他者を知りたい≒自分を知りたい

 私はあまり多くの作品に触れられない。人様の詩もその一つ。長年理由を考えていた。読むのが嫌いなのではなくて、消耗が大きい行動だからだと今は思っている。作品に触れるとき、例えばそこにどんな技術が用いられているか、どんな効果が現れているかということにはあまり関心が向かない(批評的まなざしがないとも言えるかも知れない)。それよりも、私は人様の作品を通して作者にシンクロしようとするところがある。シンクロと言えば大袈裟だが、実際には当然ながらそれが叶っているのではなく、そのようにアプローチしているということになる。つまり、人を知りたいのだと思う。そこに強い関心がある。
 作者が飛行機の操縦士だとすると、どのような風景を見ていて、振動を感じ、体温の上昇があるのか。どんなことを考えながらハンドルを握っているのか、何を想うのか。そしてどこを目指し、どこへゆくのか。それらに意識が向く。勝手な行動だが、勝手に大きく消耗するので、あまり多く触れられないでいる。しかしながら、だからこそ触れられたときにはその貴重さから、とても深い感動を味わっているように思う。

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