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いつか、昔話を

小学校の頃から、お医者さんになるのが夢でした。
でもね。もちろん小学生だし、夢はたくさんあったんです。
ランキングつけてましたよ。
①お医者さん ②薬剤師さん ③通訳
④学校の先生 ⑤公認会計士 ⑥小説家 などなど。
ケーキ屋さんとかがないのは、副業でできるかなって思ってたんです。
すごい生意気(笑)

薬剤師と公認会計士という職業を知ってたのは、完全に母親の影響です。
通訳は、語学が好きだったから。
毎朝早起きして、NHKの語学講座見てました。
いっぺんに勉強してたから、英語含め8か国語を一気に勉強してました。
それでも、半年以上続いたんです。小学校の頃の私のモチベーションすごすぎ。
その頃学んだ知識は、もう覚えてないに等しいですが、当時のテキストはまだ残っていて、実家に帰る度、昔の自分に負けないように頑張らないとって思えます。

もう一つ、変わってないなと思うことがあります。
過去と未来を繋げる人になる、って中学校か高校の時にたてた目標です。
FANKY MONKEY BABYSの「あとひとつ」が大好きで、その歌詞にある「泣きたいくらいの本当の夢」って何だろうってずっと考えて、当時の私が見つけた答えでした。

中学校受験して、小学校の同級生と離れ離れになってしまったことが、私の考え方を形成してるひとつの出来事だと思います。
受験前の2学期の終業式、クラスのみんながどっきりで応援してくれたことも。年賀状はがきいっぱいに、みんなが応援メッセージを書いてくれたことも。合格したことを伝えると、自分のことのように喜んでくれたことも。全部がすごくすごく嬉しかったんです。
学校が離れても、ずっと応援してくれて。私が頑張る理由は、小学校の同級生に誇れる人間になることでした。

でも、ちゃんと知ってたんです。
この繋がりがどんどん希薄になっていくこと。
特別仲良かった子は別にしても、普通のクラスメイトだった大半の子たちは、どんどん繋がりがなくなっていきます。
携帯電話を子供が持つ時代でもなく、SNSも普及していない時代でした。
繋がったままでいることは、今の時代の何倍も難しかったんです。

だから…みんな私のこと忘れちゃっても、私だけは覚えていようって決めたんです。そして、大物になって、また会ってもらって、ありがとうを伝えようって。
忘れちゃってても、言ったら思い出してくれる!っていう幸せな前提がもちろんあります(笑)
それが、私の中での過去と未来を繋げる方法でした。
過去に出会ったみんなに、未来でまた会いたいからそのために毎日を生きています。

少し勉強ができただけで、「天才」「頭いい」って言われ続ける中で、
「話してみたら普通の女の子」って言われた時、どれだけ嬉しかったか。
「香子(きょうこ)って名前好きだよ。将棋の香車って、まっすぐしか進まないから、いかにもまっすぐな子って感じ」って言葉で、どれだけ自分の名前に誇りをもてたか。
「めっちゃ頑張ってたやろ」って言葉で、全然泣けなかった私が泣いたこと。
「夢しかないから」って言葉に追いつきたくて、必死で勉強頑張ったこと。
伝えたいありがとうがたくさんある。

夢を叶えた私で、夢を叶えたあなたに会いたい
眩しいみんな相手でも、しっかり目を見て話せるよう、たくさん修業をして、昔話もこれからの夢の話も、たくさんできたらすごい幸せだな~っていうのが、最近の夢です。

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