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読むこと 書くこと

読みはじめ、ほとんどの情報が頭に入ってこず、なんとなく朧げでモノクロだった景色が、あるとき突然色を鮮やかにまといだし、登場人物や言葉が生き生きと、その呼吸や汗ばむ姿すら見えてくるように動き出す瞬間がある。

小説の中で犬が高らかに遠吠えをする。ふと小説から目を外し、自分の部屋で窓の外を眺めている犬を一瞥する。うちの犬は他の犬の鳴き声が聞こえると何かしら反応を見せるが、今は反応していない。珍しいなと思ったのもつかの間、聞こえてきたその遠吠えは小説の中で、私にだけ聞こえていたものだとハッとする。

並べられた文章のその奥に、映像よりもより鮮明な感覚となって、まだ行ったこともない場所の風の湿っぽさや出会ったこともない人たちの声が聞こえてくる。相性のよい良書は、綴られた言葉がそのまま自らの体験となってしまうのだ。

それは作者との対話でもある。読むことと書くことはそれぞれ一方的ではあるが、長い時間をかけて語り合ったような感覚がある。どんな時代のどんな人とでも私たちは対話することができるということだ。

その対話は自分との対話につながり、練られた問いは自らの中に多様性を育む。それが新しい視座を与え、時に自分自身の過ちや弱さを認めるきっかけにもなる。

そこで感じていることを書いてみる。頭の中で浮かんだ言葉をあまり選ばず、考えずに書いてみる。そうすると「あぁこんなことを考えていたんだ」と書いてみてはじめて思考の輪郭が見えてくる。書いてみないと自分でもわからないのだ。この体験が非常に面白い。

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