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落語日記 演芸のメッカ浅草で始まった定期的に上方落語が聴ける会

木馬亭ツキイチ上方落語会 初春公演
1月17日 木馬亭
東京では唯一の浪曲の常打ち小屋である浅草の木馬亭。レトロな雰囲気あふれる建物の木馬亭に今回が初訪問。この木馬亭で自主企画の落語会が始まった。昨年11月のプレ開催を経て、この日は「木馬亭ツキイチ上方落語会」と題して毎月開催する落語会が本格的にスタートしたその第1回。この会は大阪から演者を招いて、上方落語専門で口演される寄席形式の落語会。
本格的な上方落語を色々な演者が出演する寄席形式で聴ける会は、おそらく東京では初めての試みだ。ライブで上方落語を聴ける貴重な機会なので楽しみに出掛けてきた。この日の出演者は、全員初めて聴く演者なので、新鮮さもあって、あっという間に終演という、充実した時間だった。
 
三遊亭楽太「売り声」
前座は江戸落語。元々、円楽師の弟子だったのが、亡くなったので萬橘門下へ移籍されたとのこと。江戸落語だが、出身は兵庫県姫路市。なので、楽屋では一人アウェイ状態と。そんな自己紹介の長めのマクラで笑いをとる。本編は売り声を紹介する短い小噺で、後へ繋ぐ。
楽太さんは降りた後、高座に見台と膝隠を運び込み、いよいよ上方落語の会が始まるという雰囲気で、私のテンションが上がる。
 
桂源太「初天神」
上方落語の先陣を切るのはこの日の主任の雀太師匠のお弟子さん。明るくタレント性にあふれる若者だ。早速、楽太さんを姫路の裏切り者とイジル。この楽太さんイジリは主任の雀太師匠まで続くのだ。そんな意味でも、楽太さんはいい仕事をした。
本編は江戸落語でもおなじみの噺。この落語会の楽しみは、聴いたことがない上方落語の演目との出会いのほか、江戸落語と同じ噺がどう違っているのかと聴き比べすることになる。なので、初天神と分かったときから、頭の片隅で江戸落語と比べながら聴いていた。
やんちゃな息子は、無邪気さと生意気さを併せ持つ寅ちゃん。この寅ちゃんが父親を承諾させる手法が、なかなかに手が込んでいる。隣家に上がり込み、住人の親父に両親の夜の生態を生々しく語り出す。慌てて父親が止めに入り、しかたなく寅ちゃんを連れて行く。この寅ちゃんの知恵がまわることは、話を聞かせる隣家の親父から十銭をふんだくることでも分かる。まさに、真田小僧の金坊と同じ手口。
初天神までの道中は、飴屋と団子屋での大騒ぎ。しかたなく買わされる父親は、けっこう優しいかも。あまり抵抗なく買ってあげる。この屋台の団子屋が結構な悪人。父親に買わせる作戦を寅へ授けるのだ。
これらは上方の型なのか源太さんの工夫なのか分からないが、新鮮な可笑しさと登場人物たちを表情豊かに口演された源太さんの一席は爆笑の連続だった。笑わせることに貪欲な高座で、さすが上方落語だと、一席目より痛感させられた。
 
笑福亭呂好「盆唄」
二席目は、穏やかで落ち着いた語り口の呂好師匠。本編もしっとりと聴かせる人情噺。一席目の賑やかさとは対称的な高座で、上方落語の多様性も感じさせてくれた。私的には、この日一番の一席。呂好師匠の凄さが、強く心に刻まれた。
この日の上方落語を聴いた全体の印象として、芝居のような印象のセリフ廻しだなあと思ったが、呂好師匠の一席は特にこの印象が強かった。
 
まずは、商人の街大阪ならではの十日戎の賑わいと庶民の信心の話から始め、船場で昔あったけど無くなってしまった風習として盆の時期の遠国(おんごく)という伝統行事を紹介。後で分かるが、これらがこの噺の重要なモチーフとなる。
そんな呂好師匠の解説を聞いたときは、この演目は上方発祥の噺だと思っていた。初めて聴く珍しい演目なのでネットで調べてみると、実はそうではなかったことが分かった。ネットによると、志ん生師の持ちネタだった「ぼんぼん唄」という噺を桂文我師匠が上方版に移植したものらしい。文我師匠は、現代では忘れられた噺を古文献から掘り起こし復元することに取り組まれていて、上演された持ちネタは七百以上あるそうだ。
元となった演目は、今や江戸落語ではほとんど聴かれなくなっている。それがこの噺では、上方の風景や廃れてしまったお盆の風習を再現していて、以前より語り継がれてきた上方落語のように感じさせるものに変わっている。そんな文我師匠の改作を、見事に引き継いで口演された呂好師匠の高座だった。江戸落語からの移植であることなど、みじんも感じさせなかったのだ。
 
伝統行事の遠国での呂好師匠の唄声、これが見事。時代の雰囲気を出しながら、情緒あふれる場面となった。町内ごとに歌詞が違うことから、地元の歌詞を覚えていた娘の唄声が手掛かりになって、迷い子の生家が見つかるという筋書き。
子供のいない夫婦の元にやってきた迷い子に、戎様からの授かりものとして愛情を注ぐ。しかし、実の親に返さなければならないという葛藤のなか、迷い子の唄声が切っ掛けとなり、実の両親との再会を果たす。
このように、遠国の唄声が噺のカギとなっている。信心や伝統行事が良い報いを生むという、良く出来た筋書なのだ。人情噺として上手く出来た筋書と、二組の夫婦の子供に対する愛情を感情豊かに描いた呂好師匠の好演によって、心に染み入る一席となった。
 
仲入り
 
月亭太遊「来て!観て!イミティ村」
楽太さんの江戸落語イジリから、実は自分は大分県出身との告白。上方落語で語っている上方弁はイミテーション。上手い流れのマクラからご自身作の新作。そのモチーフはまさに、イミテーション。
マクラが楽しく、京都に住んだときにお寺などへ落語会をやりませんかと営業を掛けたところ、うちは以前より米朝一門にお世話になっていると断られることが多かった。後から考えたら自分も米朝一門、これには会場爆笑。
本編は、地方の文化や風俗を調査に来た学者に対して、地元の奇妙な風習を説明する田舎弁の怪しいおじさんが、奇妙な風習を見せるが実は全部インチキだったという噺。「片尻ほい!」という奇妙な唄や踊りは思わず吹いた。奇妙な田舎弁そのものが怪しく聞こえるのも、マクラの前振りがあったからだ。不思議な噺ながら可笑しさ満載で、まさに上方の白鳥師匠という印象。
東京で上方落語の新作を聴く機会はなかなかない。そんな貴重な一席でもあった。
 
桂雀太「宿屋仇(やどやかたき)」
盛り上がりの高座が続き、期待の高まる中で主任雀太師匠の登場。
まずは、この木馬亭に初めて来て、そのレトロな雰囲気の演芸小屋を大いに気に入ったことを語られる。丁度いい広さだし、風情もある。上方の寄席にはない雰囲気なのだろう。そんな風に褒めたあとで、会場のトイレのウォシュレットが止まらなくなったというアクシデントを披露し、これが会場を暗にディスっているところが可笑しい。
大阪からこの会場までの道中の話や直前の仕事の学校寄席の話から、旅の噺を演りますと言って本編へ入る。舞台は大阪は日本橋(にっぽんばし)の宿屋街にある紀州屋。大阪は何でも小さい「っ」を入れるので「にほんばし」ではないという、なるほどな解説を挟む。
この演目は、江戸落語の「宿屋の仇討」の上方版。元々上方が本家かも。江戸落語で知っている演目は、対比して聴けるから面白い。名前は共通していて、旅の侍が万事世話九郎、宿屋の若衆が伊八、伊勢詣り旅の三人連れのうち色事師は源兵衛なのだ。源ちゃんは色事師、という囃し言葉も同じ。筋書もクスグリも、ほぼ同じだ。
上方落語らしく、芸者を上げてのドンチャン騒ぎに合わせて音曲が入る。はめもの入りと呼ぶらしい。この演奏される三味線の音量が、噺に合わせて大きくなったり小さくなったりするのが面白い。この賑やかさは、江戸落語にはあまりないものだ。
 
雀太師匠の語り口から、ときどき枝雀師の芸風を感じさせる。雀太師匠は、枝雀師の弟子の桂雀三郎師匠の弟子であり、枝雀師の孫弟子に当たる。なるほど、枝雀師の芸風を引き継いでいる。大師匠を思わせる爆笑の連続なのだ。
その枝雀師も持ちネタにしていた爆笑噺。上方落語の特色である旅の噺であり、また、はめもの入りの噺。そして、江戸落語でもポピュラーなこの噺は、上方落語の会の第一回の主任の噺には相応しい。ネタ選びも雀太師匠のグッドジョブ。
上方落語が聴ける月一回のお楽しみ、またまた通いたい会が増えてしまった。嬉しい悩みだ。

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