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「花屋日記」14. その笑顔の意外な理由。

 ようやくブーケやアレンジメントの作成を一から許された私は、一人で店を切り盛りすることも多くなった。配送の手続きやウェディングの相談などもこなせるようになり、少しは店の役に立てるようになったのかもしれない。業務の流れやお客様の顔ぶれも徐々に把握し始めていた。日曜の昼過ぎにはクリスチャンのおばあさん二人組が必ず立ち寄られるとか、木曜の集荷のおじさんは意地悪だから気をつけようとか、そういうことも含めてだ。

 平日の夕方には、一人の女性客が毎週のように来店される。30代くらいの無口な方だけれど、いつもにこにことされているので多くのお客様の中でも印象に残っていた。彼女はいつも旬のミニブーケをご自宅用に買っていかれる。よっぽど花がお好きな方なのだろう。

 ある日、レジで商品をお包みしながら
「いつもありがとうございます。お花、途切れないんじゃありませんか?」
と、話しかけた。するとその方はいつものように笑顔を見せながら、ちょっと困ったように
「実はこれはお供えのお花なんです。仏花があまり好きじゃないから…」
と言われた。私はその瞬間、自分の浅はかさに打ちのめされた。おそらく大切な方を亡くしたばかりの方に、なんて呑気なお声がけをしてしまったのか。この方がいつも笑っていたのは、本当は泣きたい気持ちの現れだったのだろう。なんてことだろう、私は完全に勘違いしていた。

 後日また、その女性が来店されたとき「先日は余計なことを申し上げて…」と謝ろうかと思ったが、もうその話題に触れるべきではないとも思った。彼女がダリアのミニブーケを持ってレジに来られたので、私は何もなかったかのように
「いつもありがとうございます。お元気でしたか?」
とだけ尋ねた。彼女はいつのものように、にこりと頷いて見せた。
 そして私も、ちょうど同じ「意味」と「分量」になるように気をつけて、無言で微笑み返した。

 花屋では、ときどき悲しい注文が重なる時期がある。例えばお見舞いの花もそうだ。病院に持っていく花には、様々な配慮が必要になる。花粉の落ちるものや香りが強いものはNGだし、縁起のよくない花や本数はもちろん避けなければならない。病室に花瓶がない場合もあるので、あまり大きいものは歓迎されない場合もある。
 ある日、そういった確認事項をお客様にお尋ねすると
「もう管に繋がれているような状態だからね…なんでも大丈夫です。言い方は悪いかも知れないけれど、妻は植物人間のようになってしまっているので…」
と言われた。
 あまりにも淡々と言われたのでこちらが泣きそうになった。その方のお気持ちが尊くて切なかった。だって今から持っていかれる花は、愛情を形にした究極のものだと思うから。

 花ってなんだろう? と、よく考える。そしてそれは、花を媒体とした誰かの気持ち抜きには決して語れないものだと、私は何度も何度も思い知らされた。決してそこを踏みにじることのないように、私たちは一つひとつの花をていねいに束ねなくてはならない。

 花は、花だけじゃないんだ。花屋が提供すべきものは、きっとそれ以上の何かなんだと思う。

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