見出し画像

こちらオプションでお付けしときました

こんにちは、P山です。
先日、ちょっと頑張って遠出して、母校(大学)の定期演奏会に行きました(P山は教育学部で音楽をやっていました)。
同窓生たちと会ってきて感じたことを書きたいと思います。

産後ほぼ初の遠出

産後里帰りと、その後の出戻りを除くと、娯楽目的で遠出したのは初めて。
62歳の母が「車で行こう!」と言ってくれ、ほぼ1日かけて、片道約500kmを高速道路で移動した。
3日間の旅程で、前後1日は往路と復路。
運転は交代でしよう、と決めていたものの、娘がお母さんじゃないとイヤを炸裂させて、結局ほとんど母に運転させてしまった。
申し訳ない。

2時間だけのバカンスのはずが

演奏会は午後からだったので、昼前に集まって、学生時代によく行ったパスタ屋でランチしようという話になっていた。
もちろん全員お子を預けて「朝昼晩と頑張る私たちのエスケープ」になるはずだったのだが、長距離ドライブでクタクタのヨレヨレになってしまった母に、ランチから演奏会までずっと娘を預けるのが申し訳なく、私だけランチに娘を連れて行くことにした。

時が戻るのは一瞬

それぞれ個々には、卒業後もたまに会っていたのだが、一堂に会すと、止まっていた時計の針が動き出したように、心が一瞬で当時に戻った。
実際には十数年が経過し、それぞれ結婚して子どももいるのだが、途中で止めていたDVDの「続きから再生」を押したような、まるで先週まで一緒に大学に通っていたような、そんな空気感だった。

皆の子どもの中では、私の娘が一番月齢が低かったのもあり、代わる代わるあやしてもらって、娘は非常にご機嫌だった。
もちろん母の私もかなり楽をさせてもらい、思いの外落ち着いてごはんを食べることができた。
家族以外と外で食事をしたのは、産後初めてだった。

母という属性

予定が変わった関係で2時間もいなかったが、当時と変わらず、楽しく、少しの暇も惜しむようにたくさんおしゃべりした。
離乳食や子どものアレルギー、育休や復職の話題がチラチラ出ながらも、「当時の私たち」と何ら変わらない時間を過ごした。

そこで初めて気がついた。
基本的に子どもと一緒に過ごしていると、「母として居る」ことが当たり前過ぎて、「自分」と「母」というものがほとんど一体化していたが、実はこれが着脱可能であることに。
娘を産んだ日の夜、正に「物語の脇役になっ」たと思った。
これからの人生の主役はもはや私ではない、と。
それから椎名林檎の「ありきたりな女」をYouTubeで探して、涙を流し、母としての人生をスタートさせた、つもりだった。

でも違ったのだ。
母という属性は、事前確認なしに付けられていたオプションのようなものだった。
この記事のタイトルは、最初「こちらオプションでお付けできます」だった。
でも、「では結構です」という選択肢もなければ、そもそも「お付けできます」という事前告知もない。
はたと気づいて、これは?と問うて初めて「お付けしときました」と回答されるような感覚に似ている。だから、このタイトルに改めた。

このオプションがあまりに大きく、目立ち、当たり前についてくるせいで、いつしか本体が別にあることを忘れてしまっていた。
不妊治療を経て、充分に母になりたいと望んでなったにも関わらずこうなのだから、そうでなく子を持った母たちが、この「本体を覆い隠してしまうほどのオプション」に、そうと気づかず苦しんでいることが多いのは当然であると思う。

いつでもじゃないけど、いつもじゃない

この「オプションがいつの間にか付いていた」という気づきは、私にとってとても大きかった。
たしかに、大きいし、重いし、目立つし、当然のようについているし、しかも、いつでも好きなときに外せるものではない。
でも、いつも必ず付けておかなければいけないものでも、どうやらなさそうである。
そう思うと、物語の脇役になったように見えて、実はこの章だけ視点が変わっているだけなのかもしれない。

今は目の前のことで手一杯で、たしかにほとんどずっとこのオプションを実装していないと、生活が回らない時期ではあるのだけれど。
決して後悔しているわけじゃない。付けられたことが嫌なわけでもない。
ただ、苦しくなったり、窮屈になったりしたときに、「あ、そういえばずっとオプション付けっぱなしだし、これのせいか〜。これ、重くて肩凝っちゃうのよね〜。」と思うだけで、少し心が晴れる気がする。

私の人生は、私自身は、脇に追いやられたわけでも、なくなったわけでもなかった。
今はちょっと見えにくいだけで、いつでも、そこに在ったのだ。



※画像お借りしました。あつメロさん、ぴったりのお写真をありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?