女王陛下のスピーチライター

76年前の今日、投下された一発の原子爆弾は、一瞬にして、すべてを焼きつくし、罪のない多くの人びとを傷つけ、多くの命を奪いました。
犠牲となられた方々の御霊に、謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、今なお、被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
そして、焦土と化したこの国が、多くの国民の皆様のご努力により、76年の月日を経て、このように復興を遂げたこと、また、私たちがこうして、ひとまず安全な暮らしを享受できていることに、心より感謝の言葉を申し上げます。

一方で、残念なことに、世界は今もなお、暴力にあふれ、本当の意味で、平和であるとは言えません。
新型コロナウイルス感染症の脅威が世界を覆う中、その病そのものではなく、差別に苦しむ人たちがいます。望んで罹患したわけではないのに、誹謗中傷を受け、職場を追われた人。自宅を特定され、引っ越しを余儀なくされた人。性的指向を晒され、死に追いやられた人。
最前線で疫禍と戦う医療従事者の家族までもが、言われなき差別を受け、職場や学校で暴言を受けた、保育園への入園を拒絶された、などといった事例が報告されています。

本当に怖いのは、感染症よりも人間、なのでしょうか。この新型コロナウイルス感染症の疫禍の中、人びとは心の余裕を奪われて、思いやりや寛容さ、共感力、人の痛みに思い至る心を失ってしまっているのでしょうか。

令和2年5月23日未明、プロレスラーの木村花さんが逝去されました。22歳でした。死因は硫化水素による自死でした。
生前、故人は将来を嘱望されたアスリートであり、人気番組の出演者でもありました。ドキュメンタリー形式で恋愛模様を観察する、いわゆるリアリティーショーと呼ばれる番組の中での、彼女の美しい立ち姿、強くまっすぐな瞳、私は一視聴者として、とても魅力的に感じていました。
番組内での事件をきっかけに、いつ死ぬの、性格悪い、生きてる価値あるのかね、などといった苛烈な誹謗中傷に晒され、繊細な心の持ち主である彼女は、律儀に飼い猫を避難させた後、自宅で自らその短い生涯を終えました。
同じ時代を生きる若い女性の一人として、私は、大変に衝撃を受けました。

私は今、眼を閉じて考えます。
彼女は、特殊な世界に生きる、特殊な人間などではありません。彼女は私であり、彼女はあなたであり、誰にでも起こりうることなのです。
激しいいじめや、嫌がらせを受けて、自ら死を選ぶ子どもたち。パワーハラスメントと呼ばれる、同じような仕打ちを受けて、自ら死を選ぶ大人たち。
憎しみや怒り、哀しみの連鎖によって、死に追いやられる人が一人でもいるのなら、その世界はまだ、平和ではないと言わざるを得ません。

私は今、胸に手を当てて考えてみます。
そういう私は、清廉と言えるのでしょうか。いえ、決して、そうではありません。
思い返してみると、学生時代、級友の皆様と、意見が相違することがありました。級友の皆様の言葉に傷つくこともありましたし、私の意見が、級友の皆様を傷つけてしまったこともあったと思います。
私は私なりに、正しいと思うことを申し述べたつもりでも、それゆえに相手を傷つけてしまう。反対に、相手の言葉もまた、その正しさゆえに、私を傷つけてしまう。この正しさと正しさとの衝突を、どう捉えれば良いのでしょうか。

ある意味、私たちは特殊な世界に生きています。
級友の皆様とのあいだにある、見えない透明なバリアのようなものを、私はずっと感じてきました。共感ベースで相互理解するには、あまりにも立ち位置が違いすぎる、そのことにずっと思い悩み、対応に苦慮してきました。
暮らしていくこと、働くこと、生きていくこと、お金を稼ぐこと、すべての面での共感ベースが、私たちと国民の皆様とでは、あまりにかけ離れています。何が良くて、何が駄目だったか、私には分かりません。
そのような私たちが指し示す国民の象徴とは、一体どういったものなのでしょうか。そして、そんな私たちに求められる態度、私たちが持ちうる共感力とは、どのようなものなのでしょうか。
その問いは、あまりに難しく、投げ出したくなることもあるけれど、諦めてしまわないように問い続けること、考え続けることだけが、唯一、私にできることなのだと、今は思っています。

新型コロナウイルス感染症の脅威は今、どのような立ち位置の人にも等しく、私たちの生活を飲み込もうとしています。それはちょうど、かつての原子雲がそうであったように。
新型コロナウイルス感染症は、私たちの暮らしを一変させ、私たちのささやかな「当たり前」を、否応なしに奪い、変えていくでしょう。
そして、思うのです。今こそ、私たちの思いやり、寛容さ、誠実さ、良心、慈悲心、共感力、人の痛みに思い至る心が問われているのだと。
私事ではありますが、私は、近い将来、結婚します。私たちは、未熟者ではあるけれど、私たちなりの船に乗り、私たちなりの帆を張って、たとえ大海が嵐であろうと、それの寛容さや誠実さを信じて、それらを結集させて、たとえ1ミリでも、歩を前に進めて行く所存です。理解してくださる方がいらっしゃればありがたいと存じます。

爆心地に近い山王神社では、あの日と同じ真っ青な大空に、2本のクスノキが、緑の枝葉を大きく空にひろげています。黒焦げの無残な姿を原子野にさらしていた被爆クスノキは、それでも見事に、よみがえりました。
どんなに逆風が吹き荒れようとも、私たちは未来を決して諦めません。
人びとの平和の実現のために、そして、昨日より、たとえ1ミリであっても、より良い世界のために、微力ではあるけれど、全力を尽くしていくことを、ここに宣言します。

(令和3年8月9日)


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