【小説】シルバー・ウィング《2》ジャンププラス原作大賞エントリー作品 3962文字
結城夏芽は小学5年生の時に、クラスの男子児童から母親のことでからかわれた過去がある。
「なあ、夏芽、お前の母ちゃんって、飛び降り自殺したんだってぇ?」
子どもは残酷だ。
その日は全学年一斉下校の最中で、たまたま近くを歩いていた如月卿の耳に、その暴言が入ってしまった。
「おい、オマエ! 今のセリフもう1回言ってみろよ!?」
普段は物静かな卿が、1学年上の男子にひるむことなく目の前に立ちはだかり、その後殴り合っている姿を見て、夏芽は泣くタイミングを逃したことを今でも覚えている。
結果はドロー。それでも年下にここまでやられた自分を情けなく思ったのか、その男子児童は逃げるように去って行ってしまった。
「卿……かばってくれたのは嬉しいけど、無茶しないでよ」
卿と2人きりになった時、夏芽はやっと涙を流せた。
「夏芽……」
「何?」
「俺達、将来結婚しよ? ずっと夏芽を守るから」
久しぶりにあの時の夢を見た。
目を覚ました夏芽は、同じ布団に入っている卿の寝顔を確認する。
恋人であり、婚約者であり、同居人でもある如月卿。ただし2人の関係は未だにプラトニックだ。時々こうやって一緒の布団で眠ってはいるが、それは高2でありながら時々夜が怖くなる夏芽の為に、卿が寄り添っているからだった。
「昔からなんですが、卿が側にいると、怖い夢を見ないで安心して眠れるんです」
夏芽は以前、彼の母親である如月直子にこう伝えたことがある。その時の彼女の笑みには複雑な感情が混じっているような気がしたが、それについてあまり深くは考えなかった。
(……卿の寝顔、可愛い)
彼の薄茶色の前髪にそっと手を触れる夏芽。
「……ん?」
そのタイミングで卿は目を覚ました。
「おはよ卿」
「おはよ夏芽、大丈夫? 怖い夢見なかった?」
「うん」
ここしばらくの間、夏芽は夜におびえることはなかったのだが、最近起きている不審な事件が、『再発』の引き金となってしまった。
日本各地で『健康に問題のない人間が、眠っている間に絶命してしまう』という、正直『事件』と呼んでいいのか分からない事件。しかし『全員の死に顔が恍惚に満ちた表情を浮かべていた』という情報が漏えいし、更に恐怖を煽るようなデマも伝言ゲーム状態で拡散されたことで、この噂は若者を中心にどんどん広まっていった。
そして卿と夏芽が通う高校でも、とうとう『被害者』が出たらしい。あくまでも噂だが……。
「ウイルスのように感染するわけじゃないんだから、そこまで心配しなくてもいいんじゃないか?」
「でも、怖いよ。私も一度眠ったら、二度と目が覚めないんじゃないか……って」
「大丈夫」
「じゃあ卿、おまじないにキスして」
「えっ?」
周りの友人は誰一人信用していないが、この恋人たちはキスすらも未経験なのだ。
「それはしない」
卿には卿なりの考えを持っている。生まれた頃から父親がいない卿と父親の浮気で母親が自殺した夏芽。2人は、優しさの仮面をかぶっている好奇心満載の人間たちに嫌というほど苦しめられてきた。だから彼は自分が一人前になるまで、夏芽と『そういう関係』を持たないと決めているのだ。
それに夏芽は、恩人である結城夫妻が溺愛する大切な孫娘。そんな2人の為にも、卿は早くからの関係は進めたくないと思っていた。
「ケチ、石頭」
「何とでも言って」
夏芽だって本当は解っている。彼がどれだけ自分を大切に思っているかを。でも乙女心はやはり複雑だ。そんなことを思っていると夏目の目に何か銀色の物が目に入った。
「卿、これ見て」
「どうした?」
「これ……羽だよね?」
夏芽が疑問形で確認したのは、その羽が銀色に輝いていたからだ。一瞬、銀細工のアクセサリーと勘違いしてしまったが、手に取ると調子が狂ってしまうほど軽かったので、間違いなく鳥の羽だと判断できた。
「珍しい色だね。何の鳥だろ?」
「直子さんの仕事用パーツかも」
卿の母、直子は現在はハンドメイドで生計を立てている。彼女のブランド『ドリーム・ウイング』シリーズは、多くのファンやリピーターを抱えているほどの人気だ。
そして卿も高校入学と同時にアルバイトを始め、給料のほとんどを生活費として結城家に渡していた。それなりに収入はあるものの、この家でお世話になっていなかったら、きっと卿と直子の生活は成り立っていなかっただろう。
「『ドリーム・ウイング』シリーズは羽がワンポイントだけど、母さんは本物の羽なんか使っていたっけ?」
夏芽から銀の羽を受け取り、まじまじと見つめる卿。
「うん……確かに」
すると突然、その羽が卿の手のひらの上で消えてしまった。まるで雪のカケラが体温で解けるようなスピードで……。卿は「えっ?」と声を出しそうになったが、夏芽を怖がらせてはマズイと判断し、ギリギリでこらえた。
「どうしたの卿?」
「何でもない。夏芽、この羽は空に返そう」
卿はそう言って窓を開けると、実際には持っていない羽を空に飛ばした。
「えー! 勿体ない」
夏芽はぷうっと頬を膨らませる。
「……夏芽」
卿は夏芽の側に戻ると、その膨れた頬に自分の唇をそっと押し付けた。
「えっ?」
「『おまじない』……なっ? でもこれが限界。源三郎さんたちが同じ屋根の下にいるんだから」
「……卿」
2人とも耳まで真っ赤だ。
「さ、俺は自分の部屋に戻るぞ。早く下に行って朝ごはん食べようぜ」
照れ隠しをしながら部屋を出る卿の後ろ姿を見送る夏芽。自分の幸せを噛みしめてはいるが、彼女は時々、見えない未来におびえてしまうことがある。彼が自分の前から消えてしまうことを想像してしまったり……。
何故だろう?
卿はこんなに誠実なのに。
(多分、卿のことが大好きすぎるからだよね)
夏芽はさっき卿にキスされた頬を大事そうに手のひらで包んだ。
夏芽の通っている高校に卿が入学してきた時、彼は瞬く間に噂の的になってしまった。全体的に色素が薄く、外国の少年のような綺麗な外見を持ち、更に入学試験が満点だったという情報まで広まったのだから……。
当然ながら彼には女子たちからの告白が相次いだ。
「すいません。俺は2年C組の結城夏芽と付き合っています。一緒に住んでいて、将来結婚もします」
告白される度に、卿はそんな返事をするものだから、夏芽まで一気に有名人になってしまった。そんな彼女に対して、友人たちは口を揃えて言う。
「ねえ夏芽、あんたは前世でどんな徳を積んだの?」
……と。
この日は合唱部の活動があったので、夏芽の下校時間はかなり遅くなってしまった。
「夏芽、おつかれ」
18時近くになったにも関わらず、卿は校門の前で夏芽のことを待っていた。バイトがない日であれば、彼はいつもこんな感じだ。
「……卿」
「じゃあ夏芽、アタシらとはここでバイバイだね」
友人たちは『お幸せに』という表情で夏芽と卿から離れた。
桜が散った5月の道を、2人は並んで歩いている。
「卿、待っていてくれるのは嬉しいけど、その時間は勉強に使えるんだから、気を使わなくてもいいんだよ」
「えぇ? だって俺は夏芽と帰りたいし」
勿論、本心は嬉しい。
薄暗くなった空の下では蛙の合唱が聞こえてきた。初夏独特の気持ちよさが2人を包む。そんな雰囲気に押されたのか、気が付くとお互いが繋ぐための手を差し出していた。
「卿……月が昇ってきたね」
「うん」
東の空に昇ったばかりの月は、何故あんなに大きく見えるのだろう。しばらくの間、2人はオレンジ色の月をそのまま眺めていた。
「……夏芽」
「何?」
確認の言葉はいらない。目を合わせるやいなや、2人は唇を重ねた。離しては重ね、離しては重ね……そう何度も。
「……あっ」
卿が我に返るまでかかった時間は約5分。コトの重大さに気付き、「ごめんなさい源三郎さん。本当にごめんなさい」と言いながら自己嫌悪に陥ってしまった。
そんな卿に夏芽は年上らしい口調で優しく慰める。
「大丈夫だよ卿……。おじいちゃんもおばあちゃんも分かっている。卿は私のことをちゃんと考えていてくれているって……」
「……う、うん」
卿の背後で輝いている月がオレンジ色からレモン色に変化してきた。それを何となく見ていた夏芽だが、急に「卿!?」と声を上げる。
「ど、どうした? 夏芽」
驚愕の表情もまま固まった夏芽の姿に、当然ながら卿も驚く。
「え? ……あ、何でもない。私の……見間違いだった」
笑いながら首を横に振る夏芽。
「何だよ。脅かすなよ」
「ごめーん」
ぺろっと舌を出しながら、心の中では『見間違い、そうあれは見間違いだ』と自分自身に念を押していた夏芽だった。
だって『一瞬だけ卿の背中から翼が見えた』なんて、本人に言えるわけがないのだから。
「ねえ、卿……私を置いて遠くへ行かないでね」
ほとぼりがさめたタイミングで、こう伝えることが精一杯だった。
「何言ってんだよ夏芽。俺はどこにも行かないよ」
それでも例の不安が大きくなっていることを、否定できない夏芽がいた。
自分の不安が的中したかもしれない……と夏芽が感じたのは、次の日のことだった。
下校途中の夏芽と卿の前に現れた現れた1人の少女。彼女は2人の姿を見るなり、意味不明な言葉を連発する。
「…たくよぉ、なんだってボクの『羽センサー』はポンコツなんだよ!? お前を探し当てるまでにずいぶん時間がかかってしまったぜ。よう少年! ボクの名前はティコ。『シルバー・ウイング〈対ブラッド第1部隊〉』のサブリーダーだ。まあ、リーダーは裏切り者のクソ野郎だから、実質、ボクがリーダーだな。テラ様の息子であるお前に話があって、はるばるここまでやって来た」
「……えっ?」
卿の足元には1本の白い羽。色は違うが、それは前日に見た銀色のモノと全く同じ形をしていた。
《3》↓に続く↓