、言葉が通じない。王は思った。
(この異人は冠についている石の模様の意味を知っている)
数百年前、どこかの島の子供が見つけた石板は王の冠の飾りになっていたのだ。

「私はこうやって生き抜いた。私は漢字と呼ばれる文字だ。文字の意味が分からなかったら、今のあなたたちの暮らしはないのだ。和歌も小説も映画も生まれなかったのだ」
漢字はちょっと偉そうに胸を張った。

(3)王権のシンボルに
それから数百年――
卑弥呼(ひみこ)と呼ばれる女王の治める国があった。その頃、中国大陸には『魏(ぎ)』と名乗る国が建っていた。魏は女王の治める邪)馬台国(やまたいこく)に使者を送ってきた。
「これから仲良くつきあいたい」
卑弥呼女王は使者をもてなし、使者に訊いた。
「われの冠に付いている石に描かれた模様の意味は何であるか」
「王と書いてあるのです」
あの石の付いた冠は今では卑弥呼女王が使っていたのだ。
女王はこの世には意味のある『文字』というものがあると知った。
使者は魏に帰り、自分の見聞きしたことを『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)として書き記した。

『東のクニ 文字なし ただ木を彫り 縄を結ぶ』

そしてさらに数百年――
邪馬台国は滅び、大和国が打ち立てられた。
魏はますます大きくなり,大和へたびたび使者を送ってきた。造船の技術がとても発展したのだ。
それでも難破船は後を絶たない。
大和の王は学者たちに命じた。「冠に付いている石に描かれた模様と難破船の船体に描かれた模様の意味を調べよ」
あの冠は大和王のものになっていたのだ。
それから数年。
学者たちは難破船が漂着する辺りに住みこんで調べ続け、ある者は中国大陸を舟で目指したが、二度と帰っては来なかった。
学者は王に報告した。
「冠の飾り石の模様は『王』、つまり王様という意味。難破船の船体の模様は船の名前ではないかと思います」
王は驚いた。
(模様には意味がある。つまりこの模様には魂がある……)
それから時が流れ――
王は東へ東へ進みながら多くの国を打倒し、大和国を拡大し続け、ついに大きな大和国の大王となった。
大王の下へは中国大陸や朝鮮半島から度々使者が訪れる。彼らは文書というものをもっていた。
大和の国にはまだ文書というものはない。大和の大王は歯ぎしりして悔しがった。
「自分たちも文字を書きたい!」
大王は百済の使者に習って、『倭王武』という文字を覚えた。大王は文字が書けるようになると歓喜の涙をこぼし、命じた。
「これからはわれが征服した土地には石碑を立て『大和王』と刻むのだ」
ある村の豪族に仕える若者がいた。
鋼を刀にする彫師だ。その腕前は大王の耳にも届いていた。
ある日、若者は大王に呼ばれた。
「今宵は満月。次の満月の夜までに我の名をこの五つの剣に彫れ。なんじひとりでやるのだ。何をしているかは絶対に秘密にせよ。秘密を漏らしたり、字を彫れなかったら首を切り落とす」
今までにも多くの鍛冶師や研ぎ師が首を斬られた。
若者の母は水晶のお守りを若者に渡した。
若者は宮殿の工房に寝泊まりし、百済というクニから来た学者や役人たちに教えてもらい文字の形を覚えた。
いくつも彫って練習した。
明日は満月という夜、百済の学者が若者の彫った文字を見て叫んだ。
「これだ!綺麗な文字だ!」
「ワノオウタケルだ」
漢字で彫られた『倭王武』の形に大王は満足した。満月の夜、若者は大王の名を4つの刀に彫り終わる力尽きて倒れた。大王は激怒、
「あとひとつはまだか」
「お願いです。暁までお待ちください。疲れて腕が動きませぬ」
泣いて許しを乞う若者は首を斬られた。残った、あとひとつの刀には他の彫り師に文字を彫らせた。
「文字を彫った者が生きていると、文字から魂が抜ける。この者も首を斬れ」
その彫師も首を斬られた。
大王はさらに東へ東へ遠征の旅を続ける。途中で船が難破し、刀は行方不明になったが、たったひとつだけ、大王の手元に残った。大王は土地の酋長に自分の名を彫った刀を見せ、
「わしの僕になれ」
文字を知らない酋長は言霊を目に見える形に出来る大王を恐れた。
「この村はすべて大王のもの、この村の民はすべて大王のものです」

「私『漢字』は最初は権力者だけのものだったのだ。だが私は次第に多くの人に使われるようになった。それでこそ私が生れた甲斐があるというもの」漢字はきらきらと目を輝かせて語る。

(4)漢字で倭歌(やまとうた)を
それから数百年――
倭国では権力者が大きな墓を作る古墳時代となり……古墳の内部には漢字の文が彫られた。魔物から墓を守るためだ。
それから飛鳥時代となり……百済から仏教が伝わった。
仏教といっしょに膨大な経典(お経を書いた書物)が入ってきた。経典は全部漢字だ。漢字の読み書きが出来ないと役人にはなれない。お坊さんにもなれない。
大和国で出世したい人はモウレツに漢字を勉強した。今の受験勉強どころではない。勉強し過ぎてノイローゼになったり、自殺する人さえ出てきた。
そして奈良時代となり……。
『古事記』『日本書紀』という歴史書が漢字で書かれた。それを記した人の大半は中国大陸から渡って来た渡来人たちだった。
大陸との国交も盛んになり九州に大宰府という役所がおかれた。
大宰府は中国大陸からの船を迎え、使者たちをもてなし、奈良の都に送り届ける仕事をする所だ。
大宰府の長官大伴旅人(おおとものたびと)は雪のような白梅の下で都での日々を思い出していた。自分たち大伴家は二度と都で帝の傍に侍ることはできないだろう。由緒ある氏族といえど今は藤原氏に頭を下げるか、潰されるか。二つに一つだ。大伴家は藤原にとっては目障りな存在に違いない。
どうやって、この逆境を乗り越えるか……。
旅人は息子の家持(やかもち)を呼んだ。
「息子よ。漢字をよく学ぶのだ。そして、どれほど時間がかかってもよい。漢字で倭歌を記した歌集を作るのだ」
「何のためにですか」
「大伴家の存在した証とするため。そして大和国に歌というものがあると世に知らせるために」
『世』というのは中国大陸の唐や朝鮮半島の新羅のことだ。
一陣の風に白梅の花びらが舞い散った。その花びらを掌に載せ、旅人はつぶやいた。
「帝の歌から百姓たちが歌っている歌まで、佳き歌すべてを記すのだ。我の齢ではもう出来ぬ」
「はい」
十二歳の家持はつぶらな瞳で父を見上げる。
「大伴の名はその歌集により永久(とわ)に残るであろう」
旅人は涙ぐんだ。
翌年旅人は帰らぬ人となる。
三十年後、家持は政変の嵐の中、歌集を編纂。よろず(万)の民の歌を生い茂る葉のごとく集めた歌集という意味をこめて、
『万葉集』と名付ける。
万葉集は力強く羽ばたき、家持の死後も飛び続けた。

「そなたたち、もちろん、知っておるであろう」
と漢字は厳しく目を光らせた。
「そなたたちが今使っておる年号の『令和』は大伴旅人が大宰府で開いた梅花の宴で詠んだ歌の序文から取ったものだということを知っておるか。それぐらいは知っていて当然だ。勉強せよ。古の人がどれほど勉強したか。受験勉強ぐらいで弱音を吐くな」
と漢字は少し寂しい顔でつぶやいた。

『万葉集』は倭歌と呼ばれるあらゆる歌をすべて漢字で書いたものだ。日本古来の歌謡も漢字で書くしかなかったのだ。日本には自分たちの文字はなかったから。
家持は思った。
(全部を漢字で書くと中国の漢詩みたいだ。倭歌にはもっと柔らかな字が似合うのではないか)
だが、どんな文字を、どうやって作ったらいいか分からなかった。

(5)カタタカナと仮名の誕生
麗らかな春の朝、奈良の都のとある寺、近くの村の長が僧に文を送ってきた。あいさつ程度に里人の近況を伝えるものだった。
「漢字の読み書きもおぼつかぬ身で、ここまで文字を書くとは」
僧は驚いた。漢字の形は崩れ、間違っている。文字を拾い読みしても意味が通じない。
それでも、懸命に何かを伝えたい気持ちが伝わってくる。
「正しい漢字ではないが、書きやすそうだ」
「『朝乃光』と書くべきところ『朝ノ光』。『橋遠架計天』(橋をかけて)と書くべきところ『橋ヲ架ケテ』」
「漢字の一部を使って、簡単な形にしているのじゃな」
僧たちは漢字の一部を使ったその文字に心を惹かれた。
若い僧たちの勉強に、この文字を使えば難しい経文の講義も簡単になるのではないか。
「これは便利じゃ。難しい漢籍の横に、ちょっと書き込みを入れるときに使える」
僧たちは経典の文字の横に、この簡略文字を『ふりがな』として書き添えるようになった。
「漢字の片方を使っているからカタカナと呼ぼう」
「寺の外では見せられぬ。漢字も読めぬのかと見下げられるから」
しかしカタカナは寺から貴族たちの間に流出していった。
同じころ――
貴族たちは面倒な漢字で和歌を書くのにうんざりして、崩した文字を使うようになっていた。
「また崩した文字であるか。そなたは正しい漢字を書けぬのか」
「なんと失礼なことを。まろはちゃんと漢字は書ける」
「書けるのなら正しい字を書いたらいかがかな?」
「忙しいし、墨の無駄になるから崩した文字を使ったのである」
「こんな文字だけ書いていたら正しい漢字を忘れて役人の昇級試験に落ちるであるぞ」
など散々ケチをつけている人も、プライベートではこっそり崩し文字を使っていた。
女たちは堂々と崩し字を使う。朝廷で公文書を書くことはない。書くのは和歌か気紛れに書いている物語などだ。
「父上、崩し字の方がずっと早く書けるのでありますよ。
「崩した文字もなかなか味わいがあるのう」
「そうでございましょう?線でガチガチの漢字を読んでいると目が疲れます。崩し文字は柔らかくて綺麗です」
娘は少し得意そうだ。
「記録や歴史書では漢字で書くしかありませんが。和歌は崩し文字のほうが心が伝わってくると思いませぬか?」
「どれどれ、なるほど。『及』を崩すと『の』になるのか」
父は感心して娘の和歌に見惚れる。
「でもまだ難しい。まろはもっと簡単に文字を書きたい」
と皇女さまや上級貴族の女性たちは、どんどん形を崩していって和歌のやり取りをするようになった。
「漢字は男たちに任せましょう」
「朝廷では漢字の文だけが通用するから、男たちは漢字から逃げられない」「だから頭もガチガチになるのでしょうよ」
「わたしたちは政には関わらないからどんな文字を使おうと自由ですもの」
こうして草仮名はどんどん工夫され易しくなっていった。
草のように靡いている形ということで『草仮名』(そうがな)と呼ばれるようになった。いつ、だれがそう名付けたのかは分からない。
「朝廷で仕事のときは漢詩と漢文だけだが、想い人に恋文を送る時、漢字ではいかめし過ぎる」
「で、ぬしは草仮名を使って和歌を?」
「秘密だぞ。頭が悪いと思われるから」
「帝とお妃さまも崩し文字で歌のやり取りをしているとか」
「まろの恋人が送ってくれた和歌、見ませよ~綺麗な崩し字であろう?」
公行事の後、帝抜きの飲み会はこんな話題で盛り上がる。
奈良時代の終わりごろから草仮名戸呼ばれる崩し字は男性貴族たちの間でも使われるようになった。
草仮名はそれでもとても難しいものだった。
世は平安時代となり――
仁明天皇の御代。この世の者とも思えない美しい女性が宮中の女房として働いていた。
故郷は遠い北国だとか。
小町と呼ばれる曹子に住んでいたので「小町姫」と呼ばれていたが、有名な書の名人小野家に繋がる人といううわさが流れ「小野小町」と呼ばれるようになった。
天皇の恋人という噂もある。
小町は学識に優れ、書も見事で、和歌の巧みさといったら較べられる人はいない。
「小町の崩し字を見たか」
「いや、和歌をもらったことはないゆえ」
「あるお方が一日だけという約束で貸してくれたのだが」
男は懐から畳んだ文を取り出し広げる。
「おお……」
周りの男たちは息を吞んだ。
「歌も素晴らしいが文字の美しいことよ」
「まるで水が流れるような形の文字でありますのう」
    
     色見えてうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける

「これはどなたへの歌であろう」
「言ってはならぬがここだけの話」
男たちは顔を寄せ合う。
小町に仕える女たちも難しい漢字ではなく崩し字を使っている。
男たちは憧れの女の気を引こうとせっせと崩し字の練習にいそしんだ。
「崩し字は公の文字ではない。仮の字であるから仮名(かんな)と呼ぼう」誰かがそう言った。
帝も私的な歌は仮名文字でさらさらと書くようになった。
「かんな」は「仮名」また、主に女が使う文字だから「女手」(おんなで)と呼ばれるようになった。

漢字はため息をついた。「ニホンというクニでは字までジェンダーで分けられておったのか。今ではそんなことはないだろうが。まさに字はクニの仕組みをも表すもの。お隣の韓国では難しい漢字では庶民が字を読めないから誰でも読める字を作ろうと、ある王様が発音を口の形にしたという文字を作った。ハングル文字だ。王様はこの文字が生き残るか消えるかは分からない、と言ったが、ハングル文字は漢字を駆逐して今に残っている。日本では漢字を利用し、漢字から新しい文字の形を作り出した」

(6)仮名(かんな)大成!

醍醐天皇の御代ーー
勅撰和歌集を編纂せよとの命が下された。延喜5年(905)4月18日のことだ。
「万葉集はすべて漢字ですが、今、人は仮名で歌を書いています。我らは仮名文字の歌集にいたしたいのです」
命を受けた紀貫之ら四人が帝に願うと
「まろもそれを望んでおる」
四人は歓喜の涙にむせんだ。
「我ら、この世に同じく生まれ、このときに出会えた歓びよ」
「長い間、漢詩ばかりが公の場で詠まれていたが」
「漢詩は端麗ではあるが、男と女の恋心を読むには硬すぎる」
「倭歌(やまとうた)にふさわしい『かな文字の和歌集』を作ろうぞ」
その頃、かな文字は漢字よりずっと下に見られていたのだ。
「万葉に採られなかった古の歌、今、評判になっている歌など考えられる限り多くの歌を載せよう」
「どれほどの分量になるやら」
「空に届くほどではないか」
「御方々。この歌集の題を何としようぞ」
貫之は辺りを見回す。
灯火の光の中で四人のまなざしはキラキラと輝いていた。
「帝の御心はいかにありましょうか」
「そちらで決めよとの仰せであらせられる」
「ありがたき幸せでございまする」
貫之が、
「古の歌から今流行っている歌まですべて含めるという意味で『古今和歌集』というはいかが」
「それは美しい名前である」
「そうだ、そうだ、『古今和歌集』と名付けよう」
それから七年余、歌集は完成した。
「仮名」は『仮の文字、女が使うランクの低い文字』ではなく堂々と文字としての地位を獲得したのだ。
そして和泉式部は『歌集』を仮名で、清少納言はエッセイと呼ばれる『枕草子』を漢字交じりの仮名の文で書いた。藤原香子という女性は当時の大ベストセラー『源氏物語』を書いた。
漢学の知識を散りばめた大長編で、世界の文学史上に残る名作といわれる。

「これから私、漢字はどのような変化を遂げるのか。それは私にも分からない。消えるかも知れないし、残るかも知れない。今から数千年後、日本の文字がどのような形になっているのか。それを思うと少し怖いが、とてもわくわくしている。漢字の未来を作るのはあなたたち日本人だ。さて、今日の授業はこれで終り。私は言霊のクニへ帰る。皆さま、さらば……」
                      
                                 了


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