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「戦争語彙集」を語る

 戦火を逃れてきた人びとの胸の内では、言葉がまとう意味が変わってしまっていた。「星」は窓に貼った飛散防止テープの影から思い浮かべるものに。「バスタブ」は爆撃から身を守る避難場所に。母親は「雷」の音がしたら地下に降りるという遊びを幼子に教えるーー。
 ウクライナの避難者による証言77篇を1冊の辞書に見立てて編んだ文芸ドキュメント「戦争語彙集」の日本語版が2023年12月22日に岩波書店より発売された。ウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキーさん作で、翻訳はロバート・キャンベルさんが務めた。
 その本の刊行を受けて、2024年1月18日(木)、「そうやって、私たちは生き永らえたのです~ウクライナの避難者の声から言葉の「今」を考える国際フォーラム」が、早稲田大学国際会議場「井深大記念ホール」(新宿区西早稲田1-20-14)で開催された。

 早稲田大学国際文学館とともにこのフォーラムを共催する国際交流基金の梅本和義理事長から開会挨拶があった。
 ウクライナ戦争に関して梅本理事長は「報道やネットでしか現地のことを知ることが出来ない私たちにとって非常に貴重な機会です・・・多角的にウクライナをめぐる現状と言葉の「今」を考えることになります」と述べた。
 次にモデレーターを務める早稲田大学特命教授・日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが「はじめに」と題して話をした。
 このフォーラムで「学生たちと交流することによって自分たちの思考やアクションを広く深く掘り下げることになるでしょう」と語った。
 「ロシアのウクライナ侵略から2年が経とうとしており、一方でイスラエルのガザ地区への攻撃が続いている。数多くの市民が命を奪われている。ウクライナの戦争も不透明なままです。こうしたことに関して、自分の生活の中で何か出来るのかともどかしく思っています」。

村上春樹さんからの言葉
  キャンベルさんはそう述べた後、作家の村上春樹さんから寄せられた言葉を紹介した。「戦争はもちろんどこまでも残酷なものであり、どこまでも悲惨なものなのだけど、ここに集められた、まさに戦火の下にある人々の語る「戦争に関する言葉」たちが実に美しく、すぐれた詩のように率直であることに驚かされ、心を打たれました」。
 ここから第1部「朗読」。まず、「きれいなものは危険なものへ」というタイトルのくくりで始まるが、その前に「世界の車窓」のタイトル曲でも知られる作曲家でチェリスト溝口肇さんによって「鳥の歌」が演奏された。
 最初のくくりのもとで「禁句」「シャワー」「きれいなもの」というタイトルの作品がそれぞれ早稲田の学生たちによって朗読された。
 この部に参加した早稲田大の学生は羽深未奈乃(はぶかみなの)さん、松本敏博(まつもととしひろ)さんと遠藤(えんどう)あかりさん。
 俳優の紺野美沙子さんは「いなづま」を朗読したーこの作品は高校時代にタトゥーを入れた女性が、今検問所のロシア人にそれを愛国心の表れだとして咎められることを怖れているという証言である。
 次のくくりは「身体」に関してで、「痛み」「血」「歯」「足」「身体」という証言がそれぞれ朗読された。紺野さんは「歯」を読み上げた。
 その次のくくり「ここにいない人々へ」のもと、「恋愛」「チョーク」「ココア」という証言。そして「砲撃をやりすごす場所」では「林檎」などの朗読と言った具合に第1部は続いていった。

学生たちとの対話
 第2部は「学生との対話」。早大生の奥原彩葉(おくはらいろは)さん、遠藤優貴(えんどうゆうき)さん、留学生のリヴィンスカ・オレナさん、ホツアノスカ・オクサナさん、ママイ・アリナさん、アンドレイカ・オレナさん、ソル・アディ―ラさんが登壇した。
 スリヴィンスキーさんとキャンベルさんも加わった。
 学生たちがそれぞれ「戦争語彙集」の中でどの証言が一番印象に残ったかを話していった。例えばアリナさんが気に入ったのは「ゴミ」という証言、遠藤さんは「食べもの」という証言に関連して話をした。これに対してアディ―ラさんらからのコメントが続いた。
 オクサナさんには「動物」という証言があるが、人間のみならず、戦争下におけるペットについても議論された。
 学生たちの話を聞いてスリヴィンスキーさんは「会話のエネルギーを感じた。(「戦争語彙集」の中の)ストーリーが新たな会話を生んだこと」を喜んでいると話した。そして「言葉がない状態が長引けば長引くほどますます無防備になっていく」と語った。

詩的表現と部分ということについて
 第3部は「若者との座談会」。スリヴィンスキーさんに小森宏美(こもりひろみ)早稲田大学教育総合科学学術院教授(ロシア・東欧近現代史)と堀江敏幸(ほりえとしゆき)早稲田大学文學学術院教授・作家が加わった。
 モデレーターは引き続きキャンベルさん。
 堀江教授は「他人の人格ではなく、他人の時間、過去、記憶、未来を含めてすべてを思いやるということ」が戦争についての証言集のおける肝ではないかとの見方を示した。「現場の生々しい声を集めただけでなく、翻訳者としてのスリヴィンスキーさんが彼らを思う気持ちが込められており、それがこのテキストを豊かなものにしています」。
 翻訳についてスリヴィンスキーさんは「word to word」ではなく「experience to experience」だと話した。また証言者たちは詩的(poetic)な言葉を使っているとも指摘。
 堀江教授は「詩的表現が普通の人たちから精度高いものがこぼれ出てくる。言葉にならない無言の時間がずっとあったと思う。(その出てこなかった言葉が)スリヴィンスキーさんを前にして出てきたのだろう」という。
 キャンベルさんはスリヴィンスキーさんの仕事を「人の話を聞きだすのではなく、聞き届けていた」と話した。
 そして小森教授は個々の証言が集められた「戦争語彙集」について「もっとも個人的なものがもっとも普遍的なんだなと感じました」。
 堀江教授はさらに「部分しかないということを全体にしようとした途端に失われてします。部分の輝きがここにあります」と話すと、キャンベルさんは言った「理解ではなく共感できる堆積だ」と。

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