外を見ているのを見ている

俺の部屋は俺一人が住むには少しゆとりがある感じで、有り体に言うと、広い。何が広いかというと、ベランダが広い。その気になればバーベキューでも楽しめそうなくらい広い。その広いベランダのおかげで、隣のマンションとの距離がずいぶんと近く、目と鼻の距離に隣の建物に住んでいるお隣さんの居住空間がある。

 俺は気ままな男の独り暮らしということもあって無頓着だが、すぐ近くに住んでいる赤の他人が視野に入る/の視野に入るという経験はできるだけ回避したいというのが人の性なのだろう。俺のベランダからはお隣さんの窓が丸見えなのだが、常にカーテンが閉じられていて、中の景色は封じ込められている。

 それだけならば、相互不干渉の隣接関係という都会にはおなじみの光景であって、別段どうということはない。ただ、くまのプーさんのぬいぐるみ(なぜかシルクハットを被って畏まっているので、以下プー氏と呼ぶ)の存在が、そんな陳腐な風景に細やかな彩りを添えている。

 ベランダから見えるお隣さんの窓は、少しだけ出窓になっていて、カーテンと窓ガラスとの間に少しゆとりのある空間が出来ている。

 その空間にプー氏はぽつねんと座っている。

 プー氏は、外を眺めている。これがまた絶妙に明後日の方向を向いていて、俺の部屋のベランダからはどの角度から眺めても目が合わない。ぬいぐるみであるプー氏は微動だにすることがないから、いつも俺が一方的に彼の横顔を盗み見るという格好になり、後ろめたさを押し付けられている。

 雨の日も風の日も一方向を見つめ続けるプー氏の存在は、日常に位置するものとしては少しだけエキセントリックで、年端もいかない頃の俺であれば、彼に何かの物語をでっちあげて、彼の目線の先にあるものを特定しようと躍起になっていたに違いない。

 でも俺はもうすっかり成人してしまっていて、プー氏本体のことよりも、お隣さんのカーテンが決して開かれることが無くなったことの意味を考えてしまうし、プー氏が何を見つめているのかを知るためにベランダから身を乗り出すような野暮な真似を自重してしまう。

 時折プー氏がこちらを見つめるような日があれば、幾分ロマンティックな感じもするが、プー氏は不動の姿勢を貫いている。だからプー氏の視線の存在は、窓の中の住人の視線の不在でもある。

 彼が何かを見つめているのを俺は密かに知っているけれど、彼と俺の視線は決して交錯することはない。

 どこにでもある、ありふれた話だ。

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