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青いブリンクはけしてやって来ない、けれど

※こちらはWEBマガジン「She is」公募エッセイ用に書いたものです。

比較的はじまりに近い記憶の中で、覚えていることがある。
自転車に乗る練習をしていて、なかなかうまくいかなかったある時。ふと私は「こわい」と思った。転んだら痛い。皮膚が擦りむけて、血が出てくる。痛いのはいやだ。
そこで私は練習をやめた。結局小学生のある時点まで、自転車に乗らずに過ごした。

ビビり。それこそが自分のコンプレックスである。年を取った今でも予防注射は恐ろしく、バンジージャンプは想像するだけで厳しい。お化け屋敷も嫌いだ。もちろん空間的、物理的な怖さや痛みだけじゃなくて、締め切り日の前日や待てど暮らせど来ないメール、そんなあらゆるものを怖がっている。
そんな小市民が遥か昔に夢見たのは、勇気を得ることだった。

手塚治虫の「青いブリンク」という作品をご存じだろうか。とても簡単に説明すると、1989年から90年にかけてNHKで放送されていた冒険アニメである。物語の主人公、カケルは心優しいけれど怖がりで臆病になってしまう少年。

そんな彼に、相棒の青いユニコーンのようなキャラクター、ブリンクがこう言うのだ。「カケルくん、勇気をあげる!」と。そして球状のエネルギーのようなものを射出する。それを浴びたカケルはなんと、急に勇ましくなるのである。
そのシチュエーションにとても憧れていた幼少期の私は、そんな未来が自分に来るのを待っていた。

しかし当然のことながら、そんな機会はどれだけ時が経過しても訪れなかった。赤い着物のサンタクロースも、白馬の王子様もいないのだ。青いブリンクがいるはずもない。それがわかったのは、いつだっただろうか。正直な話、よく思い出せないが、きっとゆるやかにその事実を受け止めていったのだろう。

他力本願で得られないとわかった勇気。それを自力で生み出せたことは、正直そんなに多くはない。明確に「あっ、出せたな」と思えたのは3回ほどだ。

1つ目は高校生の時、それまで未経験だった演劇をやってみようと思った。演じてみて、自分は大きな声も出せるんだ、と気づいた。2つ目は社会人になって、脚本を書きたいと言った時。それまで長い文章は書けないだろうと思ってきたけれど、実際に挑戦してみて、できなくはない、ということがわかった。

最後は、現在所属しているところ(仕事絡みではない)に入りたいという意思表示をした時。入る前はあれこれ考えたのだけれど、幸運なことに杞憂に終わった。今でもそこで良い仲間に囲まれて、楽しく過ごせている。

この3つの経験に、共通点があることを発見した。まず、全て興味があり、やりたいジャンルであったこと。そして、「駄目なら駄目でいい、大丈夫」という気持ちを持っていたこと。強い関心と覚悟が揃うと、そこからかなり勇気が生まれる可能性が高くなる。

さらに色々な準備ができていたり、考えが具体的だったりするともっと憧れや夢が近づく。ビビりながらもそれだけは実感できたし、つかみ取れたような気がする。

今回、このエッセイを書くにあたり「青いブリンク」について調べたら、ブリンクが与えた力は「特に勇気を促すような効力はなく、自己暗示のようなもの」とあって驚いた。

やっぱり勇気が何の努力もせずに供給されることはないのだ。手塚ワールド、さすがである。

青いブリンクは現れない。だから、せめて心の中に棲んでもらおう。勇気を出すために。

#コラム


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