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「ミャンマー・ダイアリーズ」

 2021年2月1日、ミャンマーで国軍によるクーデターが起こった。多くの人にとっては予期せぬ出来事で、それまでの10年間で高まってきていたミャンマー民主化への期待が打ち砕かれてしまった。
 ここ日本でもミャンマーが民主化されれば「最後のフロンティア」であるとして投融資を勧めるセミナーなどが多数開かれていた。
 日本政府はミャンマーに対しては、いわゆる「関与政策」(Engagement Policy)を採用してきた。要するに、制裁などで厳しく対峙するのではなく、つき合いを続ける中で「変化」を促していくという姿勢だった。
 だが、その10年の間にもミャンマーの国軍が手綱を手放したことはなかった。慎重な人はその点に着目し、警戒感を隠さなかったのも事実だ。日本の政府も産業界も甘かったのではないかとの見方がある。
  ドキュメンタリー映画「ミャンマー・ダイアリーズ」((2022年制作/70分/オランダ・ミャンマー・ノルウェー合作)の制作に参加した匿名監督の一人であるマイケルさんはオンラインで語った。
 「よかったといわれている10年間、本当の平和ではなかったと思う。大都市に住んでいる人は平和な時があったかもしれない。しかし、少数民族が住むエリアでは戦いが継続して行われていたことを考えると、本当の平和はなかったのだと思う」。

仏教徒の国ではあるものの・・・
 「毅然とした態度を日本政府には取ってほしい」と2年半前のクーデターの後、ある在日ミャンマー人は語っていた。そして、日本ミャンマー協会の渡邊秀央会長を厳しく批判していた。のちに、元自民党代議士の渡辺氏と麻生太郎副総理が国軍から勲章と名誉称号を授与された。
 ノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チー女史も国軍による政府に参加していた。それによって国内外での彼女の評価が分かれることになるが、クーデター後、彼女には再び厳しい試練が訪れている。
 短編映像にSNS映像が挟まれるかたちで全体として一塊の作品となって軍事政権下の恐怖を描いている映画「ミャンマー・ダイアリーズ」が「ポレポレ東中野」(東京都中野区東中野4-4-1)で上映中だ。
 ミャンマーは敬虔な仏教徒の国として知られる。だが、マイケルさんは「仏教もカトリックもけっこうな数の有力者が軍と手を握りました。ストやデモの弾圧を助ける動きもありました。自分たちとしては、この映画には実際にある宗教をなるべく登場させないという判断をしたのです」と言った。


 全国で順次公開されていく予定だ。上映劇場の情報は公式ホームページ(映画『ミャンマー・ダイアリーズ』 (myanmar-diaries.com))まで。興行収入より映画館への配分と配給・宣伝費を差し引いた配給収益の全額を支援金とし、ミャンマー避難民に対する支援を行う団体・施設に寄付される。
 若手ミャンマー人作家たちが匿名で「ミャンマー・フィルム・コレクティブ」を結成。そして10人の映画監督による短編映画とSNSに投稿された一般市民の軍による弾圧を記録した映像を組み合わせて作品にした。
 第72回ベルリン国際映画祭でドキュメンタリー賞を受賞している。.

軍政との対決に向けて訓練をする人々 


 軍人、警察官、彼らに雇われた暴力団員たちが権力に歯向かう市民たちを容赦なく暴力によって威嚇して黙らせていく。その一部始終が一般市民が文字通り命がけで撮影した映像で明らかになっていく。
 「自分の息子もあなたたちと同じような歳だ」と兵士たちに話すおばさんの姿。兵士が彼女を撮影し牽制すると「撮ればいいんだ。何も隠すことなんかない」とばかりに前をはだけて兵士に迫る。
 子どもが泣き叫ぶのを構わずにその母親を連行していく兵士たち。あるいは、「逮捕令状を見せろ」、「何で捕まるんだ」との問いに一切答えず、一方的に市民を車に押し込み連れて行く兵士たちの傍若無人さ。

母親が連れ去られて泣く子ども


 ウクライナ戦争勃発後、人々の関心の外に取り残されてしまった感のあるミャンマー問題。東南アジア諸国連合(ASEAN)でも国軍の後ろ盾とされる中国との距離感によって加盟国の対応が分かれている。
 ASEANと関係が深い日本が本来はASEANに積極的に働きかけるべきだと思うが、そうはなっていないのが実情だ。ある米国人ジャーナリストは対中戦略上ミャンマーの体制がどうであれ、日本や米国などは関係を保つべきとの見方に対して、ミャンマー問題は「moral issue」だと断言していた。
 つまり、「倫理的な問題」だということだ。しかし、人権問題にはうるさい米国政府もウクライナ問題に重点を置き、ミャンマーの問題には今ひとつ煮え切らない態度をとっているように見えるのだが・・・
 「外野」が「外野」の事情で躊躇している間にもミャンマーでは無実の市民たちが権力を維持したいだけの国軍の暴力によって命を落としている。

一時は平和と民主主義が訪れたかのように思えたが・・・

 マイケルさんは「希望を見せたかったのです。1時間も2時間も拷問シーンを見せたくない。この映画で映したかったのは、抵抗を続けている中に希望を見出したいということなのです」と述べた。
 
 
 

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