私って冷静沈着なの?

最近自己理解に励んでおります。その中でグッドポイント診断というものをしました。私の上位三位にひょっこり表れたのが「冷静沈着」というキーワードです。近年、冷静沈着とは程遠い生活を送っていたので、あまりピンと来ないのかもしれません。上位二つを検索してみて、内容をよく読んでみると「確かにそうなんだよ!」ってめちゃくちゃ理解できたのに、「冷静沈着」を調べてみると「う〜ん・・・」って感じだったんですよね。それで、あることを考えついたのです。

この冷静沈着というのは、その上にあった「慎重性」が確固たるものである前提で成り立つものではないかということです。ここ数年は、自分に合っていないことをスケジュールギチギチでやっていた状態でしたので、準備が出来ていないような状態で無理やり進めていくことが多々ありました。私は、準備を万端にしてかつその中に自分が感心していることであれば、必ずいい結果になって帰って来ることが多かったんです。準備がしっかりとできていれば、気持ちも自然と落ち着いて、自信も揺るぎないものになっていくんです。(緊張はしますが)

しかし、高校生ぐらいの頃から、アホみたいな量の課題をこなさなければならなくなり、この準備万端力が死んでいきました。どんなに計画的にと頑張ってもなかなか量が減らないこと、自分の学力を高めるためのものなのにどうしても作業になってしまうんですよね。それに申し訳なさというか後ろめたさがありました。

それでも、目標とする進路があると、それに向かって進みたいという気持ちが強くなるんです。それでまだ頑張れていたものの、学力の関係でその進路を断つことを決めた時、目の前が真っ白になったんです。「これからどうすればいいのか分からない」もうセンター試験まで残り一ヶ月なのに・・・。受験のストレスでボロカスになった頭では、その場を凌ぐことしか考えられませんでした。希望があった頃は、先まで見通して考えることができていたのに。環境とは恐ろしいものだと痛感しました。そこから、私は行き当たりばったりな行動や思考を取るようになったような気がします。

課題でも準備でも、「そういえば明日●●があるな、準備めんどくさいしギリギリになってからやろ〜」とか「何にもしてないけどまあいっか、なんとかなるよね〜」って変わってしまいました。それから、あまりいい評価を受けることはなくなりました。あいつは劣等生だと、大学ではそう思われていました。

妥協して、先のことを考えなかった結果だと思っております。国立だろうが何だろうが確かな目的がなければお金の無駄なんです。国家資格を取得しましたが、医療職も福祉職にも就職する気持ちはありません。準備をちゃんとしなくなった理由は、「その物事に対してなんの興味もなかったから」です。興味がなくてもある程度準備をすればまあまあそこそこの結果は出すことができました。しかし、なんの達成感もなければ充実感も薄い。準備する意欲もプラスな内容ではなく「これこれをやらないと悪い結果になってしまう」という気持ちでした。今日の自己理解で気づくことができたのですが、私という人間は「自分の興味がある分野でないと自分の実力を発揮できない人間」だったのです。いや気づくの遅すぎ。

この気づきは今後の就活に活かしていこうと考えています。

ちなみに、冷静沈着については、論理的な思考はまだできてる方だと思いますが、感情が表に出にくいっていうことも書かれていました。いや、私めちゃくちゃ顔に出るんですよ。嬉しい感情ならともかく、ムカつくとかも普通にモロ出しなのでよく怒られていました!いや、お前の言っていることがおかしいから私はキレてんだよ!!正当化すんなボケ!カス!という気持ちですね、はい^^

自分のことを掘り下げることは、ほんっとに根気がいることなんですが、感じたことをこうしてアウトプットする能力が高いとも書いていたので根気よく続けてみようと思います。現に今の私の心はとても穏やかで暖かいです!

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