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・今日の周辺 2024年 その掌を頬を包むのに貸してください

○ 今日の周辺
お正月は家族で父方の実家に帰った、三家族が揃う久しぶりの元旦。
学生時代を楽しんでいる従兄弟たちが部活動や進学について盛り上がっているなか、祖父と話していた。私の仕事の話や、祖父が会社で仕事をしていた頃の話、退職してからのことなど、私も孫としてでなく少しは対等に話をできるようになってきただろうか、記憶がはっきりしているうちにこまめにいろいろ聞いておきたく、じっくり話を聞いて言葉を返す。
工芸品の図録を何冊か譲ってもらう約束をしていた、代わりに私は職場での仕事を見てもらった。互いの共通の話題である美術の話になる。
茶道の先生をしている祖母と美術工芸品が好きな祖父、を遡ると、地方で郷土芸術運動をしていたという高祖父の存在が浮上する。「柳宗悦みたいなことですよね」と言うと「そうそう」と、明治29年(1896)生まれの高祖父は確かに柳と同年代(柳は明治22年生まれ)だった。本職は板前で自分のお店を営んでおり、その傍らで作家を集めてお寺で展覧会を催したりしていたらしい。話は芋蔓状にさまざまに溢れる。「柳と言えば、」と棚から持ってきたその町の同人運動の記録には高祖父のお店で行われた出来事(「民藝の会」とある)についての記載もあり、集合写真の中央には柳宗悦が座っていて、驚いた。講演会が催されたそうで、その後ろには棟方志功の版画が飾られている。昨年の初めは中見真理『柳宗悦 「複合の美」の思想』を読んで日本民藝館へ行ったし、年末には近代美術館で行われた棟方志功展を観に行ったから、年の初めにそんなことを聞かされて感動を覚える。
その写真が撮られたのは昭和12年(1937)のことで、柳は48歳、棟方志功は34歳、高祖父は41歳だった。柳はちょうど日本民藝協会を設立し日本民藝館を創設、棟方が国画展に出品しこれを機に柳らに出会ったのもこの頃なのだとそれぞれの略歴を照らし合わせる。次のページには柳の紹介でこの町を訪れた棟方の写真がいくつか掲載されていた。
高祖父は祖父が大学生の頃に亡くなった、その言葉でピリオドが打たれ、それ以上この話を深く尋ねることは難しく、次の話題に移った。祖父は養子であったが、一人息子であったため高祖父の蔵から美術工芸品を相続し、売ってしまったものもあるけれど、屋根裏にしまってあるのだと教えてもらう。
祖父は定年後、作家の人生における負のターニングポイント、未練や無念についての論文を執筆したそう。馴染みの学芸員さんにアドバイスをもらったり、どこの図書館やアーカイブを利用するといいと勧めてもらいながら執筆したそうでとても誇らしそうだった。今回はその論文を読ませてもらうことはできなかったけれど、今度は読ませてもらえるだろうか。
バブルの中を転勤を重ねながら忙しく働き人生を一区切り終えた祖父が、他者の未練について思いを馳せて論文を執筆しようと思ったことには何があったのだろうと帰りの電車で考えたりする。けれど想像してわかるはずがない、なぜなら私は祖父の「私の祖父」である側面しか知らないから。
父親の人間関係に対する認知の歪みや捩れが、父の家庭環境(祖父は実父ではない)、祖父(養子として育った)の家庭環境とそのことに対する偏見や違和感に因子があるのではないか、それがどのように連鎖したのか、ということに私は密かに関心があって、いつか聞き出すことができるだろうか、とか思ってもいる。一年に一度会うのでは時間が足りない。
たくさんの人の人生を経て、今私がここに生きている、状態を私はどのように捉えて生きていけばいいのだろう、と夜眠る前にぼおっとする。
町の同人の記録を祖父から借りて目を通す、祖父にとって大切な箇所に蛍光ペンでラインが引かれていてありがたい、私もその箇所を頼りにそれらの出来事をなぞってみる。


○ 見えないところへこの手は届く?

SNSを通じてこの声明とネットワークの存在を知る。

数、言葉、写真、映像、を見ていると、出口を見つけることは難しいことにしか思えなかったけれど、このネットワークの存在を知ることができたことで、出口に通じる扉かもしれない、と信じてノブに手をかけてみよう、という気持ちにシフトすることができた。この声明が語りかけたあとと、人生の中で何度も経験した自分の目の前で起こるのではない遠くの出来事のそのわからなさに、私は部外者であると感じることの方がなんとなく馴染むこれまでとは全く違う。それに私が、考えるか見過ごすかを何の損害もなく選ぶことができても、そこを生きる人たちには選択肢すらない。

好きなもの、ほっとする場所、私が信頼する人たちの時間ばかり、主に経済的な理由で、なくなっていくような、忘れられていくような感じがする。これは中東和平についてだけでない、あらゆる人のマイノリティ性、一人ひとりが安心して異なる人間であり続けるためのアイコンタクト、それが正義でも規範でもモラルでもなく「文化」(個人が集まることで形成される集団によって共有される価値基準の体系)であるということ、個人の中にだけあるものに留まらないという感じが、私には心強く感じられた。

サイード『オリエンタリズム』が本棚の隅で存在を示してる。

民族浄化を経て得られた利潤、資本や土壌を用いて何をできると、しようというのだろう。兵器を用いた攻撃は、資本主義、日々の消費から得られる資本が元手となっている。食べること、身に纏うこと、それらを捨てる、処分することまでをも含む、私が生きる上で欠かせない身体的な営みが、個人と特定の集団の尊厳を脅かす、身体的な苦痛と危機に晒すことに直接的な結びつきがある、と感じられたら。
また、現在進行形の事態だけでなく、これまでもそのような横暴な振る舞いを経て「今ここ」があるのだとしたら、今まさに過去のそれらを追体験するように時間を過ごしているのだと自覚すると何もせずにはいられない。
誰も部外者なんかではなく、端のない世界中からの眼差しが必要だと思う。

ひとつ、頼りにした記事。



年始には能登半島地震もあった。

福祉施設に所属する作家と共に、新たな文化の創造を目指すアートライフブランド「ヘラルボニー」による、地方自治体などが独自に作成した災害時の対応やコミュニケーションボードのリンクが集められたサイト、に目を通す。
障害のある人に対してできる支援についても丁寧にまとめられている。言動に表れなければ気づけないことも多い障害のある人が直面するそれぞれの障害に対して具体的にどのようなサポートが必要であるのか、どのようなことに困るのか、ということを知っていると、孤立させないということのきっかけを作ることができる。
経済的なサポートがまずは必要。けれど個人の寄付には限度もあるから、経済的なサポートと直接的で情緒的なサポートの両方を併せ持っていることも大切なことだと思う。

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中学生の頃から聴いていて大好きなgroup_inouの活動再開(?アニバーサリーイヤーの期限付きの再開だったら寂しい……)嬉しい。リピートして聴く。
力の抜けた気の合う音楽が新たにリリースされることの心強さ。仕事で気を張ったり、週末に心と体を休めたり、落ち込んだり、背筋が伸びたり、誇らしかったり、あちこち行く気分に置いて行かれて一体私は今どんな気分でいたらいいのかわからなくなるときがあって、そういうときに好きな音楽は風みたいに指針を示してくれる。

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