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スタートレック・ピカード:シーズン2の感想と考察

アメリカの歴史あるSFドラマ「スタートレック」シリーズの、伝説の艦長ピカードを主人公とした物語の待望のシーズン2を見たので、感想と考察をまとめてみる。
(放映終了直後に記事をまとめていましたが、タイムラインの考察をしようと思って記事を寝かしたまま忘れてしまい、1年以上経ってしまいました・・・)

まず、これまでのシリーズを改めて整理!

スタートレック・ピカードからスタトレに入られた方もいるかも知れないので、これまでの主なシリーズを私見を交えて簡単にまとめてみる。以下、放映順。

1960年台~ TOS(カーク船長):23世紀の話。当時としては画期的な「明るい宇宙冒険譚」として世界的人気に。

1987年~ TNG(ピカード艦長):24世紀の話。宇宙冒険譚に哲学的な深みを加えて更に人気に。

1993年~ DS9(シスコ司令官):24世紀の話。どちらかと言えば暗めの権謀術数渦巻く大河ドラマとなり賛否別れる。筆者は好き。

1995年~ VOY(ジェインウェイ艦長):24世紀の話。原点回帰の宇宙冒険譚。初のデルタ宇宙域が描かれるも、後半ネタ切れ気味になりボーグの出血大安売り(私見)。

2001年~ ENT(アーチャー船長):22世紀の話。ネタ切れ気味だったので過去に戻るも、イケてない脚本多く5シーズンで打ち切り(私見)。

2009年~ ケルヴィンタイムライン(カーク船長):リブート版。23世紀の話。映画版のみ。

という流れできて、現在ディスカバリー(2017年~:23世紀→31世紀の話)、そしてピカード(2020年~:24世紀→25世紀の話)が放映されている。

以下、ネタバレを含みます。

賢者ピカードは健在!


スタートレック・ピカードは、ネタ切れ気味になって2005年で失速しながら放送中止になってしまった「スタートレック」シリーズの続編である。もはや人気も凋落し、”ロミュラン帝国は滅亡しました”で投げやり気味に終了していたスタートレック世界の”その後(24世紀以降)”を、丁寧に描いている。

壊れてしまったおもちゃを修復し、新たな息吹を吹き込もうとしている試みだと私は捉えている。そして、その試みは今のところ上手くいっている。

シーズン2でも、スタートレックのカリスマの一人であるピカード艦長の含蓄ある台詞の1つ1つは健在だ。役者のパトリック・スチュワートさんは、ピカード艦長のイメージが強すぎて、「Xメン」におけるプロフェッサーXのような賢者キャラが凄く似合う。Xメンも終了して寂寥の感を禁じ得ないスタトレファンにとって、また生きて動いているピカード艦長をリアルタイムで見れるということは、極上の幸せである。

声優の麦人さんの声が抜群にハマるので、声優さんも昔通りであることは喜ばしい。



ピカードの母の物語

スタートレック・ピカードのシーズン2は、二つの「過去への旅」が物語の中心となっている。ひとつは、2024年へのタイムトラベル、そしてもう一つはピカードの幼少時代の記憶への旅である。

特に、「第7話モンスター」はとても良かったと思う。一見、B級ホラーのような映像と、従来のスタトレらしくない暗く重いテーマから、熱狂的なスタトレファンからは反発をくらいそうだ。

けれども私は、これで良かったのではないかと思う。ディスカバリーとピカードは行き詰ってしまったスタートレックシリーズの新しい方向性を模索していると認識している。こういう「スタトレらしからぬ」テーマも、取り入れていくべきだろう。

幼少期のピカード目線・母親目線でエピソードが描かれる。彼と彼女を地下に追い立て、追ってくる「モンスター」は、実は父親だ。母は精神を患っており、治療が必要な状態だった。だから、父は母を追い立て、部屋に閉じ込めようとしていたのである。

ピカードにこのような暗い過去があったのは衝撃的だ(もちろん、後付け設定であるわけだが・・・)。明るく希望に満ちたスタートレックとは全然違う。でもこれこそが、スタートレックの次のステージへの「脱皮」に必要なことなのだと思う。

「第9話かくれんぼ」にて、この地下がボーグ化された傭兵たちとの戦闘に利用され、ピカードの最後の記憶の謎解きと重ね合わせたというのも、脚本的に優れていたと思う。


老いと死をとらえる

スタートレック・ピカードを見ていると、このシリーズは、なんだかピカード艦長(パトリック・スチュワートさん)の遺言なのではないかと思えてくることがある。

Qは晩年の私にも執着してきた

という台詞があるが、ピカード艦長のシリーズの真の終焉を予言しているように感じる。

全知全能の神の如くふるまってきたQにも死の影が忍び寄る。

これは、明るく楽観的な希望に満ちたスタートレックではない。一種の、店じまいセールのようだ。

母親に関する暗いエピソードも、「20世紀のスタートレックは終わったんだ、21世紀は新たなスタートレックを作っていくんだ」と言っているように感じる。

そして、最後にQも去る。

地球人目線では老いないはずであるエルオーリア人のガイナンも、老いている(笑)。ウーピー・ゴールドバーグさんの変貌ぶりに、リアル世界の時の流れを感じるわけで、「地球人に合わせることにした」という台詞にも店じまいのような寂しさを感じる。


アグネス・ジュラティの演技が光る

アグネス・ジュラティ役のアリソン・ピルさんの演技が素晴らしかった。

アグネス・ジュラティは、沖縄のデイストローム研究所に勤務するアンドロイドの研究者で、天才的な科学者という設定である。シーズン1と2の途中までは、科学者っぽい知性があまり感じられなくて(すいません)、正直ミスキャストのように思えていたが、それほど重要な役回りでもなかったのであまり気にならないという「どうでもいいわき役(すいませんw)」という印象であった。

しかし、ボーグクイーンを出し抜くあたりから、その演技が輝きを放ちはじめる。ボーグクイーンに半同化されてからというもの、ジュラティとクイーンの一人二役をこなすわけだが、人間性を感じる表情と、ボーグの冷酷非情の表情の使い分けが素晴らしい。

これまでのちゃらけた科学者の面目躍如。まさに、この役をこなすために、配役されていたのだろう。

スタートレック・ディスカバリーでの、シルビア・ティリー(ティリー少尉)を思い出した。いまいちパッとしないおちゃらけた三枚目的役回りから、胸像世界での極悪非道(キリー船長)ぶりや、臨時副長になった際に急に貫禄を出したりするなど、役者さんの豹変ぶりが素晴らしい。

VOYやENTのサブ・メインキャラクターたちは影が薄かったが、こういう埋没しがちなポジションの役者さんの演技力が、新しいスタートレック・テレビシリーズの縁の下の力持ちとなっている。

あえて不満を述べると

ただ、不満点をふたつ述べさせてもらいたい。

第一に、2024年へのタイムスリップにあまり深い意味がなかったということ。

実は過去シリーズのディープスペースナイン(DS9)に、「2024年暴動の夜」というエピソードがある。2024年へのタイムスリップと聞いて、DS9タイムスリップとのクロスオーバーを大いに期待したのだが、けっきょくぜんぜん絡みがなかった。

「お前が選ばなかった道の果て」で、シスコの名や、マートク、デュカットの頭蓋骨を出すなど、思わせぶりなことをしていたにも関わらず、である。

ここはもう少し攻めた脚本にして欲しかったと、個人的には思う。

第二に、セブンとラファエラの唐突なレズビアン。セブンのインプラントが取れたという伏線はあったにせよ、これまでのセブンのキャラを崩壊させる唐突さ。。。

スタートレックは、大昔からすでに「多様性社会」というテーマには取り組んできたと思うので、いまここで無理くりポリコレに配慮してみせるてるようにすると、流行りに乗っただけの凡百のドラマと同じようになり、かえってスタートレックの培った伝統が崩れるように思えた。

さて、本当はもっと長く続けて欲しいスタートレック・ピカードであるが、次のシーズン3で最終・・・スタトレを復活させる試みは、どのようなエンディングを迎えるのだろうか。



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