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教育に「否定」は必要ない、問いかけるべし

年齢を重ねるにつれて、空手の道場で後輩が増えて教える立場になることが多くなりました。
そして、アルバイトで塾講師として教育者の立場にいます。
やるからには、強い選手を育てたいし、後輩や生徒たちの夢や目標をかなえるきっかけを作りたい。

僕が小学生や中学生の時、空手やサッカー、勉強など日々教わることが多かったです。
教えてもらう視点で教育というものに触れてきました。
空手なんかは、武道の世界で厳しい練習が当たり前の世界で、師範や先輩方が叱ったり、げんこつをしてきてもそういうものだと思っていました。
それがあったから今の自分があるのだと思っています。

しかし、近年は体罰などの問題が頻繁に耳にするようになりました。
ニュースなどで聞く限り、道場で自分に起こっていたことすべて体罰になるのかと驚きました。
「厳しく指導してもらえる=期待されている」
と思っていました。

もちろん、練習外では優しく接していただいたので愛情を感じていました。
愛情が伝わっている場合は問題がないのだと思います。

最近の教育は、叱って育てられるのが普通と考える人たちが教える側になっているケースがあり、叱ることが当たり前と思っているように見えます。

よく見られるケースが
ダメ!」と子供に叱る人。
皆さん、言ってしまいませんか?
例えば、初めてサッカーをやる子供が手を使った時とか。
「手を使ったらダメ!」と言ってしまいませんか?

僕も言ってしまいます。
「ダメ」などの否定的な言葉は聞いている側を委縮してしまう言葉なのです。
特に幼児から小学生までの子供は、頭が柔軟なうえにすぐに委縮してしまい、次初めてやることに対しての抵抗心のようなものが生まれかねないのです。

こうなってしまえば、教育者失格です。
なので、暴力なんてもってのほかです。

では、否定的な言葉を使わずに教育を進めていく方法は何なのか。
僕は、「教育とは気づきを与えるもの」と考えています。
別に最初に僕が言い出したわけではありませんが。
気づきを与えるには、否定ではなく疑問つまり問いかける

子供は、本当に頭が柔軟です。大人はカチカチ。笑
なので、子供は自分の失敗やできないときには「しまった!」と分かっています。
そこで、叱るという選択肢をとると、子供は意欲を失うだけです。
どうしたの?」と一言問いかければ、自分たちで気づきます。

教育者は、教えるときに教わる側に介入しすぎるのです。
「そうじゃない。こうするんだよ。」
人から言われることをやるだけなんて、自発性なんかまったく生まれません。
おそらく、教わる側は楽しいことに気が付かないでしょう。
本来、勉強やスポーツって楽しいはずなんです。
でも、それが楽しいものだと気が付くのって、自分で問題を解決することができた達成感などからくるものだと思うんですよね。
だから、最初から答えを渡すのは、教育ではないのかなと思います。

いろんな場所で教える機会が増えた今教育についてどんどん興味がわいてきました。
たくさんの子供たちに夢を追いかけてほしい。
夢を追いかけることが当たり前の時代を作ります。

では、また!👋

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