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幼少期の事④小学校3-4年 復讐の終わり

復讐の季節は2年近く続いたが4年生の後半に終わりを告げる事になる。
I君が先生にチクったのだ。

私の訴えを事実上無視した1-2年の時の担任とは変わっていたが、その時の担任はこのチクリを受けて、対策に乗り出したのである。
つくずく世の中というのは不公平で不公正で不平等にできている。
私の言い分も聞かれるわけだが、当然ながら自らの正義を信じて疑わない私は、これは仕返しであり、正当な行為であり、私は謝罪すらされていない事を主張し、謝罪や和解は拒否した。

すると次にこの担任は私を学級会に掛ける事にした。
学級会の議題は「楠森君はなぜいじめをするのか」である。
教員主導の吊し上げが、行われた。
生来「ああいえばこういう」と周りの大人に言われ続けていた、弁の立つ子供であった私はそれでも、徹底的に自らの正当性をクラス全員を敵に回して主張し続けた。
学級会は3週間連続の開催となり、最後は私の意見を聞くことをやめ、私以外のクラスメンバーで、私がなぜいじめをするのか、という疑問に対する結論を出すという滑稽な議事進行が繰り広げられた。
私も謝罪を求められたが、当然ながら初めに虐めたI君はじめほかのメンバーの謝罪がない以上拒否した。
虐めを繰り返さない様にも指導されたが、今回はいったん期間的に考えても私が虐められていたのと同じくらいやり返したので止めるが、また私に危害が加えられれば、むしろ必ず虐めを繰り返す事を宣言した。
担任はそんなことがあれば、言ってくれれば、みたいなことを言っていたと思うが、1-2年の時に私の訴えを事実上取り上げなかった教員のいう事はあてにならない、というような事を言い返していた気がする。

ともあれ、そんなこんなでいったんI君その他の私を虐めたメンバーへの仕返しとしての虐めを一旦やめる事には同意した。
私は出来ない約束はしない、約束は守る、というのがこの当時からの信条であったため、ひとまず渋々ながらこの約束は履行されることとなった。

こうして、私の復讐としての虐めは幕を閉じた。
ちなみに学級会を開かれたのは私以外にもいる。もっともそれほど深刻な議題ではなく、精々掃除をしないで帰る男子X君について、といった程度の議題であったが。
氷河期世代というのはこういった教員主導の生徒の吊し上げの様な行為すら状況により行われ、それが特に非難される様な事もなかった世代であった。

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