クヮン・アイ・ユウ

クヮン・アイ・ユウ

最近の記事

「しとたんかとはいく」収録作品、夢沢那智氏作「十一月の牢獄」について

 夢沢氏が「しとたんかとはいく」の掲載作品すべてに感想を書かれていた。その中には私の作品についての感想もあり、とてもありがたいと思った。それから私なりに夢沢氏の作品に向き合いたいと考え、この文章を書くこととした。  正直に話すと、私には詩について何か「わかっている」と自覚出来るものがほとんどない。そんな私ではあるが、出来る限りのことがしたいと思った。  何度か氏の作品を読んだ。それから作品を受けて感じたことを言語化しようと思ったが、難しかった。ただ、初読では悲しみを覚える作品

    • 俺の弱みと闘い

       コンクールに参加しない分、本来であれば俺はもっと多くの色んなタイプの人たちとコミュニケーションをとる必要があると考えている。けれど実際は生活していくことと、個人の創作とその発表に留まっていることについて、自らとして不甲斐なさと恥を感じると共に、このままではいけないと思っている。「多くの色んなタイプの人たち」というのは、自分の生活圏からそれ程遠くない距離にある、人通りの多い駅前を今まさに行き来する人たちのことを言っているのだと思う。  コンクールでたたかう方々の勇気ある行動と

      • 俺を真似たい

         思えば子どもの頃から他人を真似たいという欲望があった。A君が持っているゲームが欲しくて、B君が行った海へ行きたかった。 他人と同じものが欲しいという欲望には際限がない。もう一つ際限のないものがあった。  俺は前者の欲望からある程度卒業出来たと思った。これは創作を始めてからのことだと思う。もう一つの沼は、自らの真の心の声を聴こうと努めて、聴くことが出来たらその欲望を叶えようとすることだ。  これにも終わりがない。そしてゲームを買ったら一つ完了するような給水所もない。ひたすらど

        • 「ポエトリーリーディングが鳴り止まない」

          会社で 学校で フードコートで いやもうどこでだって 黙っていたら ほんとよく聞こえて来る 少なくとも聞く為の沈黙ではなかった 時にそれは緘黙に近く 閉口だった よく働く為 学ぶ為 (あれ?ここには何しに来たんだっけ) とにかく よく働き学ぶ為に集中した (あーそうだ食べる為だった) その結果としての沈黙だった 黙っていたら ほんとよく聞こえて来る 世界にはこれ程までに陰口が多いのか うんざりする もう何回目か それでも歩いて来た 加担しない為の沈黙にとどまらず声を上げた 上

        「しとたんかとはいく」収録作品、夢沢那智氏作「十一月の牢獄」について

          13th音源アルバム「エレボス」

          宮坂新さんとの共作を公開しました。YouTubeにアップロードした動画を再生リストにまとめたものをアルバムと便宜上呼んでいます。よろしければお聴きいただけたら幸いです。よろしくお願いします。 13th「エレボス」視聴先↓ digest動画もありますのでよければご覧ください↓

          13th音源アルバム「エレボス」

          「行かないでさくら」

          「初めまして」が行き交い 二日目三日目と慌ただしく日々が過ぎていく もうここも七年目の私はと言えば 五千円の買い物をした帰りである 米五キロに飲み物、夕飯、明日の朝ご飯に油ともなれば両手が塞がって この詩を記すことはとても出来なかったから 心象の、スケッチにした 昼休み、食事をしながら帰りは桜を撮ろうと考えていたのに そうして今は、神社内の彩りを横目に 重さに耐えながら歩いています 週明けは雨の予報 春の嵐が巻き上げていく さくら行かないで 行かないでさくら 心のなかに声が

          「行かないでさくら」

          自ら立てて、解いて、生きて、いく

           電話で相手の主張内容を聞き取るのが苦手だ。もっと言うと、実は対面して話している時の相手の言葉ですら聞き損ねてしまうことが少なくない。ただしこれが起こるのには条件がある。それは緊張状態になっているということだ。  既に何度も書いて来たことだが、私は被虐サバイバーである。これは要は虐待を受けて育ったけれども、今もこうしてなんとかやっていますという言葉かなと自身では理解している。ご存知の方も多いかも知れないが虐待には種類がある。そしてその種類によって、ダメージを受ける脳の部位が異

          自ら立てて、解いて、生きて、いく

          音楽性は再読性

           詩の朗読やポエトリー・リーディングのライブパフォーマンスには、テキストで言うところの再読性がないものも少なくないのかなと思ってて(音源となると再読性が生まれると思うんやけど)、でもその一過性のものに再読性を生むものがもしあるとしたら、音楽性かなと思ってる。  韻と無縁の意味伝達に特化した文章を平坦によむことは、それが一過性のものとなる可能性を高めるのかなと思っていて、それに逆らうには感情表現や身体表現をしたり、韻を踏んだり、よむスピードに緩急をつけたり、間を使ったりすること

          それでもやっていくしかないよな、そうだね

           アダルトチルドレンという言葉(名前)がある。過去に見かけたその言葉の説明文で最も興味深かった内容は、例えば○○病や○○障がいのように、それが他者から付けられる名前ではないというものである。医学的な診断名ではないということももちろん関係しているが、件の名前については自ら名乗るものという点が特徴の一つだと受け取った。この名前を知ってから少なくとも10数年が経過したように思うが、今となっては一部の病気や障がいについても、結局のところ本当の意味では他者から名付けられるものではなく、

          それでもやっていくしかないよな、そうだね

          私のDriver

           実はかねてから休日の過ごし方について自らでこれで良しと思えていない。もちろん毎回の休日でという訳ではないのだけれど、頻度は高い。自身の幸不幸について思考する際には、客観性を欠いてどこまでも主観的になると酷く偏って落ち込んでしまう。なので前述のように補足することで気をつけている。前置きが多くなってしまった。  書いておきたいことはこうだ。私には依存症的な傾向があると考えていて、過食→過眠→起床後の酷い倦怠感と鬱的な症状というループから抜けられないでいる。他の対象に依存していた

          父と大根 私の

          あなたがいなければ あんな体験はしなくて済んだというものと あなたがいたから あんな体験が出来たというものがあり 後者にはたとえばおでんの大根でお茶漬けを食べるという行為があり そんなことはきっと あなたがいなければすることが出来なかった体験であり それは父なのだけれど その父もいつかはなくなる 私はその後にもおでんの大根でお茶漬けを食べようかなどと考えるのだろう 不思議だね どちらへも転べるし歩けるのに 「あなたがいなければ」と言いながら その先に 誰のことも恨まない道だっ

          12th音源アルバム「訥と篤」

           みなさんおはようございます。昨夜件の音源を公開しました。よろしければお聴きください。聴いていただけることが一番嬉しいです。よろしくお願いします。 12th音源アルバム「訥と篤」 クヮン・アイ・ユウfeaturing宮坂新 詩×ポエトリー・リーディング×音楽 12th「訥と篤」視聴先↓ いつか詩人からもらった言葉を相手に届けて ようやく落涙出来たというように流れて 私は詩を書いて来て良かったと思った 「交替」より 収録曲: 超主観 交替 篤と聴く 肉に触れて II型

          12th音源アルバム「訥と篤」

          わたしは今日

          わたしは今日 自らが太陽の子であるかのように錯覚した 二月の貴重な陽光に照らされて 今ひととき あれら陰を忘れて 錯覚と忘失を繰り返し生きている 錯覚と忘失を繰り返し生きて来た 入学や出産 披露宴のように 生涯を通して記憶される風景とは異なり 今日歩いた路地をわたしは忘れるだろう ずっと日陰かと思っていたのに 期待しないところから陽がさして 春を感じられた喜びだって忘れるだろう あの子が飲んだスムージーのカラーも忘れる 商品もなくなる ああ この体験と体感と喜びを 記録しな

          桜草

          お互いに首根っこを掴んだ 声が聞こえた (殴ったら終わりだぞ) 躊躇 気がつくと襟がビリビリに破けていた グラウンドに響く声 バッティングマシーン 金属バットが弾き返す それらが全部止んだ 映画で観た誰もいないニューヨークの街にいる様な静けさ 水は飲むな、いやちゃんと飲め 時代の狭間で ユニフォームを汚すことは、神様に挨拶することと聞いた あいつら今では父親に、建築士に、洋菓子職人に、正社員に、行き先不明 俺は、何になったのか 毎晩母の愚痴を聞いた 深夜3時、段々すべてが麻痺

          周辺シ12「一語の周辺」

          「周辺シ 12」クヮン・アイ・ユウ :: 抒情詩の惑星 https://poetry2021.webnode.jp/l/「周辺シ-12」クヮン・アイ・ユウ/  周辺シ、新たに掲載していただきました。よろしければご覧ください。  他者とのコミュニケーションにおいて大切だと思うことについて書きました。もしかしたら、「もっときちんと聴いて欲しい」と叫んでいたいつかの私自身からの声の便りでもあるのかも知れません。

          周辺シ12「一語の周辺」

          他者を知りたい≒自分を知りたい

           私はあまり多くの作品に触れられない。人様の詩もその一つ。長年理由を考えていた。読むのが嫌いなのではなくて、消耗が大きい行動だからだと今は思っている。作品に触れるとき、例えばそこにどんな技術が用いられているか、どんな効果が現れているかということにはあまり関心が向かない(批評的まなざしがないとも言えるかも知れない)。それよりも、私は人様の作品を通して作者にシンクロしようとするところがある。シンクロと言えば大袈裟だが、実際には当然ながらそれが叶っているのではなく、そのようにアプロ

          他者を知りたい≒自分を知りたい