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LGBTクリスチャンが安心できるコミュニティを作る〜約束の虹ミニストリー代表・寺田留架さんが目指す世界【後編】

LGBT当事者のクリスチャンが集うコミュニティ『約束の虹ミニストリー』を主宰する寺田留架さん。前編では、保守的な考えを持つキリスト教の教会内に存在する“トゲ”についてお伺いした。後編では、広く一般社会で向き合う姿勢についてお伺いする。
→前編はこちらから


最初は受け入れられなくても、一生懸命、向き合おうとしてくれることが嬉しい

聖書に書かれた言葉から「同性愛は罪」と考えるクリスチャンに対して、寺田さんは「同性愛やトランスジェンダーは罪ではない」という考え方自体を押し付けることはしたくないと言う。

「僕は、罪と思っている人に罪じゃありませんという考えを押し付けたくないと思っています。
聖書の中でも、肉を食べる人を食べない人が裁くなという、それぞれのスタンスを尊重してやりなさいという内容があって*1、それは指針として持っている箇所なんですね。

当事者でも当事者じゃない人でも、会話を重ねていくと、(同性愛を罪と考えているのか、そうでないのかは)うっすら見えてきます。でも自分の考え方を他の人にも強要するのはやっぱりちょっと違うと思って。そこには線を引いて欲しいなって思うんですよ」

UnsplashJosh Ecksteinが撮影した写真

”罪の意識”。クリスチャンにとっては、自身のアイデンティティに深く関わる問題でもある。教会生活に深くコミットすればするほど、世間で受ける逆風以上に、教会内で「罪」を意識することになる。

「一方で、(同性愛は)罪なんじゃないかと思いながらも、否定しないように、一生懸命、対等に尊重して接しようとしてくれてる人のスタンスっていうのは、それはそれですごくありがたい。それってある意味、普通に接するよりもすごく頑張って愛を持ってくださっているということ。だからこそ、罪と思っているかどうかにはフォーカスしたくないんですよね」

日本キリスト教団出版局から『LGBTとキリスト教 20人のストーリー(監修/平良愛香)』という本が出版されている。キリスト教徒向けの月刊誌『信徒の友』で2019年に連載されていたストーリーを1冊の本にまとめたもので、寺田さんも寄稿している。
監修者の平良愛香さんによるコラムで、「LGBTを問題視しないことと、問題意識を持たないこととは大きく違う」と言及されており、とても考えさせられた。

実際、セクシュアルマイノリティはどのように向き合ってもらえるのが一番嬉しいのだろうか?

「人によって同じこと言われても百八十度感じ方が違ったりするので、本当に正解はないです。ですが、面倒くさがって腫れ物に触るように、その話題を避けるようになるのが一番悲しいかなと思いますね。一生懸命考えてくれるっていうこと、向き合おうとしてくれているっていうことが、一番重要なんだと思うんですよ。

たとえその場では面と向かって「ダメなんじゃないの」とか言っちゃった人でも、そのあとじっくり考えて、反省して、学んで、あのときあんなこと言ってごめんねって何年越しで言うっていう人もいらっしゃる」

UnsplashAlexander Greyが撮影した写真

もちろんその場で、「そうだったんだ、打ち明けてくれてありがとう」みたいな100点満点の回答をぱっと言ってもらえたらありがたいけれど、そんなに理想通りにいかなくてもいい。こちらとしてもそれだけ重大なことを打ち明けたんだから、一筋縄でいかないかもしれないっていう覚悟は持ってカミングアウトしている。

だから、一緒に悩んで途方に暮れてしまっているのでも、ある意味いいのかもしれない。下手に答えを出そうとしないことがいいのかなって。自分がこれだけ悩んで答えが出ないのだから、簡単にいいとか悪いとかいうふうに答えを決めつけないでくれるほうがいいのかなと思います」

トランスジェンダーと女性の権利問題は切り分けて考えることが重要

LGBT理解増進法が2023年6月に施行されたことを受けて、現在、社会ではバックラッシュが起きている。SNSやニュースメディアのコメント欄などを見ていると、当事者に対する攻撃的な言説を見かけることも少なくない。それについて寺田さんはどう感じていらっしゃるのだろうか。

「SNSはやっぱり特殊ですね。現実では絶対言われないような言葉が溢れているので。知らなければ幸せに暮らせたかもしれないをことを見ちゃうのはかなりしんどいな。特にMtFの人が一番つらい思いをしています」

MfFとは、生物学的には男性の身体を持つが、性自認は女性であることを指す。性別適合手術を受けている方もいれば、さまざまな事情で受けていない、または受けられない方もいる。
MtFの方が矢面に立たされている問題として、「身体性よりも性自認を優先すべきという流れになったら、公衆トイレや公衆浴場といった女性のスペースに自身がトランスジェンダーと偽って男性が侵入することが可能になるのではないか」という言説がある。

「そういった問題に対して、模範解答的なものをまとめてくれるサイトもあるんですけど、反対する人たちはそれを読んだ上で絶対に嫌だって主張する。
 また女性たち自身が不安に思って言っていることと、トランスを叩きたいためにそういう声を持ってきて言っているのとまたちょっと違うので、それが難しいんですよね。あくまでも反対派の主張は、トランスを否定したいんじゃなくて、トランスを認めたらトランスのふりを入ってくる男性を止められないじゃないかという論法なんですよ。

ただ、すでにトイレって防犯上の問題点がいっぱいありますよね。今の法律は少なくとも建前上、生物学的に男性の身体で生まれてきた人の入場を一切禁止している。公衆浴場では身体の性別に従って入る場所を分けられているし、トイレに関しても、異なる目的で侵入したら犯罪ですとなっている。では今までの状態で犯罪を防げていたかというと、そうではない。結局、トランスを認めるかどうかとは全然違うところに原因があるんじゃないでしょうか」

UnsplashAlexander Greyが撮影した写真

トランスジェンダーと女性の権利は、別の問題として切り分けてしっかり議論していく必要がある。しかし被害に遭う女性の立場としては、女性のスペースが脅かされる恐怖感は理性でどうにかなるものでもないという事実もある。

「無碍に「そんなこと言うな、そんなこと絶対起こらない」という言い方をするのも、やっぱり余計不安を煽ってしまうし、女性を蔑視してる言説になってしまう。3行くらいでぱっと説明できることではないからこそ、SNSみたいな短い文でやりとりするところでは、どうしようもなくなっちゃうんですよね。

僕自身は男性ジェンダーなので、本当の意味でシスの女性たちが感じているということをわかってあげられないということがある。僕が積極的にそのことについて発言するの難しいなって、悩ましいところでもあるんです」

神様の側から面白いことが降ってくる

2015年の立ち上げ当時から8年間。「約束の虹ミニストリー」は傷を負った人々が集う場所でもあり、つねに円満というわけにはいかない。時には辞めたいと感じたこともあったという。それでも活動をつづけてきた原動力は何だろうか。

「身も蓋もないことを言うと、たくさん献金をいただいているから今更放り出せないっていう崖っぷち感(笑)。霊的な話をすれば、神様にもらった使命だから、きっと乗り越えてつづけられるようにしてくださるはずだ、本当にダメってなるまではやってみようと。

あとはその時々に仲間が助けてくれて支えがあったのと、自分自身が「約束の虹」以外にも居場所をいくつか持っているからですかね。特に家族の支えは大きいですね。そんなになんでもかんでも話せるわけではないけれど、とりあえず家にいて、一緒に食事でもしていれば、居場所はありますから」

2023年10月開催「いのり★フェスティバルin京都」にて

最後に、今後の展望をお伺いした。

「展望は全然ないんですよね。何につけても計画立てない、行き当たりばったり人生で、目標を立てても三日坊主になるので。ただ、思いがけないところからぽんとアイディアや人とのつながりが降ってきて、面白そうと思ってやってみると、がっと動いたりします。

僕がこのちっぽけな脳味噌で考えてやろうと思ったことなんかよりも、ずっと大きい、面白いことが神様の側から降ってくるだろうって思って、何も計画はしてないですね。

そのうち僕がやらなくても、「約束の虹」みたいな集まりがあちこちにできたらいいですし、逆にもう虹ジャムがいらないような世界になってくれたらなっていうのが一番の願いです」

(了)


*1 ローマの信徒への手紙 14:1-6


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