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「『普通の人生』は、あなたには、無理。」

「ellieちゃん、あのね、聞いて。
『普通の人生』は、あなたには、無理。」


その瞬間、私は全身から力が抜けた。
人間、こんなにも脱力できるのかというくらいに。


◎◎◎

こんなことを遠慮なく私に言い放ったのは、大学時代からの親愛なる友人。まだ出会って3年ほどだけれど、なかなかに濃いお付き合いをしてきた。

今年の春、忌まわしい世界的混乱の中で卒業式がなくなりながらも大学を卒業し、私は一般企業へ就職。彼女は夢を追ってさらに専門学校へ進学した。

彼女は、私が世間一般とずれた感覚の持ち主でありながら、企業という組織でなんとか正社員をしていることを、すごいすごいといつも言ってくれている。
だけど私からすると、周囲からの「大学卒業したら就職して当たり前でしょ?」という無言の(時には無言ではない)強力な圧に負けず、新卒カードの誘惑にも見向きせず、ただまっすぐに己の気持ちに従った彼女を尊敬せずにはいられない。
私も、本当は彼女のような道を歩きたかったけれど、それができなかったから、余計に。

◎◎◎

私には夢がある。キング牧師ではない。
本当は、大学卒業後、その夢に直行したかった。
だけれど、現実的に考えて、夢追い人になる度胸も、経済力も、私には何もなかった。

「あそこの娘さん、中学から私立で高い学費を親に払わせて、なのにフリーターですって。これだから今の若い子は」なんて囁かれるのがもう既に聞こえてくるようで、私はそれを、振り切ることができなかった。

夢はいつでも追える。だけど、就職に一番有利とされる、学部新卒は今しかない。そう自分に言い聞かせていた。
夢追い人になりたいと願いながらも、新卒がどうのと企業就職にこだわってしまう自分が一番もどかしかった。

そして、自分を騙すようにして、就職ポータルサイト〇〇ナビの企業リストから自分の興味の持てそうな企業を探し、就職した。

そうすれば、周囲から余計なことを言われることはなかった。
私も、学生を終えて安定した身の置き所があり、決して多くはないけれど収入があり、親をはじめ今までお世話になった方々に対して、肩身の狭い思いをせずに済んだ。

だけれど、本当にこれで良かったのだろうか?
という思いは、ずっと消えなかった。

就職した先での、今の仕事は楽しい。それは嘘ではない。
だけれど、ふと夢が頭をよぎり、私はやりたいことがあったのに、今何をしているんだろう?と思ってしまうことがある。

夢を追いたくなった時に、今度こそは追えるようにと、日々資金その他の準備はコツコツとしている。
だけど、私のやりたいことを本当に叶えようと行動すると、きっと数えきれないほどのものを犠牲にすることになることも想像がつく。

社会的信用、安定した生活が保障されないのはもちろんのこと、結婚して、子供を産んで子育てして、といういわゆる誰もが一番に想定する「一般的な家庭」というものは築くことができない気がする。

本当は、できないことはないのだろうけど、なんせ私は不器用で、ふたつのことを同時にこなすというのはなんであれ苦手だ。

私自身は、ひたすら夢を追い、叶える人生は素敵だと思った。それでいい、そうありたいと心の底から思えた。

だけれど、実際、心から誇りを持って、それを実行できるのか。

こんな古くさい偏見はさっさと叩き潰してやりたいと日々願っているけれど、どうしても、まだ、結婚して子供をもち、家庭を築くのが人として当たり前でありそれが正解、それが幸せ、という価値観が染みついている。

幸せの形なんて人それぞれだしね、と表では言いながら、独身女性を陰で指さして「あんなだから結婚できないのよ」とこそこそする人を何人も見てきたし、実際そんな人はまだ多いだろう。当人に結婚願望があるかどうかは知る由もなく。

令和の今、いろんな人がもみ消そうとはしてくれているけれど、なんとなくの「30前後には結婚して、子供を産んだ女が幸せであり勝ち組。それをしない人は男に選ばれなかった人」という、未だに残るしつこい偏見を、私は100%振り切って、無視して、私は私のこの人生がいいんです、これが幸せなんです、そう言って、胸張って歩いていける度胸が持てない。

それは、学部新卒で就職を選んだ時も同じ。

やりたいことがあるのに、どうしても世間の目を振り切ることができないのが私の悪い癖だ。

そのことを、私はなれなかった夢追い人になった、敬愛するまぶしい友人に打ち明けたところ、冒頭の言葉を返されたのだ。

◎◎◎

長い前置きになった。

始まりは、
「『普通の人生』は、あなたには、無理。」
と友人に言われたこと。

ここでいう「普通の人生」とは、いわゆる、さっきまでに散々書いた結婚して子供産んで〜のような人生のこと。本当は、それを「普通」と言ってしまうような表現が偏見を助長しているのは重々承知だけれど、今回は話の流れでそうなってしまったことをご理解いただきたい。

「あなたには無理」そんなふうに言われたけれど、ショックもなにもなかった。むしろ安心して、全身が脱力した。洒落たカフェの椅子から落ちそうになった。

それくらい、すうっと身体が楽になって、ああ、知らず知らずのうちに、ずっと緊張していたんだな、と感じた。

本当は、私には「普通の人生」を歩みたいという希望もなくて、歩む必要すら全然ないのだけれど、くだらない世間の目を気にしてしまう自分が捨てきれなくて、そんな自分がなにより厄介だった。

でも、私のことをよく知ってくれている友人に、「あなたには無理だよ」とまっすぐな目で言われてみると、ああ無理なんだ、とすんなり自分の中に落ちた。
じゃあ、そんな人生に後ろ髪を引かれずに、自分の夢に向かって頑張ろう、と、ずっと引っかかっていた「普通の人生」に対して、その場であきらめがついた。

あまりにもすんなり納得して、その場で「もう、人生あきらめついちゃった!」と笑顔で結論を出す私に友人は驚いたらしく、焦ったように「無理っていうのはね、can'tの無理じゃないよ、できないわけじゃないの」と付け足してくれた。

「ellieちゃんはやろうと思えばなんでもできるの。今だって、なんだかんだ言いながら、ちゃんと就職して正社員としてやれてるじゃない。
まっとうな人生を送るポテンシャルはちゃんとあるの。だけど、あなたはそれでは満足しないの。」
「このまま企業で正社員としてちゃんと働きながら、適齢期で結婚して子供産んで、っていう人生も、ellieちゃんはやろうと思えば絶対にできる。だけど、それをやってしまうと、一生、『私の人生、これで良かったのかな?』ってあなたは思い続けることになるよ。」

ここまでまくしたてられ、もう全てを見透かされすぎていて笑ってしまった。

実際、それなりに大学卒業して、正社員として就職して、マジョリティな人生まっただ中な今、「就職して、これで良かったのかな?」と思いを巡らせることに尽きない毎日だ。

敬愛する友人は、私のことが、私よりも見えている。

ふと気になって、問うてみた。

「そういうマジョリティな人生が、世間で幸せだとされているなら、それなりにやっぱりそういう人生が一番幸せなのかな?」

すると、彼女はこう返してくれた。

「多くの人にとっては、幸せとされている型にはまることが幸せなの。それで、ああ自分幸せだなって思えるの。でも、私たちにとっては、それは幸せじゃないでしょう?
求めている幸せが、違うの。」

当たり前のことのはずなのに、あらためてひどく納得してしまった。本当に聡明な人だ。

そうして、思い出した一節がある。


インチキ音楽のかわりにほんとの音楽を、
娯楽のかわりにほんとの喜びを、
お金のかわりに魂を、
営業のかわりにほんとの仕事を、
遊びごとのかわりにほんとの情熱を求める人、
そういう人にとっては、
この世のはなやかな世間は故郷じゃないわ

ヘルマン・ヘッセ『荒野の狼』より

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