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車イスで海外移住した理由 1

ウサいるの!? Où ça (ウサ)? (どこに?)」

離陸に向けて滑走路をゆっくりと移動する機内で、さっきからずっとこちらに背を向けたまま窓の外に眼を凝らしている彼女。
シャルル・ド・ゴール空港にウサギが居るという映画の話を思い出して、うしろ頭に声をかけると、振り向いた彼女は泣いていた。

脳天気なことを言ってしまったぼくはビックリして、
どうしたの!?
と尋ねると、

帰りたくないなぁ…

目に涙を溜めながら、彼女はそう言って微笑んだ。

そんなにパリが気に入ったんだね。
ぼくが青春の一時期を過ごした街を、ぼくが思う以上に彼女は好きになっていた。

また来ればいいじゃない!?毎年来ようよ!

とにかく励ましたかったし、本当にそうすればいいと思って言ったんだけど。

うん、そうだね

とちょっと遠くを見つめるように答えた彼女は、
(とは言っても次に来られるのは早くて3年後かな……)
と内心思ったらしい。
どうしてこういうときの女性の直感ってほとんど当たるんだろう?

 

フランスでサッカーワールドカップが開催された1998年の初夏。
ぼくはウェブデザイナーとしてルーヴル美術館のヴァーチャルツアー制作のために10年ぶりのパリに出張した。
うろ覚えだけど、ヘミングウェイの『移動祝祭日』にこんな一節がある。

もし君が幸運にも若くしてパリで過ごしたなら、残りの人生を何処へ行こうともパリはずっと君についてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ。

そのことば通り、いつの間にか縁遠くなっていたパリにまた呼ばれたのだ。
留学していた10年前との大きな違いは、今回は仕事であること、そして学生時代には松葉杖でなんとか歩けていたけれども、もう車イスになっていたことだった。

なぜ車イスのハンデがあるぼくがパリに出張することになったのかについては少し説明が必要だろう。(とはいえほとんどの人に興味ない話なので次の投稿に飛ばしていただいても大丈夫です)

脚が悪いのは元々なのだけれど、ひょんなことから学生時代の2年間をパリで過ごしたことがあり、その当時知り合ったフランス人の友人から、ルーヴル美術館が日本語版サイトを作るにあたりスポンサーになってくれる企業を探してくれないか、と相談されたのがことの始まりだった。
それで、企業文化的に合うと思われるたいへんお世話になっていたクライアントであるS社の宣伝部プロデューサーに相談したところ、即座にご快諾いただけた。
ただ、当時のルーヴル美術館のサイトはまだWeb 1.0以前というかNCSA Mosaic用といった面持ちで、有り体に言えばイケてなかったため、
「当社の寄贈という形でVRコンテンツを作りましょう」
と提案してくださり、その制作をぼくがさせてもらえるという願ったり叶ったりな展開になったのだった。

そうして97年に公開に漕ぎ着けたルーヴル美術館ヴァーチャルツアーは世界中からアクセスが殺到し好評だったので、翌98年には大幅なバージョンアップを前年よりも遥かに少ない予算でしたいと申し出た。どうしてももっと良くしたかったので儲けがなくても構わなかったし、恩返しがしたかった。
失敗できないプロジェクトだけれど、だからこそ3人の心から信頼できる仲間とで少数精鋭撮影チームを組んだ。VR撮影とステッチの名人Kさん、日仏ハーフで前年の撮影にも通訳として参加してくれたバイトのM、それに美大出身で美術館で働いた経験のある彼女。パリにも件の友人ら仲間が居るのでとにかく思い切りやるだけだ。

我らが日本代表が初戦でバティストゥータに決められたゴールを涙目で見ながら荷造りして成田空港へ。
せっかくW杯開催国に来たというのに試合なんてテレビですら観れない忙しさで準備した甲斐もあり、やたらとミイラを撮らせようする係員や突然シャッターが降りなくなるオカルト現象にもめげず、撮影チームは前年の3倍もの撮影をこなしてくれた。

しかし、やはりそう簡単な話ばかりでないのが世の常。伝統的な巨大組織の保守派との調整は一筋縄では行かず、VRコンテンツを表現した回転する3Dピラミッドのアニメーション・アイコンが思いがけず物議を醸してしまったり、本家サイトのリニューアルに伴い全言語版のサーバがフランス本国に置かれることになり、それまで非常にお世話になってきたS社に不利益にならないよう交渉したりと、ストレスも大きかった。この本家サイト運営方針の転換によって、今まさにリニューアル作業をしているバーチャルツアーは消えてしまうかもしれない、とのことでモチベーションが根底から崩れそうなショックを受けたり。

それでも悔いのないように今出来ることをやり切るしかない。
撮影チームが2週間の日程を終えて帰国した後も、2ヶ月間パリに滞在して完成させるべくひたすらコードを書いて作業に明け暮れた。

とはいえここはフランス。しかも10年ぶりの懐かしいパリ。東京での缶詰とは気分も違うし、気分転換には事欠かない。
仕事の合間にも夏至の日の音楽祭で路上ライブに参加したり、フランス優勝の大歓喜を目の当たりにして帰宅困難になったり、友人が海辺の別荘に招いてくれたりもして、充実したフランス滞在を満喫させてもらってありがたかった。

こうして大変だった作業もほぼ仕上がり、約10週間のパリ出張を終えて帰国するべく、やっとエコノミークラスのシートに座り込んだところでのウサ騒動なのだった。

そして消されるかもしれなかったヴァーチャルツアーはその後十年存続し、この仕事が後に意外な転機のきっかけになるとは、このときは知る由もなかった。

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