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落語日記 来年20周年、第100回を迎える四人組の落語会

RAKUGOもんすたぁず CHAPTER95
9月24日 古石場文化センター
毎回通っている会で、前回は8月の池袋演芸場でのスペシャルな回だったが、今回はレギュラーの回なので、本拠地の古石場文化センターに戻っての開催。

オープニングトーク
前回の池袋演芸場の回でも志ん陽師匠が紹介していたが、この会ももうすぐ第100回を迎え、また来年がちょうど20周年という記念の年。通常の開催間隔で判断すると、来年の9月頃の開催で第100回になる予定。落語協会創立100周年記念の年とも重なり、来年はこの会にとって、そんなお目出度い記念の年となるというお話。
演者の自主公演で、それもユニットを組んでの落語会で、これだけ長く続いている会は他にはそう無いと思う。ある意味、偉業なのだ。ぜひ、お祝いの会を盛大に開催して欲しいと、もんすたぁずファンとして切に願う。

古今亭松ぼっくり「饅頭怖い」
落着きは既に二ツ目級。饅頭を怖がる鉄公のディスリ方が可笑しい。蟻茶漬けまで食う強がりには、思わず吹いた。

柳家小傳次「小言念仏」
前回主任の小傳次師匠は、今回は先鋒役。晩年の小三治師でお馴染みとなった噺。
マクラは、落語家は楽屋では静かな人が多いという話から。例外として、おしゃべりなのは三朝師匠。仲間イジリは仲良しの証し。そこから、陰と陽の話で、手つき、念仏は陰、お題目は陽という定番のマクラから本編へ。
陰気な隠居の一人語りで、念仏の合間に、登場しない相手が居るように話しかけるというのは、結構難易度が高いと感じている。そんな噺を、飄々と不機嫌さを保って一人語りを進めて、そこから可笑しさが伝わったのは、小傳次師匠の任に合っているからだと思う。
本来の下げがどんなものか、よく分からない噺。小傳次師匠の一席は、本来の下げである鍋でドジョウを調理する場面まで。ドジョウに向かって「ざまあみろっ、なんまいだぶ」の隠居の強烈なセリフが下げとなる。信仰をイジッた下げ、なるほど落語らしい良く出来た下げだと、改めて感心。

柳家燕弥「五貫裁き」
仲入り前は、燕弥師匠の長めの一席。仲入り前のポジションで、トリネタとしても掛けられる人情噺を持ってきた燕弥師匠。この会は、全員ネタ出しなので、この一席は期待していた。
燕弥師匠らしく、本寸法でキャラの演じ別けが見事だった一席。登場人物が多い噺ではあるが、中でも大家が味のある知恵者の大人として描かれていて気に入った。出しゃばらず、それでいて奉行を信頼していて、奉行の企みをすぐに理解している。控えめながら、噺の重しになる人物なのだ。大家のさりげなさが、この噺を重くせず、軽い空気を作っている。
また、今まで聴いたこの噺と下げがちょっと違う。和解したのち、人の情けを知った徳力屋は、善行に目覚めて世のため人のために尽くした、そんな定番だと思っていた下げの型ではなかった。
最後は、徳力屋は潰れ八五郎も八百屋を潰す。関係者は、みんな死んでしまい、この話を知る者は誰もいなくなった、大岡政談に記録が残るだけ、そんなお話です、という下げ。
質屋の徳力屋のモデルは、現在も神田で営業を続けている貴金属商の「徳力本店」だと言われている。モデルが現存しているので、最後はめでたしめでたしで終えるのが一般的。そこをあえて、噺の世界と実在の世界の関係を断ち切っているように感じさせる下げを採用している。
まるで、ドラマの最後に流れるテロップ「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」が入ったかのような終わり方なのだ。これによって、この噺では特定の団体の宣伝はしていません、と宣言しているように感じるのだ。
噺のモデルとなった会社と噺の中の商人、これらと向き合った結果としての一つの型、燕弥師匠の選択なのだ。

仲入り

春風亭三朝「三人無筆」
マクラは、子供の頃の思い出話。この夏の暑さから、エアコン無しの生活は考えられないが、昔は無しが当たり前。エアコンをクーラーと呼んでいた子供の頃、父親の号令のもと部屋に集まってクーラーをつけた。現在の様にエアコンがないと過ごせないことなど、想像もつかなかった時代、あの頃とは天候も変わってきている。そんな昔話から、昔は文字の読めない書けない、無筆と呼ばれる人が多かったという定番のマクラから本編へ。
三朝師匠の一席から、当時も無筆の人達がある程度の劣等感を持っていたことを感じることができる。実際には、江戸の頃は教育には熱心で、読み書きそろばんを習える寺子屋で子供たちが勉強していたのはご存じのとおり。なので、庶民の識字率は、江戸の町では約80%以上と言われている。実際には、喜三っぺみたいな人は珍しい。皆が当たり前に読み書きができるので、無筆の人の滑稽さや劣等感を笑いの題材にできるのだ。無筆が当たり前の世の中であれば、これを笑い者にできる訳がない。そんなことを考えさせてくれた三朝師匠だった。

古今亭志ん陽「子は鎹」
この日の主任は、志ん陽師匠。志ん陽師匠でこの演目は、おそらく初。
まずは、鎹(かすがい)の解説から。ゆったりと丁寧な入り。このリズムで終始した一席。私の好きな志ん朝師の型に近い。なので、息子は亀ちゃんではなく金ちゃん。金ちゃんの話で、学校で動物園に行った、象、きりん、熊を見たと言ったら、熊は父ちゃんの名前だから、呼び捨てはダメと母親が言ったとのエピソード。鰻屋の二階での夫婦再会の場面も番頭の居ない型。これらは、志ん朝師で聴いたのと同じ型。違うところは、ゲンノウではなく金槌で打つと言ったところ。
番頭さんが木場に行く道すがら熊さんに対して、女房との復縁を勧めたり、金坊に会いたくないかと尋ねたりする。その後すぐに、学校帰りの金坊に会う。偶然にしては出来過ぎている。逆に言うと、熊が金坊と遭遇するような時刻に木場へ誘った番頭のタイミングが絶妙過ぎる。女房や金坊の話をそれとなくして、番頭は熊の気持ちを確かめているように聞こえる。
これらを考え合わせると、この親子が遭遇する再会劇は、まさに番頭が仕組んだもので偶然ではない。きっと、そうに違いない。志ん陽師匠の一席が、シンプルで簡潔明瞭だけに、番頭の企みが分かりやすく浮かび上がってきたのだ。そんな効果を感じた一席。
さすが、最後の弟子ならではの、志ん朝師を感じさせてくれた志ん陽師匠の高座だった。

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