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叶えられなかった祈り

ある冬の夜。Spotifyでレコメンドを流しっぱなしにしていたスピーカーから、妙に琴線に触れる歌声が流れてきた。
節はいつもこのフレーズで締め括られる。

“ハレルヤ ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ……”

賛美歌? 私がその歌声から受けた印象はしかし、溢れんばかりの歓喜ではない。暗闇の底でか細く絞り出すような“ハレルヤ”だ。
歌っているのはジェフ・バックリィ。レナード・コーエンが作詞作曲を手掛けた世俗賛美歌ともいうべき名曲『Hallelujah』を、不世出の歌い手がカバーした。

私がこの歌で特に気になったラインはここだ。

“It’s a cold and it's a broken Hallelujah…”
(それは冷たく壊れたハレルヤ)

「冷たく壊れたハレルヤ」とは、一体何のことを言っているのだろう?

神に対して皮肉を言っているような

コーエンの『Hallelujah』の1節目は以下のような歌詞で始まる。

Well, I heard there was a secret chord
(秘密のコードがあるらしい)
That David played and it pleased the Lord
(ダビデが弾いて主を喜ばせたという)
But you don’t really care for music, do you?
(君は音楽なんてどうでもいいんだろうけど)
Well it goes like this: the fourth, the fifth
(まあ、こんな感じだーー4度の和音、5度の和音)
The minor fall and the major lift
(短調に下がって長調にのぼる)
The baffled king composing Hallelujah
(困惑した王がハレルヤを作曲している)
Hallelujah, Hallelujah
(ハレルヤ、ハレルヤ)
Hallelujah, Hallelujah
(ハレルヤ、ハレルヤ)

Hallelujah / Leonard Cohen


ここで歌われる“困惑した王”ダビデとは、旧約聖書に登場する古代イスラエルの名君ダビデのことだ。

旧約聖書に『詩編』という書が収められている。
古代イスラエルの礼拝で詠唱するために書かれた150編の詩を、1冊の詩集として編纂したものだ。150編中73編がダビデの名前を冠している。

コーエンの『Hallelujah」を聴くと、ダビデが詩編を作曲している様子が目に浮かぶ。実際、ダビデは竪琴の名手でもあったようだ。
他にも、ダビデとバト・シェバ、サムソンとデリラなど、旧約聖書から多くのエピソードが採られている。

詩篇については下記でも執筆しているので、ご興味があればご覧いただきたい。

ところで、1節で歌われる“You don’t really care for music, do ya?(君は音楽なんて興味ないんだろ?)”というフレーズは、神に向けて皮肉を言っているようにも取れる。
「ハレルヤ」は、「Hallel(賛美せよ)」「Ya(神、ヤハウェの略称)」という意味の動詞で、つまりコーエンはYouとYaをかけているのではないかという解釈を、YogakuDaigakuさんが下記動画でお話しなさっている。

なぜこのフレーズが「皮肉」だと感じたのか。
誰しもどん底で神(か何か、超越的な存在)に祈るという経験をしたことがあるのではないか。しかし多くの場合、祈りは聞き入れられない。現実には奇跡は起きないのだ。

この歌い手は、神ーー創造の業を行ったあとはほったらかし、被造物の苦しみには一片の関心すら抱いていないように思われる冷淡な神ーーに対して抗議しているようにも捉えられる。
どれだけ心を尽くして賛美したところで、あんたは音楽なんか興味ないんだろう? と。

これだけ祈っても沈黙している神

「聞き入れられることのない祈り」は、詩編によく登場するテーマだ。
150編ある詩編のうち、もっとも多いタイプは実は「嘆きの詩編」であり、沈黙する神に訴えかける内容が実に多い。

イスラエルの民は流浪の民だ。エジプトで奴隷の立場を強いられ、命からがら脱出するも、神が約束した土地に入るまで40年荒野を彷徨った。約束の地でイスラエル国家を築くも滅亡し、バビロニアの捕囚となってしまう。その後帰国を許されるが、ローマ帝国の支配に苦しみ、反乱に失敗すると、再び長い離散の時代が始まる。

そんな過酷な歴史の中で、神は手を差し伸べてくれることもあれば、沈黙しているときもある。イスラエルの民は、その度に「なぜ応えてくださらないのか」と憤りにも似た感情で神を責めたのかもしれない。

神が存在し、かつ善であるならば、人の子の苦しみを放っておくはずがない。
だから、災害、戦争、大量殺戮、貧困、謂れのない差別ーーこんな悪と苦しみが野放しにされている以上、神など存在するわけがない。
そう否定してしまうのは簡単だ。

冷たく壊れたハレルヤ

“賛美”が声高らかに天を仰いでなされる祝祭的なイメージであるのに対し、祈りはどこまでもパーソナルな対話だ。薄暗い静かな部屋にうずくまり、孤独と絶望の底で「ここから救い出してほしい」と神に語りかける。私にとってはそれが”祈り”のイメージだ。人は絶望の底でこそ神に出逢う。

この祈りのイメージを歌い上げているのが、ジェフ・バックリィの『Hallelujah』であるように思えるのだ。

レナード・コーエンはユダヤ人であったようなので、私のイメージはキリスト者の視点の「神」、つまりイエス・キリストであることはお断りしていく。

絶望の底の祈りには、この先に見えるかもしれない(見えないかもしれない)希望と、人の弱さを通してこそ顕現するイエスに対する感謝が入り混じっている。

人生に飽き飽きしてもう立ち上がる気力さえ失ってしまったとき、ふと隣りにずっとイエスがいたことに気づき、つい“ハレルヤ”が口をついて出る。

そう、「冷たく壊れたハレルヤ」だ。

絶望の祈りは、ボロボロで傷ついた賛美になる。やがて声高らかに祝祭的な気持ちで賛美できるようになる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

ジェフ・バックリィの歌声は、ハレルヤを繰り返しながら、闇の向こうへ静かに消えていく。


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