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七:『盆にかえらず』

 盆休み。避暑を求めて俺は山間に車を走らせていた。助手席では幼馴染の宇佐木月光が、この辺に詳しいのか、道案内をしていた。後ろの席には月光の後輩である雨宮窓次郎が座る。山道で揺れるというのに、前のめりで時折俺達に語りかけ落ち着きがない。
 山道の出入り口付近には、同じく避暑を求めたであろう人々が大勢いたが、月光の案内に従ううちに段々と人気がなくなり、次第には他に車は一台もなくなった。驚きはしない。やはりこの辺に詳しいんだな、と思う程度だ。
 しばらくすると、右側の視界が広がり、崖の下に川が見えた。月光の指示で車を停める。車外に出ると猛烈な暑さが襲う。じっとりとした汗が気持ち悪い。合唱するアブラゼミの鳴き声には風情なんぞあったものではない。暑い。温暖化を身に染みて感じる。
 三人で川辺に降り立つ。川のせせらぎで多少は涼くなった気がした。そんな中、月光が言った。
「盆が終わってねぇから。川には入らないように」

 雨宮は日陰の下に腰掛け、釣りの準備を始めた。月光は「念のため、そこらの妖怪の様子を見てくる」と言って下流方面へ歩いて行った。
 俺は新調した一眼レフカメラを取り出す。良いカメラを買えば、良い写真が撮れるものでもない。何事も積み重ねである、ということで、川の風景を色々な角度から撮っていた。
 ──カシャ、カシャ、カシャ。
 そのとき、「おい!」と知らない声が上がった。「お前、今俺を撮らなかったか?」
「えっ?」
 カメラから目線を外すと、ざばざばと水音を立てながら、男がこちらに不機嫌そうな態度でやってきていた。どうやら目の前の男を被写体にいれてしまったらしい。
「すみません。貴方を撮るつもりはなかったのですが──」
「パパ、どうしたの?」
 子どもの声が被った。声の方を見ると、少し離れたところに2、3歳くらいの男の子がいた。父と子で川遊びの際中だったのだろう。
「今消しますので……」
「待て!写真を確認させてくれ!……いや、代わりに確認してくれ」
「はあ」
「いいから!写真を見ろ!」
 男はかなり焦っており、怒りとともに、どこか怯えているようにも見えた。命令口調には些か腹が立つが、仕方なく撮った写真を確認した。
 ──何だこれは。
 山、川、写り込んだ目の前の男、そして、その男の少し背後に……もう一人、誰がが写っている。
 後ろ姿だが、体つきは男のようだ。異様なのは、その後ろ姿の男は、写真の上から上半身だけが写っている。両手を下ろし、頭が川を向いている。
 空中に、“逆さ吊り”になって写り込んでいるのだ。
 周囲を見てもそんな奴はいない。そもそも、川のど真ん中に吊り下がれるものなどない。これはいわゆる──。

「うわ、心霊写真ですか?」
 釣りの準備をしていたはずの雨宮が、いつの間にか俺のカメラを覗き込んで言った。
「やっぱり写っているのか?!」
 目の前の男は、雨宮の発言に反応した。先ほどより怯えが増したのか顔が青ざめている。
「ええ。逆さ吊りの男が」
「どのくらいの位置だ」
「ええっと……、あなたの2、3mくらい後ろに」
「もうそんなに近く……なんてことをしてくれた!」
「はあ……」
 気がつかなかった俺も悪いが、写り込んできたのは向こうだろう。俺が腹を立てて黙っていると雨宮が、
「ははぁ。ってことは、一度や二度じゃないんですね〜」と相手の怒りなどおかまいなしに、呑気な態度で言った。
「ああ。去年の今頃から、俺が写真に入ると背後にそいつが写るようになった。最初は遠くだったが、撮られる度に段々俺に近づいている。それがもうこんな近くまで来てしまった」
「あの。どこか専門へ相談した方が……」
「もうやったに決まっているだろ!この前は有名な霊媒師にも除霊をしてもらった。くそ、あのインチキめ。……あんたが撮らなければ近づいて来なかったのに!」
 男が怒りの形相で一歩近づく。そのとき、バシャン!と、水音が響いた。子どもが川の中で転んでしまったようだ。男の子は自力で起きあがり、水に浸かりながら、またヨタヨタと歩き始める。
「……お子さん、目を離さない方がいいのでは?」
「余計なお世話だ。うちの子はしっかりしているんでね。もういい」
 男は俺達から離れ、「おいレオン、深いところには行くんじゃないぞ!」と子どもの方へゆっくりと近寄った。男は子供の手を引くと、川からあがり、それから荷物を持って上流方面へと歩き始める。
「あのー! この時期は川に入らない方がいいのではー?」
 そう叫んだが、返事はなく、親子の姿はやがて見えなくなった。

「うーん……この写り込んでいる男、白装束着てますね」雨宮がカメラの画面を見て呟いた。
 “段々近づく”。何か意図があるのだろうか。
「おーい」と下流方面から月光の声が聞こえた。手ぶらで出かけたはずだが、なぜか小脇に胡瓜の入ったザルを抱えている。
「あれ先輩、なんですか、その胡瓜」雨宮が言った。
「え、ええっと……もらった。原住民に」月光は目を泳がせた。
「河童を締め上げてぶんどったのか?」
「もうそんなことはしてない」
 そうやってまた目を泳がせた。

・・・

 やはり消えていない。あのインチキ霊媒師め。大金はたいたっていうのに。しかも、またこっちに近づいているだと?クソが。
 先ほどの奴らの近くにいると、またカメラに写ってしまうかもしれない。ここには他に誰もいない。他人に撮られる心配はない。
 俺は一息つき、その場の日陰に腰掛ける。
 息子のレオンは川遊びに夢中だ。俺はしばらく日陰で休憩しよう。
「パパ、スマホ」
「こら、勝手に触るんじゃない」
 レオンが荷物からスマホを出して弄っている。防水で、パスワードをかけてあるから心配いらないが。
 ──カシャ。
「え?」
 しまった。スマホのカメラ機能はパスワード関係ないじゃないか。
 俺は息子に、写真を撮られてしまった。

「ぐぇっ!」
 後ろから何かに首を掴まれた。
 必死にもがき、なんとか振りほどく。その反動で地面に倒れこみ、全身に痛みが走る。川を背に、俺は後ろを振り向いた。
「ひっ!」
 目の前に後ろ向きの逆さ吊りの男がいた。両足は縄で繋がれており、その縄は天高くまで続いている。あれだけ晴れていたのに、今は一面の曇り空だ。
「な、なんだよ……、俺が何をしたっていうんだ!」
 強い口調で言うが足に力が入らない。完全に腰が抜けている。

「……何も、しなかった」
 逆さ吊りの男が、低い声を発した。「お前は何もしなかったんだよ。……進」
 男は、俺の名を口にした。
 俺はこの声を知っている。

「……お、親父?」
 逆さ吊りの男が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
 その姿は一昨年の暮れに死んだ、俺の親父だった。
「な、なんで親父が……」
「“なんで”? 何故か分からないのか? お前は今年も何もしなかった、進」
「な、何の話だ」
 情けない声が出る。親父の顔が怒りと苦痛に満ちているからだ。
「盆だ」
「盆?」
「そうだ、進。お前は去年も今年も、この盆の時期に、迎えも送りもしなかった」
 親父の声は憎しみと怒りを込めていた。

「お前が何もしないから、うちの先祖はこちらに来ても家が分からない。また送りもないので、向こうに還ろうにも還れない。
 向こうに還らなければ“ルール違反”だ。ルール違反は罰を受ける。うちの先祖は皆この世を彷徨うことになってしまった。
 私は自分の息子への、親としての責任を果たさなかったという理由で、こうして逆さ吊りの苦しみを受け続けているのだ!」
「何だって?!」
「私は1年間もこの苦しみを味わい続けている。今年きちんと盆迎えと盆送りをしてくれさえいれば、我々は解放されるはずだったんだ。お前から気付くよう写真で警告していたのに……。
 しかしお前は今年も何もしなかった!」
 親父が怒りの声を上げた。
 毎年、親父とお袋が盆に何かしているのは知っていた。だが俺が家を引き継いだ後、面倒だから特に調べもせず、確かに何もしなかった。
 だからといって、こんなことになっているだなんて、誰が想像できるんだ!
「それで、俺に何をする気だ」
「お前にも、同じ苦しみを味わってもらう」
「……はは。何だと?ふざけるな。……冗談じゃあない!」
 幽霊だろうが、正体が親父ならば怖くはない。怯えていた自分が馬鹿馬鹿しい。
「だったらその神か仏か分からんが、その審判どおりだ。親父がきちんと俺に引き継いでいれば、そうならなかったんじゃないのか!」
「なんだと?!お前は親がこんな目にあっているのに、何とも思わないのか!」
「それなら息子に苦しみを与えようとするのが親か!」
「な、なんてやつだ。いや……確かにこんな風に育てた私が悪いのかもしれないなァ」
「ああ、そうだ!」
「……だが進よ。恨んでいるのは私だけじゃあないぞ。
 さっきも言っただろ。先祖は全てお前を恨んでいる。どこにも逝けなくなった恨みを抱えてなァ……」
 突如背後から、うめき声のようなものが聞こえた。悲痛な声だ。今、川の方を見ては行けない。本能がそう告げている。
「いいか!知らなかったでは済まされない。そのままお前にかえってくる。そのままお前に、かえってくる」
 親父の手が俺の方へ伸びる。背後の声もさらに俺に近づいてくる。咄嗟に目を瞑り、しゃがみ込んだ。
「や、やめろぉぉぉ!!」

「──ハッ!」
 自然と目が開いた。いつのまにか仰向けで横になっていた。全身が冷たい汗で濡れている。起きあがり、日陰から出ると、太陽が眩しく空から照りつけた。
 夢だったのか。それにしては、かなりリアルな夢だった。こんな暑さだ。朦朧としているのかもしれない。
 俺は荷物からペットボトルを取り出し、水を口にした。

 ……静かだ。
 やはり、あれは夢だったのだ。
 ……。
 …………静かだ。静かすぎる。
 ………………………。

「……レオン?」

 川の音しか、聞こえない。

・・・

「ああ〜……」
「仕事中に情けない声を出すな」
 月光の言葉が刺さるが、この暑さにダラけたくもなる。
 仕事先の喫茶店の冷房をガンガンに回し、店内を冷やす。山も暑いと思っていたが、都会に比べると、全然涼しい方だった。

『川下で発見された子どもの遺体ですが、捜索隊が見つけた時にはもうすでに息はなく──』
『何故お子さんを見ていなかったんですか?』
『いえ、その……。そんなことになっているなんて全然知らなくて……』
『あんた親だろ!知らなかったじゃ済まされないぞ!』
 ラジオからは、川で亡くなった子どものニュースが流れている。子どもが亡くなったというのに、その心境も無視され、父親はメディアに吊るし上げだ。
 川といえば、あの山で出会った親子を思い出す。
 盆の時期に川や海などの、水のある場所へ入っていけないと、そういったことは誰が伝えていくのだろうか──。

「ああ!」
 店内に雨宮の叫び声が響いた。
 どうやらコーヒーを、床に零してしまったらしい。
「あーあ……」憐れむ月光の声。
「まだ飲んでないのに!なんとかなりませんか」
「なんともならん。覆水は盆にかえらず」月光が言った。「失ったものは、もう二度と、元にはかえらない」

第七話『盆にかえらず』終。


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