読める(Pさん)

 Pさんです。
 ウサギさんは書けないと言っていますが、僕はそれほど書けないとはいえ読みたい本を読めてはいます。
 今年の頭から読書メーターというアプリを始めて、どれだけ本を読めているのかを可視化しているのですが、そして、今年のテーマは、といっても毎年変わらないのですが、全力での読書と書くことだったのですが、一月二月はそのテーマを掲げた手前、月に五冊程度は読めていたのですが、その後一気に失速します。二ヶ月で一冊。言い訳じみていますが、四月から五月にかけて、仕事の方が忙しくなり、あまり読書に集中出来ませんでした。今、楽な時期に来ているので、生存系読書会の方の課題図書である『百年の孤独』を一気読みなどしました。余り一気に本を読むというのも善し悪しですが、ある種の爽快さはあるし、自分の頭の中が小説の世界でいっぱいになるというのも、これも善し悪しですが、逃避的な良さがあることは否めないです。
『百年の孤独』は、五年前くらいに半分以上読んで挫折したものでした。つまらなくてやめたのではないのですが、その間に他の本を読んでいる内に忘れてしまったものと思われます。あらゆる本を読んではやめ、読んではやめしているのでそういうことは多いです。僕は例えば哲学書などで他の本についての言及があると、その本を読み終わる前にその別の本が気になってしまい読み始めるという悪癖があります。やっていけばわかりますが、そうしてどんどん読書の幅を広げていくと際限がありません。そのうち、しいて本を読み終える必要もないのでは? という気にもなってきます。特に、通りすがりであるあまり思い入れのない本などは。しかし、本来ならそういう本は読まないに越したことはないでしょう。
『百年の孤独』の課題部分(先月と今月で二分しています)を読み終えてから、ヘルマン・ヘッセの『ヘッセの読書術』、渡辺一夫の『狂気について』という、どちらもエッセイ集を読みました。
 ヘルマン・ヘッセはそれこそ読書家として、作家でもありますが有名であり、渡辺一夫はこの本を紹介されるまでは知りませんでした。
 二冊とも生存系読書会を共同で行っている松原さんに勧められたものです。
 ヘッセの読んだ量はとてつもないらしく、大部の文学全集が組めるくらいの世界中の小説や詩などを紹介しつつ、「いや、これもあった、これも……」などとブツブツ言っているような雰囲気があり、途方もない。それでいて、「濫読はやめましょう」などと言っているのは矛盾にすら思える発言ですが……
 渡辺一夫はフランス文学の研究家、翻訳家であり、あんまり創造的な感じはしなかったですが面白いことを言っていました。
 この二書を立て続けに読んだ後は、また停滞してしまっていますが、フロイトの『モーセと一神教』、プロティノスの『エネアデス』、ベケットの『モロイ』などを読んでいます。
 特に最後の『モロイ』なのですが、この小説には並々ならぬ因縁があり、ことあるごとに手にとっては読み進めて、また停滞して、といって読み切れなかった一冊です。昔と比べるとやはり理解は進みます。しかし難物であることには変わらず、またこの書との長い付き合いの一部が再開されるかと思うと、なんだか途方もない物に触れている気がします。
 軽々と読み終えられる人もいるのでしょうが、自分も悪い読み方はしていないと、自負しています。
 先日買った大きさの割に重低音のよく鳴るスピーカーでBGMを流しつつ、読書を進めるのは無上の喜びですね。
 皆さんも、長い期間格闘している本などありましたら、教えて下さい。

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