「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート1 ~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~

<ダンスはうまく踊れない>

私は今まで、国内外の様々な舞台で10年間、プロのダンサーとして仕事をして来た。
その中で、気が付いたことがある。

それは、私がダンスを始めた時から、実はずっと分かっていたことだった。
ただ、それを受け入れるのに、長い時間が掛かっただけだった。

私は今になった改めて気が付いてしまったのである。

私は「ダンスが踊れない」ということを。

20歳を過ぎてから踊りを始めた私は、舞台業界ではかなりのスロースターターで、決して器用ではなく、振り付けを覚えるのがとにかく遅かった。どんな踊りも“そつなくこなす”ことが出来るタイプのダンサーでもなければ、癖や個性が強すぎて、群舞にはめっぽう向かない。
今までよくそれでダンスの仕事が出来ていたもんだと、自分でも思う。
だからこそ私は、人の倍以上、努力しなければならなかった。

一度、日本でもトップレベルのダンスカンパニーで仕事をした時も「個性が消せない」私は、振付家を大いに困らせ、結果、ソロのシーンを“当てがってもらった”という、苦い経験がある。

「個性がない」ことがコンプレックスなダンサーからすれば、ソロシーンが与えられるなんて羨ましい!
と思うかもしれない。しかし私は私の「個性」が消せないことに悩んだ。それだけでなく当時の私はそもそも“自分の「個性」とは何で、何がそんなに「普通」と違うのか?”が分かっていなかったのだ。

そんな中でも、私を気に入って起用してくれる振付家や演出家はいて、そんな稀有な人々がいたからこそ、私は今までダンスを続けてこられたのだと思う。

それでもずっと、心から消えなかった呪いのような言葉がある。

それはやはり、
「私はダンスが踊れない」だった。
私はずっとこの呪いに縛られてきた。

傍から見れば、この10年、私は少しずつではあるが、ステップアップしているように見えたかもしれない。
30歳を機に、舞台業界を離れていく仲間が多い中、辞めずにいられただけでなく、仕事も増え、海外にも行き、順風満帆に見えたかもしれない。だが、正直、私はずっと苦しかった。

そして、続ければ続けるほど、「踊れない」自分を認めるのが怖くなっていった。
だからこそ、それを見て見ぬふりをして、踊れない自分を、更なる努力でかき消してきたのである。

しかし、トップレベルに近づけば、近づくほど、努力では埋められないものがある事を実感させられる。
人の定規で測られる為に、常に自分の限界を突破していかなければならないという生き方そのものに、私は疲れていったのだった。

そして私の呪われたコンプレックスはやがて、更にネジれ、コジれて反転し、ある一つの“問い”に変わっていく。

なぜこんなにも、「普通」という言葉に、苦しめられなければならないのか?
個性を消すための努力を「しなければならない」という圧力は、一体どこから生まれてくるのか?

もしかしたら,この文章を読んでいる人の中にも、そんなことを考えたことがある人がいるかもしれない。


「普通」とは、圧倒的多数を指す言葉であるにもかかわらず、「普通」という言葉に苦しめられている人は意外と多い。一方で、それを全く理解できないという人も沢山いる。どちらが良い、悪いではない。
「普通」という言葉を前に両者は平行線をたどり、どちらも互いを知らないだけなのだ。

だからこそ私は、「普通」に悩む人と、そんなことを考えもしなかった人、その両者の視点から「普通」というものを考えてみたいと思った。

そしてあわよくばその両者を、平行線を交わらせ、繋ぎたいと思った。

ダンサーという「普通じゃない」職業に就きながら、「普通」に悩まされて来たという複雑な経験を持つ私には、それができるのではないかと思ったのである。

この文章では、「踊れないダンサー」である私が海外での経験や、「発達障がい児」と呼ばれる子供達との出会いの中で、どのように「普通」という言葉と向き合ってきたのか?その軌跡を皆さんと一緒に辿ってみたい。

そしてコロナウィルスによって、今までの「普通」が大きく変わろうとしている今、改めて皆さんと一緒に、「普通」とは一体何なのか?について考えてみたいと思っている。

「普通」とは単なる最大公約数であって、本来、人はみな違う。
「普通の人」なんて、実は存在しない。
それでも、誰もが「普通」を理想とする世界は、果たして、いい世界と呼べるのだろうか?

この文章が、そんな大きな問いにまで、辿り着くかはわからないが、まずは、私が初めてダンスと出会ったときの、小さな話から始めてみようと思う。
大切なことはいつも始まりにあり、本質はいつも小さく転がっているはずだ。

(パート2へ続く)

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コンテンポラリーダンサー、振付家でありながら長年「踊れない」と感じてきた筆者が、海外での経験や、発達障がい児との出会いの中で、「できない」…

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