Pさんの目がテン! Vol.1 いとうせいこう「からっぽ男の休暇」について 1(Pさん)

 今、崩れかけのラジオ読書会で扱う予定である、いとうせいこうの「波の上の甲虫」と、「レトロスペクティブ」というシリーズの中で抱き合わせになっている「からっぽ男の休暇」の方も、読み終えた。「波の上の甲虫」の方を読み終えたのはたぶん今年初めか、去年の末であるはずだった。僕は課題本をいつもギリギリに読み終える。どうせ今回もそんな感じだったにちがいない。「からっぽ男の休暇」を読み終えたのは、たったさっき、一月十日と十一日の日付をまたぐかまたがないかの夜間だ。
 そもそも、なんで今回の読書会でいとうせいこうの本を読むことになったのかといえば、ウサギさんと共通の、互いに気に入っている作家だというのもあり、自分個人としては、佐々木中が圧倒的な信頼を置いている作家だというのもあった。東日本大震災があってすぐに、互いに小説を一章ずつ書き継いでいく、チャリティー小説「Back 2 Back」というのをやっていた。いろんな意味で、そんな小説がありうるとは思わなかった、自分にとっては衝撃的な一作だった。もしかしたら、いとうせいこうの小説を初めて読んだのはこれだったかもしれない。少なくとも意識的に読んだのは、はじめてだった。ずっと前、物心がつくかどうかという時に、「ノーライフキング」を読んだ、少なくとも実家の書棚にあった、という記憶もないではないが、これは作られた記憶かもしれない。余談が長くなった。「からっぽ男の休暇」、常に期待値の上がり続けるいとうせいこうの小説、今まで読んできた「解体屋外伝」、「鼻に挟み撃ち」、読みかけだけど「ワールズ・エンド・ガーデン」、「存在しない小説」等々、などから考えると肩すかしを食らった気分だった。つまらなくはない。ただ、企図があけすけであったり、イギリスコメディ風の、真面目な男が思いつめて滑稽なことをするといったような流れだけど何というか、ハマってない感じを受けた。
 得たものがないわけではなかった。いとうせいこうが小説内で力の抜けたコメディーをやった、だの、そもそも記憶というものが常に小説の題材になり続けている、だの(これは中島京子というこの巻の解説を書いている人が言っていた)、後年これが生かされて「どんぶらこ」が書かれたのでは? などなどと、言えば言えるのかもしれないけど、無理やりひねり出したようで心が痛む。
 そういうのを抜きにしても得たものもある。(続く)

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