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スタートレック:ピカード シーズン3の感想と考察:続編はあるのか?

アメリカの長寿SFドラマ「スタートレック」の伝説の艦長・ピカードを主人公にしたスタートレック・ピカードが、シーズン3をもって完結した。

その感想と考察、そして続編はあるのか?について考えてみたい。

全体的な評価を点数で表すとすると、TNGシリーズの総括としては100点TNG・DS9・VOYの総括としては80点ピカード単体の総括としては60点というところである。

なお、シーズン1、2については別記事でまとめている。以下、ネタバレ含みます。

TNGシリーズの総括としては100点だが・・・

スタートレック史上のカリスマのひとり、ピカード艦長を主人公にすえたスタートレック・ピカード(PIC)もついにフィナーレを迎えることとなった。

TNGの主要メンバーが再集結し、旧式のエンタープライズDも登場、さらに最後の敵はボーグ・クイーンと、スタートレックファンへの出血大サービスである。

TNGの総括としては、100点だろう。

どうせおまえら、こういうのが好きなんだろう?ほれ、ほれ、どうだ?んん!?

といった制作側の声が聞こえてきそうだ 笑

そんな制作側の狙いに乗せられて、「す、好き~♡」と悶絶してしまうのこそ、真のスタトレファンなのかもしれない。

だがしかし・・・私のレビューはそんなに甘くない 笑

シーズン1・2はいったい何だったのか?

過去記事で述べたように、スタートレック・ピカードは、スタトレシリーズの人気低下に伴い、「ロミュラン帝国の滅亡」というエピソードで息の根が止まってしまっていたスタートレック再生の試みだと理解していた。

従って、これまでのスタートレックシリーズとは違う作風を、あえて目指していたのではないだろうか。ピカード艦長を演じるパトリック・スチュワートさんも、「これまでのような勇敢で賢明なピカードはもうやりたくない」と要望していたのではと記憶している。

だから、従来の熱烈なファンには「なんか違う」と評判が悪かったようだが、私は大いに評価していた。新しい方向を模索せねば、スタトレにもう未来はないように思えたからだ。

スタートレック・ピカードの使命は、スタートレックの新しい方向性を模索しながら、「ロミュラン帝国の滅亡」で停止していたスタトレ正史の時計を再び動かし、次世代に引き継ぐことだったのではなかろうか。そして、その試みはうまくいっていた。

シーズン1ではたっぷり時間をとって、消化不良だったデータの死を描き、シーズン2ではガイナンとQという不老に近い生命体の終末も描いた。店じまいを、ひとつづつ行っていたのである。

なのに!!

データ、また出てくるんかい!?Qも出てくるんかい!!

・・・シーズン1、2とは、いったい何だったのだろうか。

また、ピカードが「家族だ」とか言っていたエルノアも全く出てこなかったし、ラリスとのほのぼの熟年ラブストーリーも一体何だったんだ??伏線張って回収しないなら、エピソード1の「帰ってきたら一緒に食事しましょう」みたいなくだり、いりますか!?

ということで、スタートレック・ピカードという単体シリーズでみれば、100点には程遠く、60点ぐらいが妥当なところだろうと思う。

とくに、従来ファン大盛り上がりのエピソード9、10(ボーグのエピソード)も、二つの理由からはじめは全然感情移入できなかった。

ボーグエピソードが感情移入できない二つの理由

第一の理由は、ディアナである。ディアナは「一緒に解決しましょう」といってジャックの心の中に入ったのに、ジャックの心の中にいたのがボーグと知るや、カウンセラーの職務を放棄して仲間に告発、ジャックを矯正施設へ入れようとする主因を作っている。

ジャックの立場からすれば、勝手に心に押入られ好きなようにされ、たまったものではないだろう。ディアナの行為は、結果的にジャックを連れ去ろうとしたヴァーディクと同じ結末を生んでいる。

ということで、私は「いやいや・・・ディアナ、それはプロとして駄目だろう・・・ってか、またボーグ!?」ということで、赤い扉が開いたところから、すっかり置いてけぼりされた。

第二に、ボーグの出現があまりに唐突であったことである。シーズン2で、ジュラティがクイーンになった新生ボーグは、連邦の一員になったはずである。その設定を覚えていたので、「えっ、またボーグ??」と頭の中に疑問符があふれてついていけなくなってしまった。

ゆっくりと考えてみると、ジュラティの新生ボーグは、「ピカードが選ばなかった道の果て」からやってきた、「別のタイムラインのボーグ」であり、今回死んだのは、ジェインウェイがウイルスを仕掛けた「オリジナルのデルタ宇宙域ボーグ」であるため、矛盾はしていない。

けれど、そういった説明もなく唐突にまたボーグが出てきたので、エピソード9、10はのっけから全然感情移入できない感じになってしまった。

可変種の再登場は非常に良かった

一方で、ボーグ登場まえのエピソード1~8は、可変種であるヴァーディクを主敵としてストーリが進む。これに関しては、非常に良かったと思う。

可変種特有の、「誰が敵で、誰が味方か分からない」サスペンス調のエピソードは見ごたえがあった。特に、ピカードとロー中佐の「あんた、本物なん?」という腹の探り合いが素晴らしかった。腹を探り合うことで、お互いの傷口に触れることとなり、それが最後の和解へと結びついていく秀逸な脚本である。

写真だけだが、オドーが登場したのもよかった。

ただ、可変種関連ではもっと掘り下げたストーリー発展が考えうるので、ヴァーディクの死で突然ボーグシフトしてしまうのも残念だった。というか、厳密に空気感が一変するのは、データの帰還、及び「友好的なポジトロニックで怒れるセキュリティシステムが帰ってきました。ただいまよりシフト・チェンジを行います」というセリフからである。明るく楽しい予定調和のTNGが帰ってきましたよ、との宣言とも受け取れる。

ヴァーディクのキャラは素晴らしかったので、別記事でそれについて熱く語りたい。

再登場を期待したキャラ

VOYのトゥボックが再登場したのも良かった。可変種の成りすましがいたが、「どうせ生きているだろう」というのは分かっていたものの、脚本の都合上(エルノアやラリスと同様に)忘れ去られやしないかと最後までハラハラした 笑

一方、何度も名前の言及があったジェインウェイ提督は、ワンポイントだけでも出しておいた方が作品の完成度がより高くなっただろうと思う。

あと、TNGメンバー勢ぞろいだったので、出てほしかったのはかつての転送主任オブライエンである。TNG+DS9の通算登場回数はウォーフに次ぐ2位となっているので、ぜひ再登場させてほしかった。息子のキラヨシも艦隊に入っている設定のようだし。

そして、個人的に再登場を熱望していたのは、DS9の偉大なる小悪党・クワークである。作中、フェレンギ人のスニードが出ていたので、ウォーフが「スニードの次に顔が広そうなフェレンギ人を知っている。会うのは気が進まないが・・・」などと言いつつ(めちゃ言いそうじゃないですか!?笑)、クワークを再登場させる展開があっても、特に脚本上無理はなかったのではと思うが・・・特に、シーズン1では名前への言及はあったわけだし。

預言者になってしまったシスコは、公式記録では「行方不明」扱いなので、シーズン2の並行世界で名前のみの言及が精いっぱいだったろう。

しかし、エルノアはどうして出さなかったのだろう?ラフィとウォーフのコンビが予想外の化学反応を生んでいたので、ここにもう一人の天然・エルノアを投入してみるのは脚本家としても腕が鳴る展開だったのではないだろうか。エルノアはウォーフにすごくなつきそうであるw

総括と続編について

ということで、スタートレック・ピカードのシーズン3は、TNG総括としては100点、TNG・DS9・VOY総括としては80点、PIC単体の総括としては60点である。

可変種再登場と、ヴァーディクという素晴らしい敵キャラが生み出されたのは良かった。

そして、エンタープライズGの艦長に就任したセブン・オブ・ナイン。まだ役者さんも50歳代半ば(と思えないお美しさ)なので、スピンオフと言わず、正式な続編をぜひ見てみたい。そこまで持っていってこそ、「スタートレック・ピカード」は完成するのではないだろうか。



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