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自己責任(ウサギノヴィッチ)

 彼女は悩んでいた。
 空は広いのに、自分の心の中はこんなにも狭いのはどうしてだろうか。
 雲が一つなく、群青色の絵の具で塗りつぶしたキャンバスのような空は、本当に彼女の心模様とは正反対だった。
 彼女は六限目の音楽をサボり屋上に来ていた。友達には、「保健室に行ってくる」と言ったが、本心はだれとも会いたくはなく、元カレに教えてもらった方法で屋上に忍び混んだ。校庭では、授業でソフトボールをやっている男子がいて、その反対側では、女子がソフトテニスをやっていた。彼らはボールを追いかけることに夢中なのか、彼女が屋上にいることには気づかない。音楽室からは、有名な女性フォークシンガーの歌を練習している声が聞こえてくる。ただし、練習なので音が取れていないと、何度でも繰り返して聞こえてくる。そのリピートをずっと聞かされ続けていたおかげで彼女は嫌になってしまい、大の字になり寝転んだ。寝るときに微かにスカートの動きがスローモーに見えた。
 彼女の目の間には、何も遮るものながない青が視界にあった。「地球は青かった」とだれか昔の人は言ったが、「地球が青いんじゃなくて、空が青いんじゃないの?」と半ば屁理屈なことを思った。
 彼女は気づかなかった。
 この世界に太陽がないことを。
 そう、これは夢なのだ。
 彼女の本当の年齢は三十八才。独身。求職中。彼氏ナシ。
 彼女は明日、面接を控えている。大手食品メーカーの経理だった。彼女には経理の経験はなかった。ただ、募集要項のところに『事務経験三年以上』というのが書いてあった。それで応募した。
 どうせ受からないだろうと思った。
 そしたら、面接の知らせを伝える電話が来た。彼女は素っ頓狂な声を出して、電話に出た。そこから大忙しだった。書店に走り、面接の本を買い、近くのコーヒーショップでアイコスを吸いながら読んだ。
 彼女が夢を見ているのは、そのコーヒーショップでだった。連日録画していたドラマをずっと見ていた。彼女は、俳優や女優が好きなのではなくて、ただドラマが好きだった。家にDVDレコーダーを三台買い民放全チャンネルを録画していた。たりなくなったら家電量販店にいき、外付けハードディスクを買ってそこに保存をしていた。それを消化するには二十四時間では足りなかった。そして、彼女は、映画やアニメを嫌っていた。映画は長いし、内容は薄い。アニメは、一話が短いし、視聴者に媚を売っているようで嫌だ。そんなポリシーを持っていた。
 彼女のお悩みとは、就職してしまったらドラマを見る時間がなくなってしまうということだった。自分の好きなものに時間を費やせない。それを死んでも嫌なことだが、お金がないと生活ができない。背に腹は代えられない。そこで、彼女はさらなる一手を打つ。有料動画サイトに入会して、見れるドラマを通勤時間中に見ようと思った。ただし、それは仕事が決まってからだ。今の身分では決してできることではない。
 ふと、一陣の風が屋上に吹いた。
 彼女は、自分の未来を想像する。自分はきっといいお嫁さんになっているだろうと思っている。三十八才までには子供が二人いて、家事に追われている。それでも、楽しく家族四人で生活している。そんな明るい未来がきっとそこにはあるはず。
 喫煙席に女性店員がやって来る。女性店員は彼女を一瞥して、一人寝ている人がいることをリーダーに報告しようと思いながら、返却の棚に溜まったコップやトレーを片付けた。
 彼女が起きたら、夜の八時を回っていた。明日のための準備をしなければならないと思い。急いで、店を出る。買った本を忘れる。結局、ドラマは夜遅くまで見てしまう。面接の直前にアイコスを吸ってしまう。
 次の日以降、彼女は大手食品メーカーからの連絡はなかった。

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