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道の駅に神はいない

https://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20200215

我々取材班は、奇妙な行動を取る男の存在に気づいた。午前0時を過ぎた頃、いつも車上生活者たちと話し込む男の姿があった。この男こそ、有限会社道の駅に神はいない取締役、権武健太郎だった。

「はじめまして。権武と申します。権利の権、武士の武と書いて、ごんだけ、と読みます」権武は言う。「名前も珍しいですが、会社名も奇妙だと思われたでしょう。まあそうでしょうね。会社名はなんでもよかったんです。思いつきでつけたんですけど、まあ一発で覚えてもらえるんでよかったかなと。最初はNPO法人だったんですけど、日本人というか特に地方都市はNPOでは活動しにくいところがあって、働かざる者食うべからずの精神が遺伝子レベルで染みついていて。いろいろあって有限会社という形に落ち着きました。もちろん従業員は僕一人ですけど」

「収益は道の駅からの歩合給になります。成功報酬ですね。立ち退いてもらえば一台幾らの。もちろん車上生活者一人一人に様々な事情があって今の生活があるわけですが、道の駅にとってみれば不法占拠ですから」

「不思議に思うでしょうね。そういうのに対応するのは警察か行政、もしくはNPOだろうと。しかしね、彼らは続かないんですよね。警察は通報があれば動くけど声を掛けて終わりだし、行政や NPOはさらに難しい。なによりここで暮らす彼らは、紆余曲折あって今の生活に至っているわけで、そこには強烈な現状維持バイアスがあります。その点、行政やNPOは本人が助けを求めなければ動けない。その動けなさの裏には、世間の自己責任論の強さも影響している。結局、営利ベースの我々しか続かないんですよね」

「道の駅側が排除を志向し始めたのはここ数年です。その要因はクレームです。観光シーズンになると駐車場が一杯になるし、どうしても既存客とのトラブルになる。彼らは水道代の増とかはそんなに気にしていない。ただただクレームで既存客を失うことを畏れている。ここ最近、顕著な社会の不寛容さが影を落としていると思います」

「立ち退き屋と聞くと、強面で怖いイメージがあるかもしれませんね。しかし僕は「出ていけ」とも「立ち退いてくれ」とも言ったことはないんですよ。いや、最初はそういうアプローチをしたこともありましたが、それでうまくいかないことはすぐに分かりました。そもそも人には生存権がありますから、車上生活者たちはこの形でないと生きられないと主張してくる。一方で道の駅側にも当然、土地の所有権があって、退去を求める権利があるわけですが、こちらサイドが強硬に所有権を主張すると、車上生活者もまた強硬に生存権を主張してくることになる。平行線ですね」

「じゃあどうするか。ただ話を聞くんですね。一度話し始めると彼らは一晩中、話し続けることもあります。彼らにはそれだけ積もり積もったものがあるんですね。それをただ聞く。そして話者が全てを話し終えると、沈黙が流れる。しかしそれは気まずい沈黙ではない。分かりあえたとまでは言いませんが、なにかこう次のフェーズに進む予兆のような、前向きな沈黙と言うか。そして次の日に彼らはいなくなることが多いですね。どこに行くのか。別の道の駅に行きます。でもそこも僕の担当なんです」

「もちろんビジネスモデルに批判があることは分かります。マッチポンプじゃないかと。実際一人の車上生活者で3回くらい別の道の駅から成功報酬をもらってますから。ある種の人たちは鬼の首を取ったかのように言います。詐欺じゃないかと。しかしそう言う人は現状維持バイアスの怖さを知らなすぎる。車上生活者は、人生の分かれ道を選んで選んで今に至っているわけで、どんなに悲惨な境遇にあろうと、変えるということを畏れている。選択することを畏れている。変われば変わるほど悪くなる人生を歩んできた人たちですからね、そんなね、1回で生活保護を受けようとか、就労しようとかなりませんよ。そう思う人たちは夢を見てるんです」

「2回目の道の駅で、僕の姿を見たら彼らは露骨に嫌な顔をしますね。そこからまた心を砕いていく作業になります。3回目の道の駅で会うと、彼らは呆れたような苦笑いを浮かべます。それが変化を受け入れるサインです。ケースに応じて市役所とかハローワークとか社協とかNPOにつないでいきます。僕はあくまでも営利ベースを維持しながら活動していくスタンスです」

「僕の話ですか。自分の話は恥ずかしいな。そうですね、元々、無口で臆病な子供でした。うまく話せないせいか、学生時代からずっと集団に馴染めないと言うか、違和感を感じてきました。勉強はできました。常にクラスで一番でした。一方で、クラスでどう振る舞えばいいかが分からない。クラスメイトの当たり前が分からない。僕は勉強だけができるイタいヤツ、今で言うところの空気が読めないヤツでした。感覚的に言うと、コーヒーのCMのトミー・リー・ジョーンズのあの感じですね。宇宙人が地球に来て、地球人を分析して、必死に模倣する。あの哀れなエイリアン」

「そんな僕の高校時代のアイドルは、イギリスのロックバンド、ザ・スミスでした。「2階建てバスが突っ込んで来て君と死ねたら幸せ」「イングランドは俺を養え。理由を聞く奴には唾を吐きかけてやる」と唄うモリッシーに心酔していました。高校を卒業したあと、市役所に就職しました。勉強はできましたが、大学生のノリについていけないと思ったのです。しかしその考えは間違いだとすぐに気づきました。市役所こそ空気読みと忖度を求められる、最たる職場ですからね。僕はすぐに嫌気が差しました。その頃、道の駅の指定管理を担当していて、業者や客との対応はそうでもないんですが、役所の内部調整が本当に嫌だった。僕は市役所を辞めました」

「僕は市役所を辞めて、ニューハーフになりました。きっと変わりたかったのでしょう。「僕は少女、シーラは紳士、愛し合おう」と唄ったザ・スミスの影響もあったかもしれません。ニューハーフ・バーでは楽しくやってました。3年くらいですかね。その頃のキラー・フレーズと言うか鉄板ネタは「ごんだけ~」ですね。ほんとにね、Ikkoさんは偉大ですよ。その頃、ニューハーフ・バーに顔見知りの道の駅の社長が来ました。あとから聞いたのですが、バーのママが呼んだのです。ママは本質的に僕がニューハーフではないことに気づいていました。僕は説得され、道の駅のバイトから始めることになりました。で、紆余曲折あって今に至ると。あるとき、車上生活者で麦端さんというオジサンがいました。彼はバブルの栄光が忘れられなくて、金があればあるだけ使う人でした。彼の娘はデリヘル嬢で、それなりにお金は持っていましたが、毎日、道の駅に来て500円だけ渡していました。毎日早朝に来て、大声で喧嘩していました。きっと麦端さんは値上げしろとか言ってたと思います。見かねた僕はあるとき彼女に声を掛けて、僕が毎日、麦端さんに500円渡すから君は月1回僕に1万5千円渡してくれればいい」と言いました。その彼女が今の僕の妻です」

最後に我々取材班はこう聞いた。「あなたにとって道の駅とはなんですか」
「そうですね、なんでしょうね」権武は言う。「マチのほっとステーションであってほしいですけどね。本来、人はどこにいたっていいと思うんですよね。でも現実に難しい。そうですね、「日本で一番、神がいてほしい場所」でしょうか。会社名にもしてるとおり、道の駅に神はいないんですよ。でもね、真夜中に車上生活者の助手席に招いていただいて、一晩中、話を聞いて、沈黙の中、荘厳な朝日が昇る。それを見たとき、漠然と神はいるんだと思うんですよね。僕は無宗教だし、皆さんの思う神とは違うかもしれませんが、なんと言うか、自分に誠実にさえ生きていれば、見てくれている神はいるんだって。本当にそう思うんですよね。本当にね、神はいるんだってそのときだけは、そのときだけはそう思うんですよね」

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