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父・稲敏のことを少し話します

 個人的な話を少しさせてください。
 私が「物書き」の仕事を選んだのは、意識するしないにかかわらず、父親の背中を見ていたからなのではないかと感じています。
 父・稲敏(いえとし)は明治大学を卒業後、「女性自身」で記者をし、当時のいわゆる「トップ屋」でした。その後、芸能評論家、ノンフィクション・ライターとして活躍。しかし、1993年暮れ、髄膜脳炎(ずいまくのうえん)によって、54歳で亡くなってしまいました。
 父の著作は今でも古本屋などで購入可能です。本人は「資料的価値」のある本を書くことを目指していたこともあってか、今でも通用する本が多いと思います。例えば、93年に読売新聞社から出た「切られた猥褻」。
 これは映倫が「何を猥褻とみなしてカットを命じてきたのか」を追うことによって「わいせつとは何か?」を考えさせる本です。

 「女たちのプレーボール」は1993年度ミズノ・スポーツライター賞受賞作です。日本にかつてあった女子プロ野球の歴史を掘り起こしました。


 遺作となったのは「往生際の達人」。これは古今東西の芸人たちが亡くなる前に何を語ったのかーその言葉を集めたものです。新潮社から出版されて文庫本にもなりました。父の芸人によせる愛情が感じられます。

 「天皇の野球チーム」も足を使って書いた本でした。早稲田大学野球部のOBに女子プロ野球の取材をしている時に知った「昭和天皇の野球チーム」のことを書いた作品で、ひげの殿下へのインタビューも収録されていました。

 父は戦後芸能・風俗史を研究していました。その研究の中から生まれた著作のひとつが「戦後史の生き証人」。
 戦後に「愚連隊」を率いて、のちに俳優・実業家となり「インテリやくざ」などといわれた安藤昇氏などを取り上げています。

 デビュー作はやはり芸能界ものでした。「腐食=芸能界」です。この本が出た1970年代後半から時代は大きく変わりましたが、今でも通用するモノの見方があるのではないかと思っています。

 このほか、「19人の阿部定」、「青春ブロマイド70年」、「スターおもしろ大研究」、「銀座ママのとっておきの話」、「青バットのポンちゃん大下弘」、「芸人・タレント・うらおもて」、「裏窓の昭和史」といった著作も残しました。

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