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そっか、川下り型だったんだ・・・でも、ん??

若い方と話をしていると、よく「楠見さんは若い頃から社長を狙っていたんですか?」と聞かれます。

「若い頃から社長って・・・そんな奴はおらんやろ」と答えていたのですが、最近、スタッフの一人から「楠見さんって、”川下り型”だったんですね」と言われ、「何それ?」と聞くと、あらかじめ目標を決めてそこへ向かって一歩一歩進んでいくキャリア観を”山登り型”というのに対して、”川下り型”というのは、大きな方向感は持ちつつも目標に固執しすぎず、自分が大切にする価値観を軸に仕事に取り組んでいく、というキャリア観のことだそうです。

え、これって川下り型?

そういわれれば、確かに、若い頃もそうですが、40代になっても、上位の役職に就きたいなどと考えたことはありませんでした。むしろ、上位になればなるほど、自分では何もできないのに責任ばかり重くなるので、むしろ、いつも「このままで、続けさせて欲しい」と思っていたものです。

ただ、1990年代後半、私が30代半ばの頃にTV放送のデジタル化に向けて放送局さんはじめ色んな会社の皆さんと日本のデータ放送方式(=TVのリモコンのdボタン機能)を開発した時も、2000年代半ば40歳前半の頃にはじめて事業部に身をおいてDIGAの開発部長を務めた時も、様々な課題に対して逃げることなく、仲間と一緒に考え抜き、時には狂気を発して取り組んでいました。

厳しい状況だけれども、成功すれば画期的なプロジェクトを担当させてもらっていた・・・つまり上司に恵まれたということでもありますが、兎に角、熱中していましたね。20年近く前の話なので、今では考えられないかもしれませんが 、開発が難航している時は、オフィスの椅子を並べて仮眠をとりながら3日くらい家に帰らず、心配して見に来た上司に「臭いから、家帰って風呂入って、寝てこい。明日の朝まで会社に来るな!」と怒鳴られたこともあります。また、部下にも厳しかったので、今振り返ると大いに反省すべき点だらけではありますが、周囲からは今で言えば「パワハラ系」と認識されていました。

初めて厳しく叱られて・・・

若い頃から仕事の上では、こっぴどく叱られたこともなかったのですが、初めて厳しく叱られたのは、2012年、47歳の時にテレビ事業の事業部長を任された際に、初めて事業部の事業計画を立てたときでした。今思えば酷い中身だったのですが、当時はこれで良かろうと、年末の最終日に上司に報告をすると、即座に「何やこれは! お前は事業ということも、事業部長ということも全然分かっていない。お前が言うたら周りはお前の言う通りに書くわな。せやけど、お前は事業部長になりたてで何も知らんやろ。何も知らん奴の言うた通りに書いたところで、そんなもん計画でも何でもあらへん!」と、書類を投げつけられ、その年末年始はずっと途方に暮れて、胃が痛かったのを覚えています。

年が明けて、出勤日の前の日に、その上司からフォローのメールをいただき、事業というのは様々な側面があること、事業部長一人でそれらの全てを精緻に理解し指示することなど不可能であること、いかに皆さんに動いていただくかということが大事であるかということなど、頭では知識としては持っていたけれども、本当の意味での理解には至っていなかったことに気付かされました。

2014年に事業ごと家電の分社(当時のアプライアンス社)に移管された時には、「あんたはAVの事業しか知らんやろ。ビューティも担当させたげるから、よく勉強しぃや。」と言われました。当時から確かに、ナノケアドライヤーをはじめヒット商品を連発している事業部で、そのプロセス、組織のつくり方、工場でのモノづくりを非常に大切に進化させ続けていることなど、大変勉強になりました。

アプライアンス社では、その後も、自転車、調理、冷蔵庫、洗濯機・クリーナーなどの事業を、事業担当(事業部長の上司役)として担当させてもらいましたが、異なる事業を担当してきたからこそ改善すべきポイントが見えることに気付かされました。

もう一つの転機

もう一度、大きな転機があったのは、2018年、旧アプライアンス社から今度は車載機器・電池・電子部品を扱う分社(旧オートモーティブ&インダストリアルシステムズ社)に異動し、再び事業部長として角形車載電池の事業(現在はトヨタ自動車との合弁のプライムプラネットエナジー&ソリューションズ株式会社)を担当した時です。商品もモノづくりもお客様も全て初めてづくしで、事業部長を任されたわけですから、今まで以上に自分では何もできない。

ところが、おそらく本社の幹部も「このままだと、楠見は途方に暮れる、それではえらいことになる」とリスクを感じたのだと思いますが、外部のエグゼクティブコーチをつけてくれたのです。変革の方向性の研ぎ澄ませ方、その変革を成し遂げるために事業部の各部門や関連組織との関係性の築き方、そのためのコミュニケーションのあり方など、新たに様々なスキルを身に着ける機会ともなりました。

・・・と、こういう風に、結局、懸命に取り組んでいると、 時々の上司や周囲が足らざる部分を補ってくださったり、また、そもそも足らざる部分に気付かせてくださったり、さらには、そういう新たな機会を与えていただいた。それによって、自分の引き出しの中に色んな道具や、課題に対する処方箋が増えたということでしかないのです。

むしろ何にも囚われない

その時々で、直面している課題に対して「これがベストではないか?」ということしか考えていませんでした。その判断のベースに何かがあったとすれば、「ベストを尽くす」こと以外にありませんでした。

私は、むしろ、自分目線で何らかの「価値観」を確立することを是としていません。そんなものは、吹けば飛ぶようなものであり、その時々で何がベストかを考えることが肝要と思っています。

そういう風に考えないと、私どもの創業者が求めた「日に新た」なんて、実践できないのではないかとも思います。キャリアを求めて、本質を追求できるのか?本当に社会へのお役立ちができるのか?・・とすら思います。

なので、私は、「今、何になりたいか、よく分からない」という方は、それはそれでいいと思います。ただ、目の前の仕事に、その仕事の意義を見つけ、その意義、目的を達成するためにベストを尽くす。そうすれば周りはそれを見ています。そして、与えられた新たな機会は「新たなスキルを獲得するチャンス」と考えて、喜んでまたそれに全力で取り組む。そうすれば「何になりたいか、よく分からない」ということであっても、周囲が貴方を認め、おのずとキャリアは開かれるのではないかと思うのです。



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