結婚

今日、友人に「25歳おめでとう」というメッセージを送った。

友人は私よりひとつだけ歳上だから、25歳。
25歳、という文字をLINEのトーク画面に打ちこみながら、もうこんな歳に人生が差し掛かっているのかと、ひやっとする。

かくいう私も、あと10ヶ月しないうちに25歳を迎える。

25歳といえば、幼稚園や小学生くらいのとき、「25歳までに結婚してー、」なんて安易に口にしていた歳。

現に、「結婚」という言葉というか概念というか存在が、日に日にじわじわと迫ってくるのを感じるようになってきた。

学生時代の同級生が、インスタで入籍報告しているのも何度か見た。

職場の先輩や、歳上の知り合いから、結婚について語られることも増えた。

でも、どうしてこの歳になって、急にそんな話題まみれになるのだろう。

たしかに結婚は法制度としてあるけれど、それは単に権利の話であって、義務ではない。

それはそうで、別に誰に強制もされていないのだけど、「みんなして当然」みたいな前提で語られると、ぞっとする。

「結婚適齢期」みたいな言葉が当たり前に使われて、それくらいの歳になったら男性をパートナーとして法的に家族になって一緒に住みましょうね、人生添い遂げましょうね、そして子どももつくるんですよ、って一体なんのマニュアル???

私は別に男性をパートナーにはしたくないし、
一緒に住みたいとも思わないし、
生涯愛し通せる自信など、世界中血眼になって探してもどこにもない。
まして相手との子どもなんて。荷が重すぎる。

男性であろうが女性であろうが、なんであろうが
私が一緒にいたいと思える人がいれば一緒にいるし
共に暮らしたいと思えばふたり暮らしを始める。
お互いが一生一緒にいたいと思えば、結果として、そうすればいい。

別にそれが25歳でも、45歳でも、65歳でも、85歳でもいい。
いつ気の合う人に出会えるかはわからないのだから。
子どもを自分で産みたいのなら、65歳や85歳はちょっと厳しいけれど。

自分のタイミングで、好きな人と、好きなように生きていきたいだけなのに、
どうしてそれがスムーズにできない世の中なんだろう。

いやできないことはないのだけれど、ひとの思いも考えも何も知らないで、
男やら彼氏やら結婚やら、我が物顔で語ってくる世の中はいいかげんにしてほしい。

私ひとりの意思というものは、いくら強いつもりでいても、世間の大きくて乱暴な圧力にはいとも簡単に傷つけられてしまう。

もっと想像力が豊かな世の中になりますように、未来に期待したいし、そうなるべく、私自身も微力ながらできることをしたいと思っている。

たとえ少数派であろうとも確実に存在はする、同じように感じている人たちのために。

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